「正本堂崩壊、大扉開かず」特集号が出来しました
顕正新聞令和4年2月5日号が出来しました。その名も「正本堂崩壊、大扉開かず」特集号!
1月度総幹部会を報じた本特集号には、妙観講員が大草一党の捏造を認める謝罪・声明文を書いた登壇や、宮内庁OBに皇室の仏法守護の一大使命を伝えた登壇、父や母が「成仏の相」で良き臨終を遂げた登壇などが掲載されており、拝読するほどに感激が込み上げます。
そして、浅井先生から頂いた重大指導は、「正本堂崩壊」と「大扉開かず」という2つの大現証を通して「広宣流布絶対」の大確信を深めさせて頂けるたいへん有難いものでした。
それではさっそく見ていきましょう!
信・行・学兼備の人材に
冒頭、浅井先生は、約3万名が受験した本年の教学試験に寄せて、諸法実相抄の仰せを引かれ、「大聖人様の弟子たる我々の信心の在り方」を指導下さいましたが、勤行と折伏、そして教学がいかに大事かを改めて掴ませて頂きました。
そして、教学は学者になるためでもなければ名利のためでもなく、まさに信心を深めるために学ぶこと、ゆえに「『信心に始まり信心に終わる。有難いに始まり有難いに終わる』これが顕正会の教学である」と仰せ下さいました。
たとえ知識が増えても、そこに「有難い」「お慕わしい」との心底から湧く歓喜がなければ無意味であり、かえって慢心・増長して死身弘法から身が遠ざかるものと想像しては、いま浅井先生から信心を深める正しい教学を教えて頂けることは何と有難いのかと、改めて噛みしめました。
されば「どうか『基礎教学書・日蓮大聖人の仏法』を繰りかえし読み、信・行・学兼備の人材になって広宣流布を進めてほしい」との仰せを胸に、私も先生が心血注いで御書の極理を著わして下さった本書を心肝に染め、信・行・学兼備の人材に成長させて頂きたいと思うばかりです。
日本の破局と根本原因
次いで先生は、「私はいま、日本の破局が急テンポで迫りつつあるを、ヒシヒシと感じている」として、その理由につき、第1に「日本の財政破綻」、第2に「異常気象による世界的な食糧危機」、第3に「米国の衰退と中国の台頭」を挙げて具に教えて下さいました。
いずれも日本にとって構造的かつ死活的な問題ですが、それが広布の決戦場たる20年代に入って一気に表面化してきたことには慄然としました。
その上で先生は、「なぜこのような大難が、急テンポに迫ってきたのか」と、世間の識者では到底及ばぬその「根本原因」につき、仏法上の御見識から重大指導を下さいました。
それは実に、御本仏日蓮大聖人に背き奉るゆえであり、遠くは御在世の日本国が大恩徳まします大聖人の御頸を刎ね奉らんとした大逆罪、近くは唯一の正系門家である富士大石寺において大事の御遺命が消滅し、八百万学会が戒壇の大御本尊を捨て奉った極限の大謗法・師敵対によることを示されましたが、眼開く思いとなり、「影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体に影の添うがごとく、わざわひ来たるべし」(十字御書)との、御在世の蒙古襲来という現証に裏付けられた御金言の重きを心腑に染めさせて頂きました。
しかしこの大罰こそ、日蓮大聖人があそばす広宣流布の御化導に伴う諸天の働きにほかならず、御在世には大蒙古の責めという大罰を以て人々を改悔させ、未来に仏に成る種を植える逆縁広布をあそばし、広布前夜にはいよいよ「前代未聞の大闘諍」「他国来難」という大罰を用いて一時に順縁広布をあそばすことを指導頂いては、すべては大慈大悲・絶大威徳まします御本仏の御化導なのだと大感動が込み上げました。
「正本堂崩壊」と「大扉開かず」の大現証
そこにこのたび先生より、「正本堂崩壊」と「大扉開かず」という2つの大現証についてご教示頂き、広宣流布へのさらなる大確信に立たせて頂きました。
