第三青年会館の御入仏式が奉修されました(2)

 昨年12月に奉修された「第三青年会館御入仏式」は、登壇といい、浅井先生のご指導といい、大感動でしたね。2回目となる今回は、「遥拝勤行」についてのご指導を紹介していきたいと思います。

 いま私たち顕正会員が実践させて頂いている「遥拝勤行」。実は戒壇の大御本尊に対し奉る本来の勤行の姿だったのです!さて、一体どういうことでしょうか?

 浅井先生の御指導を拝してみましょう。

本門戒壇の大御本尊は「秘仏」

 ここで、遥拝勤行について改めて申します。

 遥拝勤行というのは、実は戒壇の大御本尊に対し奉る本来の勤行の姿なのです。

 いいですか。

 本門戒壇の大御本尊は秘仏であられる

 すなわち、広宣流布までは蔵の中に秘蔵し奉り、一切公開しない大御本尊様なのです。

 ゆえに日興上人・日目上人以来、この大御本尊は富士大石寺の御宝蔵に秘蔵厳護され、専ら広宣流布の時を待ち給うておられたのであります。

 だから上代においては「御開扉」などは一切なかった。

 大聖人様がこの大御本尊を日興上人に付嘱し給うたときも、「密附」秘密の付嘱であられた。

 このことについて第五九世・堀日亨上人は「富士日興上人詳伝」に、次のごとく仰せられている。

 「開山上人(日興上人)は、これを弘安二年に密附せられて、正しき広布の時まで苦心して秘蔵せられたのであるが、上代にはこのことが自他に喧伝せられなかったが、いずれの時代からか、遠き広布を待ちかねて、特縁により強信により内拝のやむなきにいたり、ついには今日のごとき常例となったのは、もったいない事であるから、四十余年前には、有名な某居士が懇願して月一回という事にもなった事があったが、永続しなかった。

 開山上人より三祖日目上人への富士総跡の御譲り状にも『日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊』として、『戒壇本尊』とは書かれなかったのは、大いにこの味わいがある」と。

 文意を重ねて拝します。

 日興上人は、この戒壇の大御本尊を弘安二年に密附せられ、正しき広宣流布の時まで、苦心して秘蔵せんとなされた。

 上代には本門戒壇の大御本尊の御事は、本宗の中においても、他門にも、広く知られていなかったが、いずれの時代からか、遠き広宣流布の日を待ちかねて、特縁あるいは強信のゆえを以て「内拝」の願い出があり、内拝のやむなきに至り、ついには今日のごとき常例になった。御開扉が当り前のようになった。

 しかしこれはまことに勿体ないことであるから、四十余年前には「有名な某居士」が懇願して「月一回」ということにも一時なったが、これも永続しなかった。

 日興上人から日目上人への御譲り状にも「日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊」とあって、「戒壇の大御本尊」とは書かれなかったのは、大いにこの味わいがある―と。

 この堀上人の仰せにも、大聖人様から日興上人への戒壇の大御本尊の付嘱を「密附」とされ、広宣流布のその日まで秘蔵し奉るの意が示されている。

 すなわち、戒壇の大御本尊は広宣流布のその日まで秘蔵して、ただ遥拝し奉る―それが大聖人御意のままの富士大石寺の伝統であったのです。

顕正新聞令和3年1月5日号

 いかがでしょうか。戒壇の大御本尊は、大聖人から日興上人へ「密附」され、日興上人もまた広宣流布の時まで苦心して秘蔵せんとなされていた「秘仏」にてましますのです。

 ですから、いずれの時代からやむなきに至った「内拝」も、あくまで特縁あるいは強信ゆえの例外であり、本来は広宣流布の暁まで秘蔵し奉り、ただ遥拝申し上げるというのが、「大聖人御意のままの富士大石寺の伝統」だったのです。

 だから、遥拝勤行こそ「戒壇の大御本尊に対し奉る本来の勤行の姿」なのですね。

歴代先師上人の遥拝勤行を拝す

 では、歴代先師上人は、この「秘仏」にてまします戒壇の大御本尊に対し奉り、どのように勤行を申し上げてきたのでしょうか。

 浅井先生のご指導を拝してみましょう。

 いいですか。歴代先師上人は毎朝、客殿で「丑寅の勤行」をなさる。丑寅の刻とは午前三時を中心とした二時間です。

 この丑寅の刻に、大聖人様から日興上人・日目上人と、一日も欠かすことなく勤行が続けられてきたのです。

 そして歴代上人はこの丑寅の勤行をなされたあと、必ず導師席を下りられて、その西側のもう一つの導師席にお移りになる。この座こそ、戒壇の大御本尊を遥拝し奉る所なのです。

 御宝蔵にまします戒壇の大御本尊の御前には、お水も、香炉も、樒もない。これは時来たるまで秘蔵厳護し奉るの意を表しているのです。

 では、お水・香炉・樒はどこに置かれているかというと、御宝蔵から離れた客殿の御前机の上に供えられている。

 歴代上人は毎朝、丑寅の勤行のあと、この遥拝所から、遠く戒壇の大御本尊様を遥拝し奉っておられたのです。

 いま顕正会員は、この遥拝勤行をさせて頂いているのであります

 顕正会は御遺命を守り奉ったゆえに解散処分を受けた。だがその結果、自然と戒壇の大御本尊を直接、距離を乗り越えて遥拝申し上げ、そして広宣流布に戦う唯一の仏弟子の大集団となったのです。

 この遥拝勤行こそ「忠誠の証」。そして大聖人様の御意に叶う「広宣流布最終段階における信行」なのであります。

 これから広宣流布まで、遥拝勤行なのです。そして戒壇の大御本尊様への恋慕渇仰が日本国中に満ちたとき、その「唯願説之」に応え給うて、いよいよ戒壇の大御本尊は国立戒壇に御出ましになるのです。

顕正新聞令和3年1月5日号

 いかがでしょうか。いま私たち顕正会員は、歴代先師上人が戒壇の大御本尊に対し奉りあそばされていた遥拝勤行を実践させて頂いているのです。なんと有難いことでしょうか!

