三障四魔に打ち勝つ信心

「つい魔が差しちゃって・・・」

 芸能人が浮気に走ったとき、専務が会社のお金を使い込んだとき、その他もろもろの失敗をしたとき、「つい魔が差しちゃって・・・」という言葉をよく聞きます。

 まあ、たいてい自分の欲望に負けてしまっただけなのですが(笑)、実は仏法でも「」という存在が説かれています。

 もちろん、世間でいう「魔が差しちゃって・・・」とは違います。

 これまで書いてきたように、日蓮大聖人の仏法はとても素晴らしいものです。まじめに実践していけば、必ず生活上に功徳を頂き、幸せな境界に変わってきます。

 すると、信心がおぼつかない人や、油断・慢心している人は、知らず知らずのうちに生活や仕事に流され、あるいは信心を破る悪いヒト(悪知識)にたぶらかされて、信心を見失ってしまうことがあります。これも「魔」の働きの1つです。

 その結果、せっかく値い難き仏法に縁しながら、成仏に失敗してしまうのです。

 ですから、仏法を実践する者は、臨終の夕べまで信心を貫いて成仏を遂げられるよう、この「魔」の原理をしっかりと心腑に染めておく必要があるのです。

 浅井先生のご指導を拝してみましょう。

三障四魔に打ち勝つ信心

 仏法を実践し成仏を願う者にとって、よくよく心せねばならぬことがある。それは「正法には必ず魔の妨害がある」ということである。本来、この大宇宙には仏法を妨げようとする魔の生命活動がある。ゆえにもし正法を修行してその人がまさに成仏せんとする時、必ず魔が障碍して仏道修行を阻むのである。

 大聖人はこの魔障について次のごとく仰せられている。

 「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競わずば正法と知るべからず。第五の巻に云く『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る、乃至、随うべからず畏るべからず。之に随えば将に人をして悪道に向かわしむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云々。此の釈は日蓮が身に当るのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」(兄弟抄)と。

 この御文を拝すれば、末法に成仏の大法たる三大秘法を持ち、大聖人の仰せのままに自行化他の信心に励むならば、必ず三障四魔が競い起こることがよくわかろう。

 そして、この三障四魔に打ち勝った時、始めて成仏が叶う。これが仏道修行の定理である。

 三障とは煩悩障・業障・報障である。煩悩障とは、我が心の中の貪・瞋・癡により信心に迷いを生ずること。業障とは、家庭内の問題で信心が妨げられること。報障とは、自分の生活を左右し得る権力ある者が信心を妨害することである。この報障こそ最も大きな障碍である。

 さて、この三障四魔が競い起こるということは、持つ法が正法であり、信心がいよいよ本物になってきたという証拠。またこれを乗りこえれば成仏が叶うということを示すものであるから、むしろ喜ばねばならない。

 「潮の干ると満つと、月の出づると入ると、夏と秋と、冬と春との境には、必ず相違する事あり。凡夫の仏になる、又かくのごとし。必ず三障四魔と申す障いできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり」(兵衛志殿御返事)と。

 賢者は三障四魔の出来を喜び、愚者はこれによって退転すると仰せられる。されば仏法を実践する者は、魔を魔と見破る見識を持たねばならぬ。これを見破って一段と強き信心に立ったとき、始めて魔障に打ち勝ち、仏果を得るのである。

 そして、魔に打ち勝って自身を顧みれば、魔障が競い起きたことにより、かえって我が境界が変わったことに気付くであろう。魔障がなければ成長もない。信心さえ強ければ、魔はかえって成仏の助けとなる。この原理を法華経には

 「魔及び魔民有りと雖も、皆仏法を護らん」(授記品)と説き

 大聖人は御自身の実証体験の上から

 「人をよく成すものは、方人よりも強敵が人をばよくなしけるなり。乃至、日蓮が仏にならん第一の方人は景信、法師には良観・道隆・道阿弥陀仏、平左衛門尉・守殿ましまさずんば、争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ」(下種本仏成道御書)

 と御指南下されている。


基礎教学書・第5章

 なんとも有難いご指導ですね。

 正しい仏法だから魔障があり、これを乗り越えたとき、自身の境界も変わり、成仏も叶うのです。

 特に、「魔に打ち勝って自身を顧みれば、魔障が競い起きたことにより、かえって我が境界が変わったことに気付くであろう」との一節は、まじめに信心を貫いてきた顕正会員なら、みな「本当にそうだ」と実感するところかと思います。

広布前夜の魔障

 ところで、平成31年度の登用試験では、この「三障四魔」についての問題が出題されました。

 浅井先生の、「新入信者が魔障に打ち勝ち信心を貫けるように」との温かい御心を感じ、有難さでいっぱいとなりました。

 また、設問中における次の一節には、眼開く思いとなりました。

 魔障は仏弟子にも及ぶ。広布前夜の今、顕正会が御遺命を守護し奉って解散処分を受けたのも、魔障のゆえである。

 宗門(日蓮正宗)・学会が一体となって700年来の御遺命の正義を歪曲する中、ただひとり御遺命を堅持したゆえに、顕正会に下された死罪に等しき「解散処分」は、実に「魔障」だったのだと。

 しかし、浅井先生は、この解散処分を大聖人に対し奉る忠誠心と絶対信で乗り越えられ、遥拝勤行による折伏弘通を開始。

 すると、学会・宗門の間で醜い抗争が始まり、平成10年、ついに偽戒壇・正本堂は崩壊。一方、潰れて当然であった顕正会は、潰れもせず、ついに200万の仏弟子の大集団となり、いま日本国において、大聖人の御遺命たる「国立戒壇」を高々と掲げて独走する唯一の団体となったこと。

 これらの歴史的事実をつぶさに拝見すれば、浅井先生が「解散処分」という大魔障に強き強き御信心で打ち勝たれたからこそ、かえって顕正会は大聖人の御遺命を奉ずる唯一の団体となったのだと思わずにはいられず、まさに先生の激闘の中に、「人をよく成すものは、方人よりも強敵」との御金言の絶対なることを、伏して拝するものです。

顕正会が立たずして誰人が応え奉る

 一方、宗門・学会は、第六天の魔王のたばかりにより、あろうことか大聖人一期の御遺命、700年来の伝統法義を歪曲し、偽戒壇・正本堂が崩壊した後も、未だに背き続けています。

 要するに、彼らには「信心がなかった」のです。だから、大聖人の御金言よりも、「カネ」や「センキョ」を選んだのでしょう。

 浅井先生は、次のように仰せられています。

 正系門家のこのような堕落・師敵対をごらんあそばせば、大聖人様はいかが思しめされるか―。

 あまりの恐れ多さに、ただ身の縮むをおぼえるのみであります。

 このような師敵対の輩に、どうして広宣流布が成せようか。

 顕正会が立たずして、誰人が大聖人様に応え奉るのか。

 国立戒壇建立の御遺命を抛った宗門、戒壇の大御本尊を捨て奉った学会には、すでにその資格も、力もない。

 早く顕正会は三百万を成し遂げ、大聖人様の御馬前に馳せ参じなければいけない。


平成31年1月度総幹部会より

 浅井先生のもと、冨士大石寺顕正会の一員として、大聖人があそばす御遺命成就のお手伝いをさせて頂ける有難さは言葉になりません。