崩壊する創価学会

「崩壊する創価学会」特集号が出来しました

 冨士大石寺顕正会の11月度総幹部会を特集した顕正新聞12月5日号が出来しました。その名も「崩壊する創価学会」特集号!

 浅井先生のご逝去から1年、全顕正会がご報恩の一念に燃え、9・10・11月に空前の4万5千名になんなんとする大折伏がなされました。一方、池田大作の死亡から1年を経た学会は、先の衆院選で歴史的な大敗北を喫したばかりか、人材の払底、あり得ない重大事故の発生、大幹部の造反など、崩壊の兆しがいよいよ顕著になってきました。

 この対照的な姿こそ、いよいよ創価学会が崩壊し、全学会員がともに御遺命成就に戦う同志となる日の近きことを示すものと、勇躍歓喜を抑え切れません。

 それでは、さっそく特集号の内容を見ていきましょう!

「4万5千」に及ぶ空前の大折伏が叶う

 9・10・11月には、顕正会始まって以来の「4万4928名」もの大折伏がなされました。

 浅井会長は、先生のご霊前に額ずき、この弘通成果を霊山にまします先生に次のようにご報告されました。

 「先生の一周忌を見つめ、ただご報恩の一念だけで戦い抜いた全顕正会員の信心は、まことに立派でございました。みなが見違える成長を先生にごらん頂かんと、あらゆる困難や魔障を乗り越え、涙ぐましい戦いを展開し、その弘通の赤誠、ついに空前の四万五千になんなんとする大折伏に顕わすことが叶いました。これで令和十年までの三百万の道が大きく開けてまいりました」と。

 その際、会長の脳裏に浮かんだのは、生前の先生が「全顕正会で凄い大折伏が成されたぞ!有難いな」とお喜びになっておられた満面の笑みであり、思わず涙があふれたこと、先生はこの期を画する大前進をごらんになり、「みなさん、よくがんばってくれました。ご苦労さま」と一人ひとりを労って下さっておられるに違いないことをお聞きしては、私も涙があふれました。

 先生のご逝去という深い悲しみを乗り越え、かえって空前の大折伏を敢行し、先生がご決意された2028年・令和10年までの300万への道を大きく切り開かれた会長の強きご一念、透徹のご信心に畏敬の念でいっぱいです。

二大綱目を力強く推進しよう

 次いで浅井会長は、12月は本年の総仕上げ、そして明年への序走の月であるとして、「教学試験」と「広布御供養」について有難い指導を下さいました。「教学試験」については、次回の記事で詳しく紹介したいと思います。

 「広布御供養」について会長は、そのはじまりと精神、そして清らかさを教えて下さいました。

 かつて顕正会が「妙信講」として活動していたころ、初代講頭先生が講の運営経費のすべてを人にも言わずに負担しておられるのを聞き及んだ有志の幹部が「それでは申しわけない」と協力するようになったのが、現在の広布御供養のはじまりでした。

 浅井先生は、誰よりも率先して広布御供養に参加される一方、同志に無理があってはいけないと上限(6万円)を定めて下さいましたが、「本来、宗教の正邪は教義によって決すべきところ、難しいことは抜きにして金銭に対する姿勢を見れば、その正邪は一目瞭然である」との先生のご指導が胸に去来し、誇りと歓喜が込み上げます。

 ではどうして年に一度の、しかも上限を定めた御供養だけでダイナミックな前進が叶うのかといえば、「一切の無駄遣いをしないから」です。

 たとえば、先生は地方の御入仏式などに赴かれる際、ご自宅から昼食のにぎり飯を持参されていたそうです。この質素倹約のお姿、世間では絶対にあり得ません。

 また、十数年前に国税庁の資料調査課、通称「リョウチョウ」と呼ばれる国税の最強部隊が顕正会の調査に入ったときなどは、その主査が「私たちはいろんな宗教団体を見ているので先入観がありましたが、調べるにしたがって、顕正会さんが本当にまじめな団体であることがよくわかりました」と驚嘆していたそうです。なんという清らかさでしょうか。

