慈悲昿大のゆえに全世界へ永遠に流布するお題目

立宗御報恩勤行会が行われました

 令和3年4月28日、浅井先生のもと、冨士大石寺顕正会の「立宗御報恩勤行会」が行われました。

 「立宗御報恩勤行会」というのは、日蓮大聖人が御年32歳の建長5年4月28日、はじめて三大秘法の本門の題目(南無妙法蓮華経)を唱え出し給うた大事な日に、毎年、御報恩のために奉修する勤行会です。

 今年も浅井先生のご指導がたいへん有難く、大感激でしたので、その一部を紹介したいと思います!

立宗以前に20年の研鑽とご思索

 日蓮大聖人は、ある日突然、立宗されたのではありません。それ以前に、御年12歳から32歳に至るまでの20年に及ぶ血のにじむような御修学と、透徹の大智をもってのご思索があられたのです。いやはや、すごいですね。

 そして、大聖人はついに末法の一切衆生の成仏の大法をただ御一人お知りになられました。浅井先生は、次のように指導下されています。

 では、末法の一切衆生の成仏の大法とは何か。これこそ大事中の大事であります。大聖人様は透徹の大智を以てこれを知り給うた。

 それは―

 一代諸経の中にはただ法華経、法華経二十八品の中にはただ本門寿量品、本門寿量品の中にはただ文底に秘沈された大法、すなわち久遠元初の自受用身が証得された最大深秘の大法です。

 では、その実体は何かといえば、実に「本門戒壇の大御本尊」であられる

 このことについて日寛上人は法華取要抄文段に、次のごとく仰せられている。

 「御年三十二歳建長五年の春の比(ころ)、再び故郷に帰り末法の本尊を祈り給うに、四月二十八日の暁天に、『古僧示して云く、汝が身を以て本尊と為すべし』

と。即ち明星ヶ池を見たまえば、不思議なり、蓮祖の影即ち今の大曼荼羅なり」と。

 この御文は、日寛上人が「御本尊七箇之相承」を引いての仰せです。

 まことに不思議なことですね。水に映る大聖人の御影が、そのまま「南無妙法蓮華経 日蓮在御判」の御本尊の御形(おすがた)であられたという。

 これを「自解仏乗」というのです。誰に教わることもなく、自然と御自身がお覚りあそばされたのです。

 このとき大聖人様は、我が身は久遠元初の自受用身なりと知り給うた。そして始めて旭日に向かって南無妙法蓮華経と唱え出だされた。その後、無量の大難を忍ばれて三大秘法を弘められ、ついに竜の口において、名字凡夫の御身の当体即久遠元初の自受用身と顕われ給うたのであります。

 大事なことなので重ねて申します。

 大聖人様は、立宗のとき我が身は久遠元初の自受用身と知り給い、竜の口のとき久遠元初の自受用身と顕われ給い、そして大慈悲を起こされ、そのお覚りの全体を「本門戒壇の大御本尊」に図顕あそばされ、末法の全人類に授与して下さったのであります。

顕正新聞令和3年5月25日号

 いかがでしょうか。大聖人が立宗のとき、明星ヶ池のほとりにて、透徹の大智をもって末法の一切衆生の成仏の大法を確然とお知りになられた、その崇高な光景に思いをはせては、なんとも言えない有難さがこみ上げてきます。そして、その大法の実体こそ、じつに「本門戒壇の大御本尊」であられるのです。

大御本尊の功徳は無量無辺・広大深遠

 浅井先生は、この大御本尊の無量無辺の大功徳について、次のように指導くださいました。

 日寛上人はこの大御本尊の功徳について、観心本尊抄文段に

 「此の本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり。故に暫くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるはなく、罪として滅せざるはなく、福として来らざるはなく、理として顕われざるはなきなり」と。

 このように大功徳まします戒壇の大御本尊であられればこそ、今、御遺命を守り奉る顕正会員が、たとえ深い理解はなくとも、ただ有難いと恋慕渇仰して遥拝し奉れば、その唱題は直ちに大聖人様に通じて、大功徳が頂けるのです。

 すなわち現世には自然と宿命が変わって幸せになり、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得る。これが現当二世の大利益であります。

顕正新聞令和3年5月25日号

 いかがでしょうか。戒壇の大御本尊の無量無辺の大功徳はなんとすごいのかと、感激でいっぱいです。だからこそ、私たち顕正会員は、何も難しいことはわからなくても、現世には宿命が変わって幸せになり、臨終には成仏の相を現じ、一生成仏をとげさせて頂けるんですね。

 これもすべては、大聖人が建長5年4月28日、たとえ身命に及ぶ大難があるとも退転せず、との大誓願を胸に抱かれ、この地球上で未だ一人も唱えない「本門の題目」、南無妙法蓮華経を始めて唱え出して下さったからです。

 浅井先生は「大法弘通こそ御報恩」と仰せですが、私も御報恩の思いを胸に、広告文で広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!(続く)