法華講員の「未来予想図」

阿部日顕が死亡しました

 昭和39年以来の長きにわたった御遺命破壊のたばかりもいよいよ最終章となり、いま宗門は大きな転換期を迎えています。

 浅井先生は、7月度総幹部会において、時の貫首・早瀬日如管長に対し、次のように直諫されました。

 阿部日顕・大草一男の二人は、すでに御本仏の御遺命たる『国立戒壇』を否定したのみならず、いま『戒壇の大御本尊の敵』たる山崎正友とも結託した大謗法者である。よって、日興上人が民部日向を断固 擯出あそばされたごとく、速やかに追放し給え。

 而して、この悪を除去したうえで貫首上人御自ら『日蓮大聖人の唯一の御遺命は国立戒壇建立である』と宣示あそばせば、御遺命の正義は一時に正系門家に蘇るものと確信いたします。

 もはや優柔不断は許されません。

 正系門家がいつまでも大事な御遺命・国立戒壇を否定したままでは、何とも大聖人様に申しわけがない。また日本に残された時間も少ない。

 早く対治を下されますよう、伏して待つのみであります。

「御遺命守護」特集号4

 すると、なんということでしょう!それからわずか2ヶ月後の本年9月20日午前7時30分、阿部日顕が「死亡」してしまったではないですか。

 浅井先生は、9月度総幹部会において、この阿部日顕の死亡につき、「大聖人様が宗門追放してくださったと思っている」と仰せられましたが、先生の直諫によりたちまち起きた現証に、身震いを禁じえません。もう本当に「最終章」なんですね。

大聖人様によって宗門追放された阿部日顕

「猊下様ゼッタイ☆ロボット」の未来予想図

 そうすると、ふと気になったのが、「あれ、じゃあ、法華講員たちは、これからどうなっていくんだろう?」ということでした。これまで宗門坊主にたぶらかされて、ひたすら顕正会を悪口していた「猊下様ゼッタイ☆ロボット」の彼ら・彼女らは、宗門が国立戒壇の正義に立ち還ったとき、一体どうなるのだろう?・・・と。

 そこで、今回の記事では、彼ら・彼女らの「未来予想図」について書いてみたいと思います。

パターン①:正義宣揚まで生きながらえた場合

 まず時の貫首が国立戒壇の正義を宣揚するまで、彼ら・彼女らが生きながらえた場合を考えてみましょう。

 法華講員たちは、良くも悪くも「時の貫首」に「盲従」している人たちですから、たとえ今どれだけつよがっていても、もし時の貫首が「実は国立戒壇が正しかったのだ」と一言述べたらどうなるでしょうか?みんな手のひらを返したように、「国立戒壇バンザイ!」「猊下様ゼッタイ!」と言ってひれ伏すことでしょう。そして、「いや~、実はワタシも、国立戒壇が正しいんじゃないかって思ってたんだよね~(笑)」みたいなことを言い出す人たちがどんどん出てくるのです。

 要するに、「猊下様ゼッタイ☆ロボット」である彼ら・彼女らは、自分の頭できちんと物事を考えることができません。これを「洗脳」といいます。まあ、そういう人たちだからこそ、誰がどう見たって三大秘法抄に背いている偽戒壇・正本堂を指して、「御遺命の戒壇だ」とか、「御遺命の戒壇となる建物だ」なんて言ってはしゃいでいたわけです。

 「時の貫首」がクロといえばクロ、シロといえばシロなのです。

 まさに「テノヒラクルー」ですね(笑)

パターン②:正義宣揚の前に臨終を迎えた場合

 では、時の貫首が国立戒壇の正義を宣揚する前に、不幸にも彼ら・彼女らが臨終を迎えてしまった場合はどうなるでしょうか?

 この場合、御遺命に背く宗門に籍を置く彼ら・彼女らは成仏が叶いません。むしろ、「我(わが)弟子等の中にも信心薄淡(うす)き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし」(顕立正意抄)の御金言のまま、「阿鼻獄の相」を現じて死に、入阿鼻獄となってしまいます。

 「師は針の如く、弟子は糸の如し」といいますが、「ドス黒く、阿鼻獄を恐れ叫んでいるかのような相」で死んだ細井日達の悪臨終を知れば、その末路は推して知るべしです。後生をこそ恐れなくてはなりません。

国立戒壇に立ち還らなければいけません

 いかがだったでしょうか。こうして見ると、法華講員たちの「未来予想図」は、わずか2パターンしかないことがわかります。

 だって、大聖人の御金言を正直に拝せば、偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇(となる建物)」なんてはしゃいでいた宗門(日蓮正宗)が間違っていたことも、それまで宗門一同が叫んでいた「国立戒壇」(広宣流布の暁に国家意志の公式表明を以て建てられる戒壇)が正しかったことも、明々白々じゃないですか。

 だから、大聖人の御金言を絶対と拝するなら、いつかは宗門も真の懺悔をして国立戒壇の正義に立ち還らなければいけないのです。いつまでも「未来のことを論ずるのは不毛の論」とか言って御遺命を隠し、曖昧にしたままではいけません。

きっと何年たっても

 ところが、第六天の魔王に誑かされた宗門(日蓮正宗)は、未だに国立戒壇だけは否定し続けています。そして、みずからのメンツを守るために、信徒を騙し続けているのです。

 いまネットを見ると、法華講員たちは必死になって「阿部日顕猊下の臨終の相は白かった!」なんて宣伝しているようですが、痛々しくて見ていられません。

 だって、2冊の悪書を書いて国立戒壇の正義を抹殺し、偽戒壇・正本堂を御遺命の戒壇とうそぶいていた阿部日顕、しかも、今年に入って発刊した「近現代における戒壇問題の経緯と真義」とかいう「言い訳」本で、なおも「国立戒壇が間違いだと言ったことは正しかった」なんて大謗法の言辞を弄していた改悔なき阿部日顕が、成仏できるわけがないじゃないですか。「無間地獄」は疑いありません。

 察するに、宗門(日蓮正宗)は、細井日達の悪臨終がバレてしまったことが、よほど痛かったのでしょう。必死に「死化粧」をして、とりあえず「白く」したことが容易に想像できます。しかし、あまりに当然のことですが、「成仏の相」というのは、死化粧をして白くなることではありません。

 ところが、ほら、思ったとおりに、法華講員たちは簡単にダマされているのです。

 きっと、何年たっても、こんなふうにダマされていくのでしょう。

 そういえば、9月度総幹部会で藤村法務部長が、妙観講の大草一男がネットにアップした音声データが捏造されたものであることが専門家の鑑定でわかったと発表していました。捏造音声を真に受けて信じ込み、はしゃいでいた哀れな人たちは、これを機に少し内省したほうがいいんじゃないですかね。こうやってあなたたちはコロっとダマされていくのですよ。

 きっと、何年たっても・・・