 かつて先生は、次のように仰せられました。

 「顕正会は、俗にいう『宗教団体』ではない。宗教屋がメシを食うための、坊主がメシを食うための団体ではない。日蓮大聖人の御遺命を奉じて、広宣流布・国立戒壇建立に戦うことを唯一の目的とする仏弟子の集団である。

 よって、この使命を終えたならば、解散するのが当然ではないかと、私は前々から思っている。顕正会が何も永遠である必要はない。・・・私たちは仏弟子として与えられた使命を果たせば、それでよい」と。

 この顕正会の唯一の目的である広宣流布を力強く推進するために、必要な金子をみなで大聖人様に供養し奉る。それが広布御供養の精神です。だから大聖人様に通じ、大功徳がわが身に具わるのです。

創価学会の崩壊いよいよ近し

 このたび浅井会長は、池田大作の死亡が公表されてからのこの1年で、学会崩壊のテンポが一気に加速していることを指導下さいました。

 まず、先の衆院選で公明党が歴史的な大惨敗を喫しました。32議席から8議席も減らし、24議席になってしまったのです。比例代表の得票数もはじめて600万票を割り込み、過去最低でした。

 また党代表の石井啓一をはじめ副代表や中堅議員が相次いで落選し、「常勝関西」と呼ばれ強い地盤を誇った大阪でも、なんと全候補者が落選しました。

 じつは今回の衆院選は、池田大作の死亡公表後はじめての国政選挙だったので、池田の一周忌を衆院選勝利で迎えようと、学会は相当な力の入れようだったそうです。その結果があの惨敗でした。

 これを見れば学会の凋落は誰の目にも明らかです。同時に、高齢の斉藤鉄夫を次の代表にせざるを得ないなど、公明党の人材払底も露呈しました。

 さらに追い打ちをかけるように、公明党が「常勝関西」といわれた大阪で大惨敗を喫した直後、「常勝関西の〝師弟の大殿堂〟」と謳われた学会の重要施設「関西池田記念大講堂」の工事現場で、あろうことか巨大な杭打ち機が横転し、一人を負傷させ、隣の建物を損壊するというあり得ない大事故が発生しました。会長は「これ、近く学会が崩壊することを象徴するような現証である」と仰せです。

 また、学会で副会長・全国副教学部長などを歴任し、本部職員を定年まで勤めた「須田某」という大幹部が学会執行部に対して公然と反旗を翻しました。その内紛劇を週刊誌に報道され、学会に激震が走ったようです。

 会長は、須田某もまた「御本仏に弓を引く輩」であり、「第六天の魔王その身に入る池田大作一党の醜い内紛」と一刀両断しつつ、これ「学会の内部分裂・組織崩壊が表面化してきたもの」であり、「いよいよ学会が崩壊するときは、世法上の悪事が次々と噴き出してくる」として、これまで池田大作が犯した数々の悪事を列挙されました。

 何より、池田大作が「暴力団」を利用してさまざまな工作を行っていたことには驚きを禁じ得ませんでした。

 日本最大の暴力団・山口組の傘下で武闘派として知られた「後藤組」の組長・後藤忠正という人物が引退後に著した自伝「憚りながら」(宝島社文庫)には、その実態が次のように記されています。

 「池田大作のために、それまで散々働いてきた連中や、俺みたいに協力してきた人間を、用済みになったと思ったら、簡単に切り捨てるようなやり方が許せんのだよ

 「池田が裏で何をしてたかといったら、山崎やXをパイプ役にして、俺たちヤクザを散々利用し、仕事が終われば知らんぷりだ。それで俺たちがちょっとでも、もの言おうもんなら、今度は警察権力を使って潰しにかかる。で、それがマスコミにバレそうになったら、今度は頬かむりだ」と。

