第三青年会館の御入仏式が奉修されました

 新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします!

 昨年は新型コロナが猛威をふるう中、顕正会では3万を超える大折伏が成し遂げられ、ついに会員総数が222万に達しました。いやはや、凄いですね!

 そして、もう1つ。新たに「第三青年会館」が落成し、その御入仏式が昨年12月13日に奉修されました。ここに広布の本陣である顕正会本部の陣容が整ったのです。

 私も先日、はじめて第三青年会館に参詣しましたが、新たにできた大きな正門を通るとなんとも清々しい気持ちになり、太い円柱に支えられた第三青年会館の威容を見上げては思わず感嘆してしまいました。ここから広宣流布の戦いが全国に広がり、三災七難に苦しむ多くの人たちが救われていくのだと思うと、今からワクワクしてきますね!

 そして、第三青年会館御入仏式における浅井先生のご指導がとても有難かったので、2回くらいにわけて紹介したいと思います。

「富士大石寺」を冠した顕正会

 今回、産業道路に面して新たな正門が設けられ、そこに「冨士大石寺顕正会」と大書された大標識が立ちました。ちなみに、正門の門柱に刻まれた「冨士大石寺」の五文字は、なんと第26世・日寛上人の御筆とのことです!

 浅井先生は、顕正会が「冨士大石寺」を冠して戦っている所以について、次のように指導くださいました。

 顕正会が「冨士大石寺」を冠して戦っているのは、日興上人・日目上人の清らかな昔に立ち還り、一筋に大聖人様に応え奉らん―との思いからであります。

 私は「日蓮正宗」とは名乗りたくなかった。

 いま御遺命に背いて、そのうえ戒壇の大御本尊様に不敬をしている。このような腐敗した宗名をどうして名乗れようか。

 日興上人・日目上人時代の清らかなる「冨士大石寺」の名を冠して、いよいよ広布の最終段階に大事な御奉公を貫かねばなりません。

 富士大石寺が現在の「日蓮正宗」という宗名を用いたのは大正元年ですよ。今日までわずか一〇三年に過ぎない。そして、この一〇三年間において、僧侶が妻帯するようになった。

 日興上人は「遺誡置文廿六箇条」に

 「先師の如く予が化儀も聖僧たるべし。但し時の貫首において、習学の仁、設い一旦の婬犯有りと雖も、衆徒に差し置くべき事

 と定め置かれた。この一条を軽視してはいけない。

 僧侶の妻帯と職業化等で、腐敗堕落の気運が胚胎してきた。これが大正時代だったのです。

 そしていま広布の前夜にいたって、ついに第六天の魔王はこの隙を突いて正系門家を襲い、御本仏の唯一の御遺命たる「国立戒壇建立」を、内部から破壊せんとしたのです。

顕正新聞令和3年1月5日号

 いかがでしょうか。宗門が「日蓮正宗」を名乗った大正元年以降、僧侶の妻帯と職業化等が進み、腐敗堕落の気運が胚胎してきたとは驚きですね。だから池田大作に魂を売り渡し、偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇」と讃嘆して御遺命破壊の大悪に協力してしまったのです。

 そのような腐敗堕落・濁乱の正系門家にあって、「日興上人・日目上人の清らかな昔に立ち還り、一筋に大聖人様に応え奉らん」との浅井先生の清らかな御信心、大聖人に対し奉る忠誠心が、「冨士大石寺顕正会」との名称に表われているのですね。

遥拝勤行で広宣流布を

 学会・宗門は、国立戒壇の御遺命を堅持し、偽戒壇・正本堂を御遺命の戒壇と定めた「訓諭」(昭和47年4月28日)に従わないからとして、顕正会に解散処分を下しました。解散処分は信徒団体にとって「死罪」に等しいものです。

 もし顕正会が解散していたら、偽戒壇・正本堂が「御遺命の戒壇」となり終わり、「国主此の法を立てらるれば」(一期弘法付嘱書)、「王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて・・・勅宣並びに御教書を申し下して」(三大秘法抄)と御本仏が御遺命された本門戒壇の正義は、無慚にも葬り去られてしまったことでしょう。そうなれば「仏国」の実現は不可能となり、学会・宗門を誑かした第六天の魔王の一人勝ちです。第六天の魔王は、きっと高笑いしていたことでしょう。

