「立正安国論」特集号が出来しました!
顕正新聞令和3年7月5日号が出来しました。その名も「立正安国論」特集号!
7月は、日蓮大聖人が「立正安国論」をもって初めて国主を諫暁された月ですね。それにちなんで浅井先生が、立正安国論の甚深の御意を教えて下さったのが、今回の特集号です。
「立正」とは、詮ずるところ国立戒壇の建立ですから、いま御遺命に背き、国立戒壇を放棄している創価学会・日蓮正宗には、立正安国論の御意を正しく拝することなど到底できません。
そこに、御遺命をただ御一人守り奉られた浅井先生から、この重要御書の御意を正しく教えて頂けることは、なんと有難いことでしょうか。ぜひ繰り返し拝読し、心肝に染めていきたいと思います!
立正安国論とは?
「ちょっと待って!私、『リッショウアンコクロン』って聞いたことないんだけど、それって何なの?」と思われた、そこのあなた!
・・・ご安心ください。1つずつ説明していきますね。
立正安国論は、日蓮大聖人が立宗から7年後の御歳39歳、文応元年7月16日に、時の国主・北条時頼(最明寺時頼)に宛てられた国家諫暁の一大重書です。
当時、その3年前に起きた正嘉の大地震を機に、天地が狂ったように大風・大洪水・大火・大飢饉・大疫病等が続き、ために死者がちまたに溢れ、ついには国中の過半の人々が死を招くに至りました。
大聖人は、この大災難をご覧になって、これ「一国の謗法による」と、その根源を深く深く知り給い、もし謗法を止めなければ、必ず自界叛逆(※国内の内乱)・他国侵逼(※他国の侵略)の二難が起こることを厳然と予言し給い、「早く邪法を捨てて正法を立て、金剛不壊の仏国を実現せよ」と国主を諫暁あそばされました。これが「立正安国論」です。
「身命定めて喪わんか」
当時は独裁武断政治の時代で、国主は邪法を深く信じていました。その国主に対して、「邪法を捨てて正法を立てよ」と諫暁し給うことが、どれほど大聖人の御命の危険を招くことになるか。大聖人は教機時国抄に「身命定めて喪わんか」と仰せられています。
事実、安国論奏進を機として、松葉ヶ谷の草案襲撃、伊豆流罪、小松原の剣難、竜の口の大法難・佐渡流罪と、まさに命がいくつあっても足りないような大難が波のごとくに起きてきたのです。
浅井先生は、「まことに、一切衆生を現当二世に救わんと、身命をも惜しみ給わぬこの大慈大悲を拝すれば、ただひれ伏して合掌し奉るのみであります」と仰せですが、御本仏の大慈大悲はなんと深いのかと、ひれ伏す思いとなります。
一代御化導における安国論の位置
次に浅井先生は、立正安国論が大聖人の一代御化導においていかなる位置にあるかを指導下さいました。まず冒頭に結論が示されています。
大聖人一代御化導の目的は、三大秘法を以て日本および全世界の一切衆生を現当二世にお救い下さるにあられる。すなわち仏国の実現です。そして、この仏国を実現する一大指南書が実に立正安国論なのです。ゆえに大聖人様の一代御化導は、そのまま立正安国論の実践であられる。
されば立正安国論こそ、大聖人一代御化導を貫く大綱の御書であります。大綱とは、大づな・大本の意です。
「立正安国論」特集号
いかがでしょうか。なんとも明快なご指導ですね!
大聖人の御書は四百余篇といわれますが、この立正安国論こそ、大聖人の一代御化導を貫く大綱の御書なのです。
では、他の御書との関係はどうなるかというと、竜の口法難以降に著された開目抄・観心本尊抄・法華取要抄・撰時抄・報恩抄・三大秘法抄等の重要御書は、御化導の進展に伴って、それまで御胸中に秘しておられた「三大秘法」の実体を明かし給うておられます。換言すれば、これらの重要御書は、「立正」とは何かということ、つまり「立正」の二字の深意を開示し給うた重書なのです。
浅井先生は、「されば、これら重要御書を横糸として攝し、縦に一代御化導を貫く立正安国論こそ、御書四百余篇の首位・代表と拝すべきであります」と仰せられています。このことは、日寛上人の「此の論、首(はじめ)に居く事」からも拝せられますね。
浅井先生は、「以上のごとく拝すれば、大聖人様の一代御化導は、まさに立正安国論に始まり立正安国論に終わるを知り奉ることができる。さればこの一書に、大聖人様の御願業のすべてがこめられているのであります」と総括されましたが、大感激がこみ上げます。本論に大聖人の御願業のすべてが込められていることを思うとき、立正安国の実現である広宣流布・国立戒壇建立の重大さがよりいっそう強く胸に迫ってきます。
諸天に申し付けて二難を起こさしむ
「へえ、そうだったんだ!立正安国論には日蓮大聖人の御願業がこめられているんだね。ところで、安国論の御予言って、たしかその後事実になったんだよね。一体どうして的中したのだろう?僕にはとても偶然には思えないのだけれど・・・」と思われた、そこのあなた!
