みんなが尊敬すべきもの=主・師・親
最近は尊敬できない大人が増えてきましたね。
国のかじ取りをする政治家はウソばかり、都合が悪くなると「記憶にございません」と言えば済んでしまう、崩れた世の中になってきました。
学校の先生の生徒に対する不祥事も後を絶ちません。
親が子どもを殺す事件も頻発しています。幼い子を置いて彼氏のもとへ走って餓死させた母親の事件などを聞くと、本当に胸が痛みます。
このような尊敬できない大人たちから何か言われても、子どもの心に響かないのは当然です。「私はあなたみたいにはなりたくない」と思われるのがオチでしょう。
では、みんなが尊敬すべきものとはいったい何でしょうか。
日蓮大聖人は開目抄の冒頭に、「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり、所謂主師親これなり」と仰せられています。「主師親」とは、主君と師匠と親のことです。
そして、実は今のこの時代(末法)に、すべての人が尊敬すべき主・師・親の三徳をお持ちの御方がいらっしゃいます。
それが末法下種の御本仏・日蓮大聖人であられるのです。
浅井先生のご指導を拝してみましょう。
末法下種の主・師・親=日蓮大聖人
日蓮大聖人は末法の一切衆生の主・師・親であられる。ゆえに開目抄には
「日蓮は日本国の諸人に主・師・父母なり」
と仰せられている。
主徳とは、誰人も犯せぬ絶大威徳を以て一切衆生をお救い下さる大恩徳である。この絶大威徳は、竜の口と蒙古襲来の大現証を拝すればよくわかる。
竜の口の大現証については、出世本懐成就御書に「設い大鬼神のつける人なりとも、日蓮をば、梵釈・日月・四天等・天照太神・八幡の守護し給うゆへに、罰しがたかるべし」と。
また蒙古襲来については、王舎城事に「法華経の敵となりし人をば、梵天・帝釈・日月・四天罰し給いて、皆人に見懲りさせ給えと申しつけて候。日蓮法華経の行者にてあるなしは是にて御覧あるべし。乃至、大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとなり」と。諸天に申し付け給うこの絶大威徳、深く拝すべきである。
この御本仏を信じ奉るか背くかによって、日本国の有無も、人類の存亡も決する。ゆえに「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」と仰せ給う。この絶大威徳こそまさに主徳である。
師徳とは、大智恵を以て成仏の大法を教えて下さる、教導の大恩徳である。
ゆえに報恩抄には「日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり」と。
一切衆生は貪欲・瞋恚・愚癡の三毒の膜に覆われて成仏の道を知らない。この盲目を開いて下さるのが師徳である。
親徳とは、大慈大悲を以て一切衆生を救護して下さる大恩徳である。
報恩抄には「日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし。乃至、日蓮が慈悲昿大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」と。
大聖人の三大秘法の御弘通は、空間的には日本・中国・インドさらに全地球上に及び、時間的には末法万年を超えて未来永遠に流れゆく。この昿大なる流布は、実に日蓮大聖人の慈悲昿大によるのである。
また開目抄には「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事は、恐れをもいだきぬべし」と。
大聖人が、国中の悪口罵詈・流罪死罪等の大難を忍び給うたのは、ただ大慈大悲のゆえである。この大慈大悲を親徳という。
以上、日蓮大聖人の主・師・親の三徳を偲び奉れば、ただ「有難い」「お慕わしい」との恋慕渇仰の思いが胸の奥から込み上げてくる。この恋慕渇仰の信心で勤行に励むことが何より大切なのである。
令和3年度・4級試験
いかがでしょうか。日蓮大聖人の主・師・親の三徳に、思わず有難さが込み上げてきますね。このような三徳まします御本仏だからこそ、私たち顕正会員はもちろん、全人類が命かけて信じ奉ることができるのです。
国立戒壇こそ根本の解決法
この主師親の三徳まします日蓮大聖人を恋慕渇仰し、「有難い」「お慕わしい」との思いで勤行に励むとき、そのお題目は直ちに戒壇の大御本尊・日蓮大聖人に通じ、大功徳が頂けます。
そして、日本一同が南無妙法蓮華経と唱え奉る広宣流布のとき、仏法を守護し奉る旨の国家意志の公式表明を手続として、国立戒壇を建立して大聖人の御当体たる「本門戒壇の大御本尊」を安置し奉れば、日本は御本仏を魂とする仏国となります。
このとき、戒壇の大御本尊の力用により、国民一人ひとりが自ずと戒を持つ当体となり、貪・瞋・癡の自害々他の境界から自利々他の働きに変わってきます。だから、国立戒壇が建立されれば、いま日本社会に充満している凶悪犯罪などは、太陽の前の朝露のように消滅するのです。なんと凄いことでしょうか。
まさしく主・師・親の三徳まします日蓮大聖人を日本一同に信じ奉る広宣流布、そしてその暁に実現される国立戒壇建立こそが、根本の解決法なのです。