 このとき、浅井先生ただ御一人が、たとえ死罪に等しい解散処分を被るとも御遺命を守り奉り、遥拝勤行で広宣流布の御奉公を決意されたのです。

 これで命脈を保てる信徒団体はない。

 だが顕正会員は誰ひとりとして、微動もしなかった。みな顕正会の正しさを信じてくれた。私はこれが何よりも嬉しかった、有難かった。

 私はこの理不尽な解散処分を眼前にしたとき

 「遥拝勤行で広宣流布の御奉公を貫こう

 と、深く決意した。

 御遺命に背いて平然としている無道心の輩に、どうして広宣流布ができようか。顕正会が御奉公しなければ、広宣流布は虚事になってしまう。何としても広宣流布に御奉公をしなければ、大聖人様に申しわけない―この決意に立ったのであります。

顕正新聞令和3年1月5日号

 いかがでしょうか。浅井先生の誰人も比肩し得ない大忠誠の御心に、思わず涙が込み上げます。

 第六天の魔王に誑かされ、大聖人一期の御遺命に背いた無道心の学会・宗門に、広宣流布ができるはずがありません。彼らにはすでにその資格も力もないのです。

 「顕正会が御奉公しなければ、広宣流布は虚事になってしまう。何としても広宣流布に御奉公をしなければ、大聖人様に申しわけない」との浅井先生の御決意を万分が一なりとも体し、私も心新たに広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います。

学会と宗門の現状を見よ

 ちなみに、御遺命に背いた学会・宗門の現状はどのようなものでしょうか。

 創価学会の池田大作は、原田稔会長に「弘安二年の御本尊は受持の対象にしない」と公言させました。あろうことか、戒壇の大御本尊を捨て奉ったのです。第六天の魔王が身に入った池田大作は、800万学会員から大御本尊への信を抜き取り、「入阿鼻獄」の道づれとしたのです。

 一方、宗門は、学会との仲間割れによって学会員の登山がなくなり、収入が激減しました。そこで今度は、法華講員を登山に駆り立てるようになったのです。末寺単位に人数を割り当て、ノルマを課しました。だから信心のない者まで連れて行かれて御開扉に参加したのです。恐れ多い限りですね。まさに「御開扉料稼ぎ」そのものです。

 しかも最近では「付け願い」などというのも行われているそうです。「付け願い」とは、登山しなくても御開扉料だけを差し出せば、登山人数にカウントされるという制度だそうです。

 浅井先生は、「まさに戒壇の大御本尊を営利の具とする無道心。大聖人様の御叱りを受けないはずがない」と呵責されています。

宗門の登山ノルマ

 ちなみに顕正新聞令和3年1月5日号には、「宗務院から末寺単位に『登山目標計算用紙』が配布された」として、「平成28年 法華講支部 総登山目標人数 計算用紙」なるものが掲載されていました。

 見てみると、平成25年と平成26年の「講員数」や「登山率」、「登山者実数の平均値」等を記入する欄があり、その数字をもとに、平成28年の「目標人数」=「平成25年・26年の登山者実数の平均値以上」(!)や「目標率」等を算出するようです。

 よく法華講員は「登山はノルマじゃない!」って言ってるくせに、何なんでしょうか。これでは「ノルマを課しての御開扉料稼ぎ」と言われても仕方ありません。そんなだからみんなに嫌われるんですよ。

 御遺命に背き続けるのみならず、このような不敬の御開扉を強行しているから、宗門の登山には全く功徳がなく、かえって大聖人の御叱りを受けるのです。

 その中で顕正会は、恋慕渇仰の遥拝勤行を申し上げ、戒壇の大御本尊に対し奉る信心はいよいよ深く、いよいよ澄み切っています。この遥拝勤行こそ「忠誠の証」であり、大聖人の御意に叶う「広布最終段階の信行」なのです(続く)。