日興上人御報恩勤行会が奉修されました

御入滅690年の勤行会

 第二祖・日興上人の御入滅より690年の御正当にあたる令和4年2月7日、浅井先生のもと、本部会館において「日興上人御報恩勤行会」が奉修されました。

 席上、浅井先生より頂いたご指導はたいへん有難く、先生率いる顕正会こそ御本仏日蓮大聖人の御心のままに御奉公する唯一つの仏弟子の大集団であることを改めて心腑に染めさせて頂きました。

「末法下種の僧宝」

 浅井先生は、日興上人の御恩徳につき、次のように指導下さいました。

 まことに日興上人こそ、御本仏日蓮大聖人の御大法を、一分の誤りもなく末法万年に正しく清らかにお伝え下された、ただ一人の聖者であられる。

 もし日興上人がましまさなかったならば、末代の三毒強盛の我ら凡夫、どうして大聖人様を久遠元初の自受用身・末法下種の本仏と知り奉ることができたか。どうして三大秘法を正しく受持・信行して一生成仏が叶う身となれたでありましょうか。

 このゆえに日興上人を「末法下種の僧宝」と尊崇し奉るのであります。

 日寛上人は当流行事抄に、次のごとく御指南下されている。

 「久遠元初の仏・法・僧、則ち末法に出現して吾等を利益したもう。若し此の三宝の御力に非ずんば、極悪不善の我等、争(いかで))(か即身成仏を得ん」と。

 このように末法には「久遠元初の三宝」すなわち仏・法・僧が出現される。

 この三宝とは、まさしく久遠元初の仏宝とは日蓮大聖人、久遠元初の法宝とは本門戒壇の大御本尊、そして久遠元初の僧宝とは日興上人であられる。

 この久遠元初の三宝の御力でなければ、末法の極悪不善の我らは、とうてい一生成仏を得ることができないのであります。

顕正新聞令和4年2月25日号

 いかがでしょうか。大聖人滅後、他の門下の高弟・五老僧がことごとく大聖人の御義に背いて師敵対に陥る中に、日興上人ただ御一人が大聖人の御大法を正しく清らかにお伝え下さいました。だからこそ、いま私たちは日蓮大聖人こそ「久遠元初の自受用身」「末法下種の御本仏」と知り奉り、三大秘法を正しく受持・信行して一生成仏が叶う身となれたのです。なんと有難いことでしょうか。

 まさに日興上人こそ、末代の極悪不善の私たち衆生をお救い下さる「末法下種の僧宝」にてましますのです。

日蓮大聖人一代御化導の大綱

 日興上人は13歳のとき、岩本の実相寺で初めて日蓮大聖人に値い奉るや、久遠元初以来の宿縁薫発して直ちに御弟子となられました。そしてそれ以降、寸時もおそばを離れることなく大聖人に仕え奉り、一代御化導を助けまいらせたのです。この師弟不二・一体の御境界を「唯仏()与仏(」「唯我()()()」と申し上げます。

 浅井先生は、この日興上人の御境界に寄せて、日蓮大聖人の一代御化導の大綱を指導下さいました。

 松葉ヶ谷の草庵襲撃、伊豆流罪、小松原の剣難、竜の口大法難と引き続く佐渡流罪と、凡夫であれば到底耐えられない大難を耐え忍んで三大秘法をお弘め下された大慈大悲。大聖人を怨嫉した北条重時一門、東条景信に忽ち現れた現罰の凄まじさ。国家権力も御頸切れずにひれ伏した竜の口の大現証と、蒙古襲来の御予言的中に示された絶大威徳――。

 先生より、大聖人一代三十年の御化導の大綱を一気呵成に伺い、改めて「日蓮大聖人とはなんと偉大な仏様なのか」と大感動でいっぱいとなりました。

広宣流布への一本のレール

 次いで浅井先生は、大聖人御入滅後、日興上人が「本門弘通の大導師」として、実に51年間にわたって御化導をあそばされたお姿を指導下さいました。

 その間、門下の弘通は、北は東北から南は九州・四国に至るまでの驚異的な広域に及びました。また、国立戒壇建立の御遺命を奉じて、実に42回にわたる国家諫暁もなされています。

 先生は次のように指導下さいました。

 これらを拝見するとき、日興上人・日目上人の富士大石寺門流には、まさに「広宣流布、朝夕近し」の大情熱がたぎっていたのであります。

 そしてこの五十一年間に、日興上人は、日蓮大聖人の仏法が正しく末法万年に伝わるようにと、「富士一跡門徒存知事」「五人所破抄」あるいは「日興遺誡置文二十六箇条」等、多くの御指南を留め置かれた。

 ゆえに私たちは、日興上人がこの五十一年間に敷いて下さったレールの上を、そのまま真っすぐに進んで行けば、必ず広宣流布に至るのであります。

顕正新聞令和4年2月25日号

 いま浅井先生のもと、日興上人が敷いて下さった広宣流布に通ずる一本のレールの上を真っすぐに歩ませて頂けることは、何と有難いことでしょうか。だからこそ顕正会には御在世のごとく「広宣流布、朝夕近し」の大情熱がたぎり、全国で熱烈な折伏弘通がなされているのです。

「原殿御返事」を拝し奉る

 最後に浅井先生は、日興上人が身延離山の際、地頭の波木井実長の子息で清純な信心を持していた原殿に賜った「原殿御返事」の一節について諄々と指導下さいました。以下、全文を引用します。

