未だに「国立戒壇」を否定する悪僧たち
日蓮大聖人が門下に残されたただ一つの御遺命が、広宣流布の暁に、国家意志の公式表明を以て、富士山天生原に建立される本門寺の戒壇、すなわち「国立戒壇」の建立であることは、このブログを読んで頂いている方ならみなさんお分かりかと思います。
ところが呆れたことに、宗門では未だに「国立戒壇は御書にない!」「どこに書いてあるんだ?」なんて言う悪僧たちがいるようです。そこで、無智な法華講員たちも、悪僧たちに「右へならえ」で同じことを言うのです。いやはや、なんとも見苦しいですね(笑)
そこに浅井先生は、「御遺命守護」特集号8において、「国立戒壇は御書にない」との謀りを完膚なきまでに破折して下さいました。
ぜひとも心肝に染めて、この幼稚な謀りを一刀両断していきたいものです。
そもそも誰が言い出したのか?
それにしても、かつては僧俗一同に「国立戒壇」を叫んでいた宗門(日蓮正宗)において、いったい誰が「国立戒壇は御書にない!」なんて言い出したんでしょうか?
実はこれ、池田大作なんです(笑)
浅井先生の御指導を拝してみましょう。
いいですか。この幼稚なたばかりは誰が言い始めたかというと、池田大作です。彼が昭和四十年に言い出したものです。昭和四十年といえば、池田が学会総会で始めて「正本堂建立」を口にした、その翌年に当る。
云く「戸田先生もわれわれも、いちじ『国立戒壇建立』といってきました。しかしどこを捜しても、御書には『国立戒壇建立』ということばはないのです。大聖人様はちゃんと未来を考えていらっしゃったのです」(聖教新聞・昭和40年9月22日付)と。
池田は、公明党の衆議院進出に伴って「国立戒壇」が評論家・マスコミ等の批判を受けたことから、「国立戒壇は選挙に不利をもたらす」と考え、国立戒壇を捨ててしまったのです。
しかるに彼は「大聖人様はちゃんと未来を考えていらっしゃった」などとヌケヌケ言う。なにが「ちゃーんと」だ。
「御遺命守護」特集号8
ちなみに、当時教学部長だった阿部日顕も、池田の真似をして同じようなことを書いています。
つまり、いま宗門(日蓮正宗)の坊主たちが言う「国立戒壇は御書にない!」という論法は、あの池田大作の受け売り、二番煎じだったのです(笑)
すでに池田創価学会を破門し、偽戒壇・正本堂も崩壊したにもかかわらず、未だにこの幼稚なたばかりにしがみついているとは、なんとも惨めな連中ですね。
破折の骨子
浅井先生は、このたばかりを「まことに許しがたい」として、完膚なきまでに破折されました。その破折の骨子は、次のとおりです。
① 「御書に書いていない言葉を用いたら誤りか?」→そうではない。義をもって名を付するのは仏家の習いである(例:天台の「一念三千」)。
② 「御書に『国立戒壇』の義はあるか?」→三大秘法抄には、まさしく「国立戒壇」の義が説き示されている。三大秘法抄の御文を要言し、約言すれば「国立戒壇」となる。
③ 現に歴代先師上人は、三大秘法抄・一期弘法付嘱書に御遺命された戒壇を指して「国立戒壇」と仰せられている。
それでは、浅井先生のご指導を拝してみましょう。
天台の「一念三千」も誤りだったのか
いいですか。
「御書に『国立戒壇』という言葉がないから国立戒壇は誤りだ」というのなら、法華経に「一念三千」という言葉はないのに、この言葉を用いた天台大師は誤ったことになるが、どうか。
そうではないでしょ。
たとえ法華経に「一念三千」という文言はなくとも、その義がある。すなわち法華経の所詮はまさしく「一念三千」である。ゆえに天台は「一念三千」の文言を用いたのであります。
ゆえに大聖人様は義浄房御書に
「されば今経(法華経)の所詮は、十界互具・百界千如・一念三千と云ふ事こそゆゝしき大事にては候なれ。此の法門は摩訶止観と申す文にしるされて候」
と仰せられている。
法華経の所詮は一念三千である。このことを天台大師は摩訶止観に説いている、と仰せられているのです。
(中略)
以上のごとく、たとえ法華経に「一念三千」という言葉はなくとも、その所詮の義に約して天台はこれを「一念三千」と述べ
大聖人様はさらに一重深く、所詮の義を
「寿量品の事の一念三千の三大秘法」(義浄房御書)
と仰せあそばされているのであります。
この道理は、三大秘法抄の御文と国立戒壇についても、同じです。すなわち
たとえ三大秘法抄に「国立戒壇」という文言はなくとも、所詮の義は「国立戒壇」である。ゆえに端的にこれを「国立戒壇」というのであります。
「御遺命守護」特集号8
いかがでしょうか。このように、たとえ御書にその言葉はなくても、その義があれば、義にふさわしい名を付するのは仏家の習いです。ですから、「国立戒壇」という言葉が御書に書いていないということは、「国立戒壇」を誤りとする理由にはならないのです。
次、行ってみましょう!