 また、顕正会がこの遥拝勤行という本来の姿に、御遺命を守り奉ったゆえの理不尽な解散処分によって自然と立ち還ったこと、なんとも不思議ですね。

 まさに遥拝勤行こそ、浅井先生の大聖人に対し奉る「忠誠の証」であり、濁乱の正系門家にあって唯一、広布最終段階に御奉公する資格を有する顕正会に大聖人がお教え下された「御意に叶う信行」なのだと伏して拝しては、ただただ有難さでいっぱいです。

信心に距離は全く関係ない

 こう書くと、「ふん!なにが遥拝勤行よ!ご登山して御開扉を受けなきゃ功徳をもらえるわけないでしょ!こっちは住職に『登山、登山』ってしつこく言われるから、お金と時間をかけて何回も登山してるのよ!?ただ遥拝するだけで功徳をもらえるなんて、そんなのずるいわよっ!」という法華講員の声が聞こえてきそうです(笑)

 このような方には気の毒ですが、大聖人の御遺命に背き、御心に背く登山を強行している今の宗門では、いくら登山をしても全く功徳がありません。ただお金と時間を浪費して、深い罪障を積んでいるだけです。いやはや、なんとも可哀そうですね。詳しくはこちらの記事をご覧ください)。

 信心に「距離」は全く関係ありません。だから遥拝勤行に大功徳があるのです。

 浅井先生のご指導を拝してみましょう。

 信心に距離は全く関係ない。どれほど遠く離れていても、大聖人様を恋慕渇仰して南無妙法蓮華経と唱え奉れば、直ちに大聖人様に通じて大功徳が頂けるのです。

 このことを大聖人様は、身延から千里を隔てた佐渡に住する千日尼に対し、次のごとく仰せ下されている。

 「譬えば、天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮かび、雷門の鼓は遠けれども打ちては須臾に聞こゆ

 御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来たれり。乃至、御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」と。

 ―たとえば、天の月は四万由旬も離れていても、大地に池があれば直ちにその影を浮かべる―と。

 この譬えは、どれほど遠く離れていても、大聖人様を恋慕渇仰して南無妙法蓮華経と唱え奉る者あれば、大聖人様は直ちにその心に宿って下さるということ。

 また「雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞こゆ」とは―我らの唱え奉るお題目は、どれほど遠く離れていても、直ちに大聖人様に通ずる―ということです。

 次いで

 「御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来たれり。乃至、御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」と。

 ―千日尼御前は佐渡の国に住んでおられるが、心はこの国に来ているのである。御面を見るとか見ないとかではない、心こそ大切なのである―と。

 この「御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」の仰せこそ、遥拝勤行の大精神です。よくよく心腑に染めてほしい。

 どれほど離れていても、大聖人様を恋慕渇仰し奉る強き信心さえあれば、直ちに通ずるのです。

 熱原の法華講衆の方々は、大聖人様に値い奉ることはできなかった。しかしその恋慕渇仰・不惜身命の信心は大聖人様の御心に叶い、ついに本門戒壇の大御本尊様の「願主」たるを許された。

 一方、大進房・三位房は大聖人のおそばに侍りながら、熱原の大法難のとき大聖人に背き奉り、大進房は落馬して横死を遂げ、三位房も不慮の横死を遂げている。まさに「心こそ大切に候へ」とはこのことであります。

 そして遥拝勤行において最も大切なことは、どれほど距離が離れていても「日蓮大聖人 眼前にまします」の信心に立つことです。

 戒壇の大御本尊様は即 生身の日蓮大聖人であられる。ゆえに「日蓮大聖人 眼前にまします」の信心に立ち、「お慕わしい」「有難い」との思いで、大聖人の御名を南無妙法蓮華経と唱え奉ることこそ大切です。

 そのお題目は直ちに大聖人様に通ずる。そして三毒充満の我ら凡夫の心に大聖人様がお宿り下さる。これが

 「濁水心無けれども、月を得て自ら清めり

 との仰せであります。

 いかに濁った心でも、大聖人様がお宿り下されば自然と清んで来る。自利利他、自分も幸せになり他をも利益する菩薩の境界になる。

 ゆえに現世には生活が守られ、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得るのであります。

顕正新聞令和3年1月5日号

 いかがでしょうか。遥拝勤行の有難さが命に染み入り、思わずワクワクしてきませんか?いま大聖人の御意に叶うお題目を唱え、自分が幸せになりながら人を救い国を救う広宣流布のお手伝いができるなんて、なんと有難いことでしょうか。

 これが地涌の菩薩の大集団・顕正会の使命なのです(続く)。