・・・大変良い質問だと思います(笑)
仰るとおり、立正安国論の御予言は、その後、寸分も違わず的中しています。自界叛逆(国内の内乱)は、安国論奏進の12年後、文永9年に北条一門の同士討ちとなって現れ、他国侵逼(他国の侵略)は、その2年後の文永11年に大蒙古の責めとなって現れているのです。
では、なぜ御予言は一分も違わずに符合したのでしょうか。浅井先生はズバリと仰せれています。
いいですか。大聖人様は実に、諸天に申しつけて自界叛逆と他国侵逼を起こさしめ給うた。だから御予言は一分も違わないのです。
大聖人様は諸天に申しつけて御化導をあそばす。これが仏様の絶大威徳であられる。
「立正安国論」特集号
いかがでしょうか。なんというかもう、「究極の答え」という感じですよね!
つまり、〝大聖人ご自身が諸天に申しつけて起こさしめたのだから、的中して当然である〟ということです。なんと凄いことでしょうか!これが諸天に申しつけて御化導をあそばす御本仏の絶大威徳なのです。
そして、実はこの他国侵逼の予言的中は、大聖人を憎み南無妙法蓮華経に敵対する人々を改悔させ、後生に無間地獄に堕ちるという大苦を、今生に消さしめんとされた大慈大悲であられたのです。浅井先生は「これほどの透徹した大慈大悲がありましょうか」と仰せですが、日本国の一切衆生を現当二世に救わんと、「身命定めて喪わんか」との御覚悟で安国論を奏進して下さった大聖人の大慈大悲のお振舞いには、思わず胸が熱くなります。これが御在世の逆縁広宣流布の御化導であられたのです。
「未来亦(また)然るべきか」こそ広布前夜の御予言
最後に、立正安国論の「奥書」について拝していきましょう。
この「奥書」というのは、立正安国論奏進の9か年後に、大蒙古から侵略の意志を示した国書が到来し、翌文永6年に再び同様の国書が到来したとき、大聖人が改めて立正安国論を御自ら書写され、その文末に所感を記入あそばされたものです。
奥書には次の御文があります。
「既に勘文之に叶う。之に准じて之を思うに、未来亦(また)然る可きか。此の書は徴(しるし)有る文なり」と。なんとも重大な仰せですね。
浅井先生は次のように指導下さいました。
大聖人様が立正安国論に「他国侵逼の難」を予言された時、日本中の誰がこれを信じたであろうか。
そうでしょ。日本は四方を海で囲まれているのです。開闢以来未だ曽て外敵に侵略されたことがない。ゆえにこの御予言は荒唐無稽の威しとも取られたに違いない。
だがそれより九ヶ年を経て、大蒙古国から日本国を襲うべき由の国書が到来し、その六年後の文永十一年には、ついに大蒙古国の軍船が海を覆って日本に襲来した。御予言は一分も違わず符合したのです。
まさに立正安国論は理論と現証の一致を以て示された国家安泰・世界平和の一大指南書である。ゆえに未来も亦、この法則のままに、国家も人類も動いていくのであります。
ことに「未来亦然るべきか」との仰せは、未来広宣流布の前夜に、再び日本国に、立正安国論に御示しの深刻なる自他の二難が起こることを、兼ねて仰せ給うたものであると、私は深く拝しております。
「立正安国論」特集号
いかがでしょうか。立正安国論は、単なる「理論」をお説き下されたものではなく、他国侵逼の御予言的中という重大な「現証」を伴った書なのです。このように、「理論」と「現証」の一致を以て御示し下された書なればこそ、未来もまた、ここに示された法則のままに、国家も人類も動いていくことがわかります。なんと凄いことでしょうか!まさに全人類が仰いで真剣に拝すべき、国家安泰・世界平和の一大指南書といわなければなりません。
いま全世界を巻き込む「前代未聞の大闘諍」が、刻々とその姿を現しつつあります。それが、アメリカと中国による世界の覇権を賭けた抜き差しならぬ対決です。
現状は、米中ともに相手国を壊滅させるに足る核兵器を保有するも、報復攻撃を恐れて互いに迂闊には手が出せない「恐怖の均衡」により、かろうじて平和が保たれています。しかし、今や宇宙戦・サイバー戦・電子戦という、一昔前では想像もつかなかったような戦術が生まれ、たとえばサイバー攻撃を用いれば、原子力関連施設などを音もなく機能停止させ、破壊し得るといわれています。
これらを用いた第三次世界大戦が始まったら、人類は絶滅せざるを得ません。この大戦争こそ、大聖人が広宣流布の前夜に必ず起こると御予言下された「前代未聞の大闘諍」そのものです。
その根本原因は、立正安国論に御示しのごとく、「世皆正に背き、人悉く悪に帰す」のゆえ、つまり、日本一同の仏法違背と正系門家の師敵対です。
お救い下さるは日蓮大聖人ただ御一人
この亡国の大悲惨をお救い下さるのは、諸天に申しつける絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であり、このとき大聖人は日本国の広宣流布をあそばすのです。それが「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」(上野抄)との仰せです。そして、このとき立正安国論の御聖意のままに国立戒壇が建立され、日本は金剛不壊の仏国となるのです。
浅井先生は叫ばれました。
この重大御化導を、お手伝いし奉る仏弟子の集団は、御遺命のゆえに解散処分を受けるとも一筋の忠誠を貫き通し、ついにいま三百万の仏弟子の大集団と成らんとしている顕正会以外には、断じてあるべくもない。
「立正安国論」特集号
私も立正安国論の御意を胸に、広宣流布・国立戒壇建立のお手伝いに励んでいきたいと思います!