「顕正新聞」と「聖教新聞」ってなんですか?
みなさんは「顕正新聞」と「聖教新聞」の違いをご存知でしょうか?
簡単にいうと、冨士大石寺顕正会の機関紙が「顕正新聞」で、創価学会の機関紙が「聖教新聞」です。
こう書くと、「ふーん、でも、顕正会も創価学会も、同じ日蓮大聖人を信じているんだから、同じような内容なんじゃないの?」と思われる方がいるかもしれません。
でも、実は「顕正新聞」と「聖教新聞」とでは、その内容がぜんぜん違うのです。
そして、なんと先般、顕正会員と学会員が、第三者の見守る中で、お互いに「顕正新聞」と「聖教新聞」を広げて熱い折伏戦を繰り広げるという面白い展開があったそうです(笑)
さて、その結果はいかに・・・・!?
「顕正新聞」と「聖教新聞」で学会員と対論
同席した組長の同級生、顕正会に入信
ある日、石川班の佐藤組長に、同級生の佐藤さんから「お久しぶり」と連絡が来たので、組長は一人で神奈川県平塚市に赴き、折伏する運びになりました。
当日、対象者の佐藤さんと合流すると、「友人を紹介したい」と言われたので、急遽、その女性の友人宅を訪れ、二名同時の折伏となったのでした。
組長が顕正新聞を広げ折伏を始めたところ、なんと佐藤さんの友人は学会員であることを告げてきて、負けじと聖教新聞を広げてきたのです。
あたかもその場は、佐藤さんを挟んでの「顕正新聞」と「聖教新聞」を使った対論のような展開になりました。
まず組長が顕正新聞を広げて、「顕正会こそ、日蓮大聖人の仏法を唯一正しく伝える団体である」と折伏すると、その友人は聖教新聞をもとに「学会の方が正しい」と反発してきました。
ところが聖教新聞の紙面を見た佐藤さんから「聖教新聞って、なんかテレビ欄とか一般のニュースばっかりだよね」と突っ込まれ、組長も「これじゃあ、一般紙と変わらないよ」と指摘すると、学会の友人は怒りはじめ「だから何なんだよ。ふざけんな!」と暴言を吐いてきました。
それを聞いた佐藤さんは「何であなたはそんな汚い口の利き方をするのよ」と、かえって組長の味方をし、学会の友人を窘(たしな)める形になりました。
次いで組長が「顕正新聞には良き臨終や功徳の体験発表がたくさん掲載されている。何よりも浅井先生の有難いご指導が掲載されている」と確信を以て言い切ると、友人は反論できず苛立ち、今度は学会版の経本を見せてきたのでした。
その観念文には「本門戒壇の大御本尊」の九文字が完全に削除されており、また池田大作を讃える言葉が書かれていました。それを目の当たりにした組長は、国立戒壇の御遺命と本門戒壇の大御本尊を捨て、政治野心に狂奔する学会の大謗法を強く責めました。
すると、組長と友人のやりとりをジッとそばで見ていた佐藤さんは「顕正会が正しい」と実感し、組長の折伏を後押しするように、友人に対し「あなた、学会で活動していても、日々の生活も、性格もよくなっていないじゃない」と追及し始めたのです。
痛いところを突かれた友人は、「別にいいんだよ。顕正会には関係ないでしょ。これが学会流の正しさなのよ」と半狂乱で釈明していました。
結局、友人は入会には至らず、組長と佐藤さんは学会員の友人宅を後に互いのやり取りを見て顕正会の正しさを確信した佐藤さんは、帰りの車中において「私、顕正会で日蓮大聖人の仏法を実践してみたい」と入信決定し、後日、小田原会館において求めるように入信が叶いました。
有難くも入信後、佐藤さんは遥拝勤行を実践し、さっそく人間関係が改善する初心の功徳を頂き、現在、折伏の決意にも立っております。
このたびのやりとりをとおし、芸能やスポーツニュース等を載せて、世間ウケを狙う聖教新聞と、御本仏・日蓮大聖人の御心を正しく伝える日本で唯一の言論紙「顕正新聞」の違いがハッキリとわかり、顕正会員たりえた有難さがこみ上げてまいりました。
顕正新聞令和3年1月5日号
日蓮大聖人に対し奉る信心の違い
いかがでしょうか。組長と学会員のちょっとコミカルな(?)やりとりの中に、「顕正新聞」と「聖教新聞」の違い、ひいては顕正会と創価学会の違いが如実にあらわれている気がします。
政治野心と名利から世間の批判を恐れ、国立戒壇の御遺命を放棄した池田大作率いる創価学会と、たとえ死罪に等しい解散処分を被るとも大聖人に対し奉る忠誠を貫き通され、国立戒壇の御遺命実現に戦われる浅井先生率いる顕正会。
この大聖人に対し奉る信心の違いが、2つの新聞の紙面に表われているのです。