日蓮大聖人とはいかなる御方か(2)人生の目的は成仏にある

末法濁悪の世を救い給う御本仏

 前回の記事では、日蓮大聖人こそ、末法万年尽未来際の全人類を、三大秘法という根源の仏法を以て、現当二世にお救い下さる、実に久遠元初の自受用身、末法下種の主・師・親、大慈大悲の御本仏であられるということを拝しました。

 今回からは、基礎教学書の広告文に基づいて、日蓮大聖人の大慈大悲と絶大威徳をさらに詳しく拝していきたいと思います。

 広告文では、日蓮大聖人の大恩徳について、より端的に、次のように示されています。

 日蓮大聖人は、末法濁悪の人と国を、根底からお救い下さる大慈大悲・絶大威徳の御本仏であられる。

基礎教学書 日蓮大聖人の仏法(広告文)

 「末法濁悪」とは、釈迦仏滅後2000年以降の時代(末法)の欲と怒りと愚か(三毒)で濁った世の中をいいます。いま凶悪犯罪が至るところで頻発し、親殺し・子殺しすら平然と行われていますが、このような世相は決して当たり前ではないのです。

 この末法濁悪の世に、人と国を根底からお救い下さる大慈大悲・絶大威徳の御本仏がまします。その御方こそ、実に鎌倉時代の日本にご出現された日蓮大聖人なのです。

「人」と「国」を根底からお救い下さるとは?

 日蓮大聖人は、「三大秘法」という根源の仏法をもって、「人」と「国」を根底からお救い下さる御本仏です。「根底からお救い下さる」というところが大事ですね。さて、どういう意味でしょうか。

 まず「人」を根底からお救い下さるとは、凡夫を仏にして下さるのです。すなわち、すぐ崩れるような小さな幸福ではなく、永遠に崩れぬ「成仏」を得させて下さるのです。

 もし、大聖人が大慈悲を以て顕して下さった御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え奉れば、いかなる人も一生のうちに必ず成仏が叶います。その証拠に、現世には宿命が変わって幸せになり、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も守られるのです。

 また、「国」を根底からお救い下さるとは、「立正安国」です。日本一同が三大秘法を受持して御遺命のままに国立戒壇を建立すれば、そのとき日本は仏国となり、三災七難(天変地夭や他国の侵略など)は消滅し真の安泰を得るのです。

 このように「人」と「国」を、一時的・表面的ではなく、根底からお救い下さるとは、なんと有難いことでしょうか。これが日蓮大聖人の仏法の大利益です。

人生の目的は成仏にある

 さて、今回の記事では、この大利益のうち、「人」を根底からお救い下さることについて詳しく見ていきたいと思います。広告文を拝してみましょう。

 人生の目的を知らずに生きているのは、行先不明のバスに乗っているのと同じである。人生の目的は実に成仏を得るにある

 成仏とは、生死を乗り越えて永遠に崩れぬ、無上の幸福境界をいう。

 日蓮大聖人の仏法を実践すれば、いかなる人も宿命が変わり、現世には幸いを招き、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得る。これが成仏の境界である。

 死後の未来のことなどわからぬ、という人もあろう。しかし仏法は空理・空論ではない。すべて証拠を以て論ずる。

 その証拠とは臨終の相である。臨終は一生の総決算であると同時に、臨終の相に、その人が死後の未来に受けるべき果報が現われる。だから臨終は人生の最大事なのである。

 ゆえに日蓮大聖人は「されば先づ臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と仰せられている。

 では、地獄に堕ちる相、あるいは成仏の相とはどのようなものかといえば

 大聖人は「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石の如し。善人は設い七尺八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる、又軽き事鵞毛の如し、輭なる事兜羅綿の如し」と。

 すなわち、地獄に堕ちる者は、死してのち遺体が黒くなるうえ、硬く、重くなり、恐ろしい形相となる

 一方、成仏する者は、臨終ののち色が白くなり、軽く、柔らかく、かつ何とも柔和な相となるのである。

 臨終の相だけは人の意志の及ぶところではない。この因果の法則を説き切るのは、日蓮大聖人の仏法だけである。

 地位や財産による幸福はすぐに崩れる。現当二世(現世と来世)にわたり永遠に崩れぬ幸福は、成仏の境界以外にはない。

 日蓮大聖人こそ、我ら凡夫を仏にして下さる大慈大悲の御本仏であられる。

基礎教学書 日蓮大聖人の仏法(広告文)

 いかがでしょうか。地位や財産による幸福はすぐに崩れてしまいます。まして、来世に持っていくことはできません。このことを思うほどに、わずか一生の間に、いかなる人をも仏にして下さる大聖人の仏法の有難さが胸に染み入ります。まさに人生の目的は「成仏」にあるのです。

「有難い」「お慕わしい」

 そして、私たちが「成仏」させて頂けるのも、大聖人が身命に及ぶ大難を幾たびも耐え忍ばれたのちに、全人類の成仏のために「戒壇の大御本尊」を顕わされ、これを全人類に授与して下さったからです。

 浅井先生は、次のように指導下されています。

 この大慈大悲を知れば、自然と大聖人様に対し奉り、「有難い」「お慕わしい」の心が湧いてくる。これが恋慕渇仰の信心であります。

 この恋慕渇仰の信心に立って、戒壇の大御本尊様に向い奉り、日蓮大聖人の御名を南無妙法蓮華経と唱え奉れば、直ちに大聖人様に通じて、我が心に仏様が宿って下さる。

 仏様が宿って下されば、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒強盛の心が変わり、大功徳が頂ける。すなわち現世には生活が守られ、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得るのであります。

顕正新聞令和元年5月5日・「御遺命守護」特集号2

 いま浅井先生のもと、恋慕渇仰の信心口唱に励み、大聖人仰せのままの功徳を頂けること、なんとも有難い限りです。