 「身延沢を罷(まか)り出で候事、面目なさ、本意(ほい)なさ、申し尽くし難く候へども、打ち還し案じ候へば、いずくにても、聖人の御義を相継ぎ進(まい)らせて世に立て候わん事こそ詮にて候へ。
 さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候いぬ。日興一人、本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って覚え候へば、本意(ほい)忘るること無く候

 ―身延の沢を退出することについて、その面目なさ、本意なさは、とうてい言葉には尽くしがたい――と仰せ下されている。

 それは、たとえ地頭が許されざる大謗法を犯したとはいえ、日興上人に付き切る清純な信心を貫いている地頭の息子たちを残して、身延を去ることの辛さ。

 また大聖人様から付嘱を受けた「身延山久遠寺」を離れることの切々たる思い。これを「面目なさ、本意なさ」と仰せ給うたのです。しかしこれは情の面からの仰せです。

 次いで仰せられる。

 「打ち還し案じ候へば、いずくにても、聖人の御義を相継ぎ進らせて世に立て候わん事こそ詮にて候へ」と。

 ―よくよく案ずれば、いずこの地であろうとも、大聖人の御義を相継ぎまいらせて、正しく世に立てることこそ最も大事大切なのである――と。

御弟子悉く師敵対

 さらに仰せられる。

 「さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候いぬ

 ―そうであるべきと思って門下を見るに、御弟子はことごとく大聖人に背く師敵対に陥ってしまった――と。

 そうでしょ。五老僧はことごとく「天台沙門」と名乗ったり、釈迦仏を本尊としたり、神社参詣をも許している。まさしく師敵対そのものになってしまったのです。

鉄石の御決意

 そして最後に仰せられる。

 「日興一人、本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って覚え候へば、本意忘るること無く候」と。

 ―日興一人、御本仏・日蓮大聖人の正義を知り、国立戒壇建立の御遺命を遂げ奉るべき立場にいる者であれば、その本意、忘れたことはない――と。

 ここに、血脈相承を受け国立戒壇建立の御遺命を受け給うた唯御一人として、鉄石の御決意を示し給うておられる。

 この身延離山の大精神は、広宣流布前夜の今こそ、顕正会員は深く拝し奉らなければなりません

 いいですか。

 国立戒壇建立の御遺命は、別しては日興上人ただ御一人への仏勅であられるが、同時に総じては門下一同への御命令でもある。

広布前夜の今、学会・宗門師敵対

 しかるに今、広布前夜を迎えて、正系門家一同が師敵対に陥ってしまったではないか。第六天の魔王のたばかりとはいえ、これはいったいどうしたことか。

 すなわち、池田大作は政治野心を遂げんがために「国立戒壇」を否定して「偽戒壇・正本堂」を建て、一方、池田にへつらう「時の貫首」はこの偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇」と認証してしまった。

 この師敵対の罰によって学会と宗門が抗争に陥るや、池田大作はさらにあろうことか、戒壇の大御本尊をも捨て奉り、一方、阿部日顕は大謗法の身延派とも連携した。何たる無道心、何たる師敵対であろうか。

 だが、大聖人様はこの大悪を断じて許し給わず。ゆえに顕正会をして諫暁せしめ、ついに正本堂を崩壊せしめ給うた。さらに「大扉開かず」の大現証を以て、「終身法主」を企んだ阿部日顕を退座せしめ給うたのであります。

 この二大現証を眼前にすれば、「日本国一時に信ずる事あるべし」の御予言も、実感を以て拝し奉ることができる。

 大聖人様は、「前代未聞の大闘諍」が一閻浮提に起こるとき、そして「他国侵逼」が日本を襲うとき、この大罰を用いて、日本国を一時に信ぜしめ給うのであります。

 広布最終段階におけるこの重大御化導をお手伝い申し上げるのは、御遺命を守り奉ったゆえに理不尽な解散処分を受けるとも一筋の忠誠を貫き、いま三百万の仏弟子の大集団に成らんとしている顕正会以外には、断じてあるべくもない。

 さあ、本日の日興上人・第六九〇年の御正当を期して、いよいよ全員で歓喜の大行進を起こし、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。

顕正新聞令和4年2月25日号

 いかがでしょうか。広布前夜の今、創価学会と日蓮正宗(宗門)は第六天の魔王に誑かされ、大聖人一期の御遺命に背き奉る等の極限の大謗法・師敵対に陥ってしまいました。この姿、あたかも五老僧が大聖人に背き奉る師敵対に陥った姿と重なりますね。

 このとき、日興上人がただ大聖人の御意のままに、当時の濁りを打ち破って御遺命成就に直進された大精神が示された「原殿御返事」。浅井先生は、「この身延離山の大精神は、広宣流布前夜の今こそ、顕正会員は深く拝し奉らなければならない」と仰せられています。

 まさしく大聖人一期の御遺命をただ御一人守り奉り、その実現に全責任を担われる浅井先生の鉄石の御決意を、「顕正会以外には断じてあるべくもない」との仰せに伏して拝しては、「日興一人」との日興上人の御決意と重なり、畏敬の思いでいっぱいとなります。

 いま先生のもと、大聖人の御心のままの信行が叶い、御遺命成就という二度とない大仏事のお手伝いが叶う私たち顕正会員の立場は、何と有難いことでしょうか。

 いよいよ大確信に立って、広告文片手に広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!