諫臣・争子

「諫臣・争子」特集号が出来しました

 冨士大石寺顕正会の8月度総幹部会を特集した顕正新聞9月5日号が出来しました。その名も「諫臣・争子」特集号!

 ご講演において浅井会長は、浅井先生の仏法上の重大なお立場を示され、第三度の一国諫暁の重大意義を指導下さいましたが、この諫暁によっていよいよ国が必ず動くことを大確信しては、舞をも舞う歓喜がこみ上げます。

 それでは、さっそく見ていきましょう!

広宣流布の大教令を拝し戦わん

 ご講演の冒頭、浅井会長は、本年の最終法戦の最中に浅井先生の一周忌を迎えることに寄せて、「私は、先生の一周忌には見違える成長を遂げた顕正会の姿を、霊山にまします先生にごらん頂かんと、心に決めている」と仰せられ、この法戦に臨むにあたり、大聖人様が全門下に下された広宣流布の大教令をよくよく命に刻むべきと指導下さいました。

 大聖人様は下種本仏成道御書において次のごとく仰せられています。

 「仏滅後二千二百二十余年が間、迦葉・阿難等、馬鳴・竜樹等、南岳・天台等、妙楽・伝教等だにもいまだひろめ給わぬ、法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に、日蓮さきがけしたり。和党ども二陣三陣つづきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にも越えよかし

 何という烈々の御気魄でしょうか。

 浅井先生は「私はこの御教令を忘れたことがない」「この仰せを拝すれば、もうじっとしていられない、との思いが湧いてくる」と仰せのごとく、常にこの御教令を体され、私たち弟子に打ち込んで下さいました。

 会長は、すべては仏様の御化導であるゆえに、御遺命守護そして御遺命成就に命尽くまで戦われた浅井先生のやみ難き広布の大情熱も、いま私たち拙い凡夫が燃える大情熱・ご報恩の思いを滾らせ大難事の広宣流布に勇み立っていることも、すべては大聖人様のお力であると指導下さいましたが、なんと有難いことでしょうか。

 先生の一周忌を見つめ、私も大情熱を燃やして御奉公に励んでいきたいと思います。

浅井先生の「諫臣・争子」のお立場

 次いで浅井会長は、「本日は、浅井先生の『諫臣・争子』のお立場を拝し、第三度の一国諫暁の重大御奉公を見つめていきたい」として、きわめて大事な指導を下さいました。

 「諫臣・争子」とは、大聖人様が北条時宗への御状で仰せられた、「諫臣国に在れば則ち其の国正しく、争子家に在れば則ち其の家直し」のことです。国主を諫める臣下があればその国は正しさを保つことができ、親を諫める子があればその家は曲がらないと。

 浅井先生は、顕正会の立場について、「いま広宣流布の前夜、顕正会は、国に在っては諫臣、正系門家に在っては争子である」と高らかに宣示されました。

 一国を諫暁して日蓮大聖人に帰依せしめ、日本を救う「諫臣」であり、また正系門家を諫め糺す「争子」こそ、顕正会なのだと。なんと重大な立場でしょうか。

「争子」として宗門諫暁に立たれる

 浅井先生の「争子」としての戦いにより、国立戒壇の御遺命は死守され、偽戒壇・正本堂は崩壊するに至りました。これは先生の三度にわたる宗門諫暁によってなされたのです。

 第一の諫暁書は、昭和45年3月の「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」。

 第二の諫暁書は、昭和46年11月の「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」。

 第三の諫暁書は、平成2年4月の「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」。

 これらの諫暁書が、どれほど学会首脳と宗門高僧の肺腑を抉り、強い衝撃を与えたことか。

 ことに第三の諫暁の威力は凄まじく、これを機に学会・宗門の間で「修羅と悪竜の合戦」のごとき大抗争が始まり、憤怒に駆られた阿部日顕は、ついに偽戒壇・正本堂を打ち壊すに至ったのでした。

 浅井先生は第三の諫暁書の執筆にあたり、「止めを刺すときがきた。私は大聖人様に祈りを込めて諫暁書を認めている。顕正会の諫暁と死身弘法の赤誠、大聖人様に達するのとき、諸天は必ず動く」と師子吼されましたが、まさにこの仰せのとおりになったのです。

 浅井会長は、「まさしく先生の後ろには御本仏・日蓮大聖人がついておられたのであり、換言すれば、未曾有の大悪を許し給わぬ大聖人様が先生をして諫暁せしめ、ついに正本堂を打ち砕き給うたものと、伏して拝するものである

 ここに第六天の魔王が、御本仏の御遺命を破壊せんとした企みは、先生の三度にわたる諫暁により、凡慮を絶する不思議を伴い、ついに崩壊し畢ったのである」と仰せられましたが、広布前夜に一度だけ起こる御遺命破壊の大悪を打ち摧かれた先生の「争子」としての御奉公の重大さに畏敬の念でいっぱいです。

「諫臣」として一国諫暁に立たれる

 この宗門諫暁における不思議を拝すれば、先生の一国諫暁により、今度は日本国に大現証が起こること疑いありません。

 浅井先生は、「宗門における御遺命守護完結の姿は広宣流布のモデルケースである。今度は日本の国家を単位とした大きな現証が起きてくる。すべては大聖人様の御力による。私たちはそのお手伝いをさせて頂いているのである」と仰せられ、二度にわたって一国諫暁に立たれました。