宗門の最高権威たる「時の貫首」が「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」「この正本堂に戒壇の大御本尊を永久に安置する」と宣言し、最高権力者たる総講頭・池田大作が「一万年後に、この正本堂地下室を開ける」と壮語した偽戒壇・正本堂が、わずか26年で崩壊することなど、いったい誰が想像できたでしょうか。まさに凡慮を絶する不思議とはこのことです。
また、浅井先生は平成17年、正本堂崩壊後もなお改悔なく国立戒壇を誹謗し続ける阿部日顕に対し、100万顕正会の命運を賭して公開対決を申し入れられました。しかし阿部日顕は言を左右にしてこれを逃避、宗門の全僧俗も「代人を立てるを認める」との約定にもかかわらず対決を逃げてしまいました。
そこに先生は、平成17年8月28日、「最後に申すべき事」と題する一書を阿部日顕に送付し、もって阿部の三大謗法に止めを刺されました。その末文に云く
「これが小生の最後の諫めである。もしこの言を卑しんで一分の改悔もなければ、後生の大苦こそまさに恐るべし。顕立正意抄の仰せに云く『我が弟子等の中にも信心薄淡き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず』と。
以上、用捨は貴殿に任す。小生はただ謹んで
御本仏日蓮大聖人に言上し、御裁断を仰ぎ奉るのみである」と。
いかがでしょうか。浅井先生は「最後に申すべき事」において、阿部日顕が読もうと読むまいと関係なく、阿部の大聖人に背き奉る邪智・悪逆の骨髄を断ち、天魔その身に入る正体を白日の下に晒し、もって御本仏日蓮大聖人に言上し、御裁断を仰ぎ奉ったのです。
すると不思議なことが起こりました――。
11月7日、阿部日顕が御開扉の導師を務めんとしたとき、須弥壇の大扉がどうしても開かなかったのです。この大扉は電動ですが手動でも開けられるため、直ちに大勢の青年僧が手動で開けようとしました。しかし大扉はビクとも動かず、ついに御開扉は中止のやむなきに至ったのです。阿部日顕は立ち上がり、「御開扉料は返します」と一言述べただけで、憮然・悄然として導師席を降りました。
このように〝「時の貫首」の立場にある者が御開扉をしようとして大扉が開かず、中止に追い込まれる〟という異常事態は、宗門七百年の歴史に未だ曽てありません。なんと不思議なことでしょうか。
この不思議を眼前にして恐れ慄いた阿部日顕は、その翌月、猊座を退きました。浅井先生が「最後に申すべき事」を送付してから3か月後の平成17年12月15日のことでした。ここに、その前年に宗規を改変して「終身法主」を目論んだ阿部日顕の小細工も虚しく、先生の直諫どおり退座せざるを得なくなったのです。
浅井先生は次のように仰せられています。
いいですか。
「正本堂の崩壊」と「大扉開かず」という凡慮を絶する二つの大現証こそまさしく、大聖人様は断じて御遺命破壊の大悪を許し給わずの大現証であります。
御本仏の御遺命は金剛不壊である。誰人も壊せないのです。
そして大聖人様は「前代未聞の大闘諍」が起こるとき、そして「他国来難」が日本を襲うとき、この大罰を用いて、一時に広宣流布をあそばすのです。
ゆえに上野抄には
「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」と仰せあそばす。
顕正新聞「正本堂崩壊、大扉開かず」特集号
いかがでしょうか。「正本堂崩壊」と「大扉開かず」という凡慮を絶する大現証を刮目して拝するとき、そこに示された大聖人の厳たる御意、諸天の働きを如実に拝し、まさに「常住此説法」「仏法は生きている」との大感動に全身が包まれます。
同時に、この凡慮を絶する不思議を拝するほどに、御本仏大聖人の大慈大悲・絶大威徳により為される順縁広布もまた絶対との大確信が込み上げます。
されば「この重大御化導をお手伝い申し上げるのは、御遺命守護のゆえに解散処分を受けるとも一筋の忠誠を貫き、いま三百万の仏弟子の大集団に成らんとしている顕正会以外には、断じてあるべくもない」との浅井先生の仰せを胸に、私も広告文と特集号を手に広宣流布のお手伝いに邁進していきたいと思います!