【妙観講員必見!】教学委員から大草一男への6つの問い

6つの「問い」をぶつけられた大草一男

 顕正新聞令和2年9月25日号に、菅原教学委員の記事が掲載されていました。その内容は、妙観講の講頭・大草一男に6つの問いをぶつけ、それに対する回答を「慧妙」の紙面上に掲載することを求めたものです。

 どの「問い」も、大草一男の御遺命違背や過去の法論逃避などを鋭く指摘したもので、読んでいて胸のすく感動を覚えました。大草一男がどのように反論するか、妙観講員はもちろん、「慧妙」の読者にとっても大いに見ものですね。

 でも、もし慧妙がきちんと反論せずに逃げてしまったら、「慧妙」しか読まない人たちは、せっかくの素晴らしい記事の内容を知ることができません。それでは御遺命の正義を知ることができず、なんともかわいそうです。

 そこで、今回の記事では、菅原教学委員が大草一男にあてた6つの「問い」を紹介したいと思います。

「国立戒壇の是非」に関する法論からの逃避

 ①三大秘法抄の御金言を否定し、「勅宣・御教書」は戒壇建立の必要条件ではないとする「慧妙」掲載の主張は、宗門・早瀬管長の公式見解と同じか。同じであれば、宗門・早瀬管長は、顕正会・浅井先生と同様に「勅宣・御教書」を必要と叫ばれた歴代先師上人の御指南、さらには細井日達の説法(※)を公式に否定していることになるがよいか。はぐらかさずに回答せよ。

※細井日達は、浅井先生と大石寺大奥で対面した3日後の昭和45年4月6日、御虫払会において、「王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕わしたならば、必ず勅宣並びに御教書があって、霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来るとの大聖人の仰せでありますから、私は未来の大理想として信じ奉る」と説法しています。

 ②顕正会・浅井先生の主張は「国立戒壇」「国家的に戒壇が建立される」「正法による国教樹立こそ必要」と叫ばれた日淳上人と同様である(※)。ゆえに、顕正会・浅井先生の主張に対する「思想の自由を剥奪する」「法を下げる」との非難は、そのまま日淳上人の御指南に対する非難となるが、それでよいか。日淳上人の御指南は非難しないというのであれば、かかる二重規範・ダブルスタンダードが許される理由は何か。論理的に回答せよ。

※第65世・日淳上人は、現憲法に気兼ねすることなく「国立戒壇」と三大秘法を「国教」とすることの重大性を堂々とお叫びになっています。

大聖人は、広く此の妙法が受持されまして国家的に戒壇が建立せられる。その戒壇を本門戒壇と仰せられましたことは、三大秘法抄によって明白であります」(日蓮大聖人の教義)

真に国家の現状を憂うる者は、其の根本たる仏法の正邪を認識決裁して、正法による国教樹立こそ必要とすべきであります」(大日蓮・昭和32年1月号)

正本堂讃嘆の悪言

 ③大草は「摧破異流義考」(昭和六十三年)にて、「まさに大石寺正本堂は御宝蔵・奉安殿等とは異なり、今日の大石寺の本堂にして、やがて広布の時至れば大本門寺本堂たるべき堂宇である」と、正本堂が〝前以て建てておいた御遺命の戒壇〟に当たる旨を記述している。これと同様の見解を表明していた阿部日顕は

 「今顧みれば、あの時の『正本堂は広宣流布の時に三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇となる』という趣旨の教学部見解は、宗祖大聖人の御遺命たる本門戒壇の正義よりみれば、適当でなかったと思います」(平成三年三月九日付け「回答書」)

 「(※『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』には)戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがある」(平成十六年八月二十六日・全国教師講習会)

 と、誤りを認めているが、大草も前記記述の誤りを認めるか。覚悟を決めて回答せよ。

 ④正本堂崩壊後に従前の記述を修正した「新編・摧破異流義考」(平成十年十一月)を、「昭和六十三年十月『暁鐘』別冊号より転載」との虚偽を付記して「暁鐘」令和二年一月号に掲載した理由は何か。昭和六十三年版の正本堂に関する誤った記述を隠蔽するためか。誤魔化さずに回答せよ。

法論からの敵前逃亡

 ⑤顕正会の「徹底粉砕」を公言していた大草が、平成十七年に浅井先生が阿部日顕に公開対決を申し入れた際、代人として法論に応じなかった理由は何か。前記のとおり(※)、〝浅井先生の約定が無理難題だった〟との屁理屈は通らない。逃げずに回答せよ。

※菅原教学委員は、記事中で次のように書いています。

 「浅井先生は約定として、濫りの御開扉を中止し、広布のその日まで戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉ることを求められたのであり、また曽ての宗門は、戒壇の大御本尊を御宝蔵にて秘蔵厳護し奉り、今日のようなカネ儲けのための登山・御開扉は行っていなかった。ゆえに、浅井先生が示された約定は『無理難題』でも何でもない。仮に、浅井先生が示された約定に不満があれば、対決に応じることを前提に約定の変更を申し入れればよいだけの話である」

 いやはや、ほんとうにそのとおりですね。

 ⑥顕正会教学部が大草との法論に応ずる旨を回答したにもかかわらず、以後、大草が顕正会教学部との法論を回避している理由は何か。大草には、「慧妙」が「狂学部」「驚愕部」などと罵っている顕正会教学部と法論して勝利する自信がないからか。正直に回答せよ。

大草一男の回答やいかに?

 いかがでしょうか。菅原教学委員の鋭い「問い」には、読んでいて大感激がこみ上げます。

 こういうとき、たいていの法華講員は、これらの「問い」に正面から答えることをせず、全く別の話を持ち出してごまかそうとします。でもそれって、「問い」に応えられないことを自分で認めているようなものです。いやはや、見苦しいですね。

 さて、大草一男は、これらの「問い」にどんな回答をしてくれるのでしょうか。フツウの法華講員にはとても思いもつかないような見事な切り返しを披露してくれるのでしょうか。それとも、もっともらしい口実をつけて、結局、回答せずに逃げてしまうのでしょうか。

 記事によると、どうやら大草一男は、昨年12月末、浅井先生との法論を要求する書面を顕正会本部に送りつけてきたそうです。これに対し、顕正会教学部が彼の行いを窘めるとともに、教学部が法論の相手になる旨を回答したところ、大草一男からは未だに返答がないとのこと・・・。

 やっぱり彼には、突然の奇襲攻撃を仕掛けてポイントを取ったように見せることはできても、みずから表舞台に出てきて顕正会教学部と法論するほどの実力は無いのかもしれません。

 いずれにしても、大草一男にとっては、せっかく顕正新聞が大々的に取り上げてくれているのですから、自らの見解と実力を示す絶好のチャンスといえそうです。そろそろ彼の真の「実力」なるものを見せてもらいたいものです。