 第一の諫暁書は、平成9年7月16日の「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」。

 第二の諫暁書は、平成16年4月28日の「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」。

 この二度の諫暁は、亡国の根本原因を知らない全日本人の耳目を驚動させ、「仏法より事起こる」ことを命に刻みつける事前告知でした。

 平成16の諫暁書の冒頭には、次のように記されています。

 「日本は今、亡国の前夜を迎えている。その亡国は、どのような災難によってもたらされるのかといえば――

 まもなく始まる巨大地震の連発を号鐘として、国家破産、異常気象、大飢饉、大疫病(感染症)等の災難が続発し、ついには亡国の大難たる自界叛逆(国内の分裂抗争)と他国侵逼(外敵の侵略)が起こるのである」と。

 いかがでしょうか。その後の日本の姿を見れば、まさしく先生が諫暁書に言い置かれたとおりの世相となっています。

 浅井会長は、その一つ一つを具体的にお示し下さいました。

 「巨大地震」は平成23年にマグニチュード9・0の観測史上最大の東日本巨大地震が発生し、それより「大地動乱の時代」に突入した日本は、マグニチュード3~6の地震の頻度が約5倍に急増し、最大震度7の巨大地震も本年元日の能登半島地震を含め各所で続発、日本を壊滅させる南海トラフ・首都圏直下の大地震も近づきつつあります。

 「国家破産」はアベノミクスの放漫財政・バラマキにより対GDP比254%の1311兆円にものぼる政府債務を抱えた今、もはや不可避。

 「異常気象」は「地球沸騰化の時代」といわれるほどの記録的な高温、大雨による洪水、干ばつ、森林火災などが世界規模で発生。

 「大飢饉」はまもなく起こる台湾有事等によるシーレーン封鎖で輸入が止まれば食糧自給率わずか38%の日本は直ちに直面し、「大疫病」は新型コロナが世界的に流行して夥しい死者を出しています。

 何より平成16年当時には誰もが想像していなかった「他国侵逼」が、いよいよ近づきつつあります。

 複数の米軍幹部が「2027年」もしくは「もっと間近に迫っている」と証言するほど中国による台湾侵攻が切迫する中、日米両政府は自衛隊を米軍の指揮下に組み込むべく軍組織の再編等を進め、これに反発する中国は「環球時報」で「東京は核兵器の紛争を含む他国からの反撃の最前線に立たされることになる」と苛烈な表現で日本を威嚇しています。

 まもなく始まる台湾有事の際、自衛隊が米軍の下請けとして動けば、日本は中国との軍事衝突の最前線に立たされ、核攻撃の対象となります。しかしアメリカが中国と全面対決してまで日本を守ることはあり得ません。ここに孤立した日本は、中国の強大な軍事力によって血祭りに上げられるのです。

「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」

 いかがでしょうか。このように浅井先生が諫暁書で言い置かれた亡国の大難は、今いよいよ事実となってきているのです。この大難は、日本一同の仏法違背と正系門家の御遺命違背による「仏法より事起こる」大罰であれば、日蓮大聖人の三大秘法を立てる以外に遁れる術はありません。

 ここに日本を救う顕正会の「第三度の一国諫暁」の重大意義があるのです。

 浅井会長は叫ばれました。

 「すでに日蓮大聖人の大恩徳を顕わした広告文の発行部数は一億部、さらに顕正会員による折伏は月々にその熱烈さを増し、今や列島の至るところで交錯しております。

 そこに、先生の二度におよぶ一国諫暁の『事前告知』が一つひとつ事実となる中、三百万が一結して眼前の大罰を指さして『日蓮大聖人を日本国の柱にせよ』と一国を諫暁するとき、亡国眼前の日本は必ず動く。

 そして、大聖人様は『一閻浮提の大闘諍』起こるとき、『他国来難』の起こるとき、この大罰を用いて一時に広宣流布をあそばす。

 『ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし』(上野殿御返事)は事実になるのであります」と。

 そして、この第三度の一国諫暁により一国が動くことは、浅井先生の仏法上の重きお立場を拝するとき、より実感を以て胸に迫ります。

 会長は、なぜ浅井先生の一国諫暁によって亡国の客観情勢が作られるのかについて、重大指導を下さいました。

 「謹んで思うに――正系門家の悉くが師敵対に陥るという未曽有の大悪が起き、ゆえに亡国を迎える日本にあって、『諫臣・争子』として諫暁を重ねてこられた先生こそ、大聖人様が召し出された『遣使還告』のお方と拝するものであります。

 かかる仏法上、重大なお立場だからこそ、先生の諫暁によって『虎うそぶけば大風ふく、竜ぎんずれば雲をこる』との御金言のごとく、一国一同が『日蓮によりて日本国の有無はあるべし』との重大聖語を深刻に理解せねばならぬ客観情勢が作られるのであります」と。

 まさしく、大聖人様が広布前夜に召し出された「遣使還告」のお方だからこそ、大聖人様の御意のままに叫ぶ浅井先生の諫暁に諸天が感応し、日蓮大聖人を信ぜざるを得ない客観情勢が作られるのです。

 そこにいま「浅井先生の弟子」として、そのご遺志を継ぎ、第三度の一国諫暁の御奉公に立たせて頂ける私たち顕正会員の立場は、なんと有難いことでしょうか。浅井会長は、その大宿縁を思うとき、「『舞をも舞いぬべし』の大歓喜が込み上げてくる」と仰せです。

 私も広告文と特集号を手に、いよいよ日蓮大聖人の大恩徳を全日本人に伝え、広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!