「国立戒壇」は三大秘法抄に説示し給う
三大秘法抄にまさしく国立戒壇が説き示されていることを、ここに改めて拝します。
まず本文を拝し奉る。
「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して・・・」と。
この御文の意を拝せば
「王法仏法に冥じ仏法王法に合して」とは、国家が宗教の正邪にめざめて、日蓮大聖人の仏法こそ国家安泰の唯一の大法であり、一切衆生成仏の唯一の正法であると認識すること。
「王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて」とは、天皇も、大臣も、国民も、一同に本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉るということ。
「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」とは、昔、有徳王が身命を捨てて覚徳比丘を守ったごとく、戒壇の大御本尊を守護し奉るにおいては、身命も惜しまぬという大護法心が国主以下全国民にみなぎった時―ということ。
「勅宣並びに御教書を申し下して」とは、「勅宣」とは天皇の詔勅、「御教書」とは時の行政府の令書。これを申し下すとは、国家意志の表明がなされるということです。すなわち、仏法を守護し奉るとの国家意志の表明を戒壇建立の必要手続とせよ、ということであります。
いいですか。この御定めのままに建立される戒壇は、まさしく「国立戒壇」ではないか。
そして「三大秘法抄」と「一期弘法付嘱書」と「国立戒壇」の関係を言えば、まさしく
三大秘法抄の御文を要言すれば一期弘法付嘱書の「国主此の法を立てらるれば」の御文となり、その御文を約言すれば「国立戒壇」となるのであります。
「御遺命守護」特集号8
なんとも明快な御指導ですね。まさしく三大秘法抄には「国立戒壇」の義が説き示されているのです。
「国立戒壇」の四文字に込められた意味の、なんと深いことでしょうか。だからこそ、歴代先師上人は御遺命の戒壇を端的に「国立戒壇」と仰せられたのです。
歴代先師上人も「国立戒壇」
ゆえに歴代先師上人は、三大秘法抄・御付嘱状に御遺命された戒壇を、端的に「国立戒壇」と仰せられているのです。
されば第五十九世・日亨上人は
「宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華11号)と。
さらに第六十四世・日昇上人は
「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)と。
さらに第六十五世・日淳上人は
「蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(富士一跡門徒存知事の文に就いて)
また
「この元朝勤行とても・・・二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を、伝えたものであります」(大日蓮・昭和34年1月号)と。
このように歴代先師上人は、三大秘法抄・一期弘法抄の御意をそのまま「国立戒壇」として、叫び続けて来られたのであります。
「御遺命守護」特集号8
いかがでしょうか。歴代先師上人が公の場で御遺命の戒壇を「国立戒壇」と堂々と仰せられてきた事実こそ、「国立戒壇」の「義」はもちろん、「名称」も正しいことを示す現証といえるでしょう。
国立戒壇否定の輩は大聖人に敵対する逆賊
このように、大聖人の御遺命の戒壇が「国立戒壇」であることは、道理・文証・現証から明らかです。もはや疑う余地もありません。もしこれを否定する悪僧がいるならば、それこそ御本仏に敵対する「逆賊」といわなければなりません。
浅井先生は、このような逆賊は「宗門追放すべし」と叫ばれました。
しかるに、今なお池田大作・阿部日顕のたばかりの真似をして「国立戒壇」を否定する悪僧があるならば、それこそ御本仏に敵対する逆賊である。速やかに宗門追放しなければいけない。
立正安国論には法を壊る者に対しては
「呵責し駈遣し挙処せよ」
と仰せられている。つまり追放せよということです。
また滝泉寺申状には
「法を壊る者を見て責めざる者は仏法の中の怨なり」
と。この御戒めを拝して、いま宗門の僧侶はどう思っているのか。
いいですか―。
池田大作が御遺命を破壊して「国立戒壇」を捨てた時も、さらに偽戒壇・正本堂を建てて「御遺命の戒壇」と偽わった時も、宗門僧侶は一人としてこの御遺命破壊を責めなかった。たとえ「時の貫首」が池田に協力していたとはいえ、それならば、なぜ「時の貫首」を諫めなかったのか。旁(かたがた)もって、大聖人様に対し奉る不忠ではないか。
宗門僧侶はいま改めて、「国立戒壇こそ大聖人様の唯一の御遺命でございました」と、一人ひとりが御本尊様に申し上げ、立場を鮮明にしなければいけない。
さもなければ、けじめが付かない。大聖人様に申しわけないではないか。こう私は思っております。
「御遺命守護」特集号8
いかがでしょうか。あくまで「国立戒壇」を否定する無道心の悪僧は宗門追放し、一分の道念あるものの御遺命破壊のとき一言も言えなかった全僧侶は「国立戒壇こそ大聖人様の唯一の御遺命でございました」と御本尊様に申し上げ、立場を鮮明にする―。この「けじめ」をつけたとき、はじめて宗門(日蓮正宗)に御遺命の正義が蘇るのですね。
いま諸天の働きが活発となり、阿部日顕は浅井先生の直諫からわずか58日で命終して宗門から追放され、その直後のタイミングでついに「国立戒壇こそ大聖人の御遺命」と叫ぶ有羞の僧が出てきました。
これから正義を叫ぶ有羞の僧が続々と出てくることを思えば、いよいよ大聖人の御力で広宣流布が成る時が眼前なのだと、感激でいっぱいです。
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