 いかがでしょうか。池田大作が暴力団まで使って数々の悪事を働いていたことを知れば、このような大悪人を「永遠の師匠」と仰ぐことなど到底できません。

「入阿鼻獄」必定の学会員を救わん

 浅井会長は、「今後、学会・公明党の凋落とともに、さまざまな悪事が暴かれていくことは疑いない。まさしく昨年十一月の池田大作の死亡公表こそ、学会の崩壊を告げる号鐘である」と断じられ、さらに国立戒壇建立の御遺命に背き、戒壇の大御本尊を捨て奉り、大聖人を凡夫視する未曾有の邪教化に陥った学会の大謗法を挙げ、次のように叫ばれました。

日蓮大聖人の御金言虚しからずんば、学会は崩壊すること断じて疑いない

六百万学会員は功徳を失い、臨終に悪相を現じ、後生は『入阿鼻獄』必定である

ここに全学会員は、御金言に毫末も相違せぬ浅井先生の美事な成仏の妙相と、片や誰にも見せられなかった池田大作の悪臨終に刮目し、早く悪師を捨てて正しき師匠・浅井先生に師事すべきである

急ぎ六百万学会員を救い、ともに御遺命成就に戦う同志としてまいらんと願うばかりである」と。

 会長の「何としても全学会員を救い切らん」とのお心が強く命に響きます。

先生のお心のまま一国諫暁に立たん

 最後に会長は、第三度の一国諫暁に臨まれるお心について指導下さいました。

 思えば、第三祖・日目上人は、師兄と慕う日興上人の御入滅後、謗法の限りを尽くした鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇の「建武の中興」をごらんになるや、大聖人様の大願を何としても天子の耳に入れしめんと、74歳の御老齢を顧みず最後の天奏に立たれました。

 そのときの日目上人の御心について先生は、「これをなさねば、大聖人様に申しわけない。もし途上、命尽きるとも、そのときは供の弟子に申状を奏上せしめん」との御決意であられたと常々指導下さいましたが、このたび会長は、「かかる日目上人の忠誠心は、先生のお心そのものと謹んで拝察している」として、先生が常に「先師の地望を遂げんが為に・・・」とのお心で御遺命守護そして御遺命成就に戦い抜かれたことを教えて下さいました。

 そして、日目上人がたとえ御自身の命尽きても大事の天奏を遂げられるよう、「代奏」をも見据え、あえて門下の高弟を供として向かわれたその周到なる御用意こそ、透徹の忠誠心と無限の責任感によるものであり、翻って先生もまた、命尽くまで御遺命成就に戦われ、最後の戦いを我ら弟子に託されたことを指導下さいました。

 謹んで思うに、先生もまた透徹の忠誠心、無限の責任感ゆえに、たとえご自身の命が尽きようとも大事の御奉公をなし遂げられるよう、常に会長をお傍に伴っておられ、年末の遥拝の「代参」をはじめ、すべての大事を会長に託してこられたのだと、その周到なるご用意とそこに込められた先生の深きお心に思いを巡らせては熱涙を禁じ得ませんでした。

 そこに会長は、「私は、来たる第三度の一国諫暁に、先生のご遺志を奉じてそのお心のままに立たせて頂く所存である。これすなわち、先生がなされる一国諫暁そのものである。

 まさに今もなお先生は、大聖人様の大願たる国立戒壇建立に顕正会をして戦わしめておられるものと私は拝している」と叫ばれましたが、先生のご遺志を継ぎ、そのお心のままに最後の御奉公を全うせんと立たれる会長の鉄石のご決意を全身に感じては、「自身も大成長してお応えせねば申しわけなし」と強く思わずにはいられません。

 されば、「いま私は、一周忌法要を終えてからの前進こそが、真価が問われるものと心している」と、一切の油断を排して前進を急がれる会長の驥尾に付し、私も広告文と特集号を手に、御遺命成就のお手伝いに励んでいきたいと思います!