正本堂の誑惑を破す(3)一期弘法付嘱書における「国主」の曲会

「国主」=民衆のたばかり

国立戒壇を否定するためには、一期弘法付嘱書の「国主」の意義を歪曲しなければなりません。

そこで、細井日達、阿部日顕は、「国主とは民衆である」などとたばかりました。

細井日達は、次のように言っています。

現今は、我が国の憲法において、主権在民と定められている以上、本門の戒壇が民衆の力によって建立されておっても、少しも不思議はないのであります。あえて天皇の意志による国立がなければ無ければならないという理由はないのであります。一期弘法抄の「国主此の法を立てらるれば」とは、現今においては、多くの民衆が、この大聖人の仏法を信受し、信行することであり、そして本門寺の戒壇を建立することを御命じになったと解釈して差し支えないと思うのであります(大日蓮昭和49年11月号)

阿部日顕も、次のように言っています。

一期弘法抄の「国主」とは、日達上人の御指南の如く、現在は主権在民の上から民衆と見るべきである(日蓮正宗要義)

「国主は但一人なり」

しかし、大聖人は報恩抄に「国主は但一人なり、二人となれば国土おだやかならず、家に二人の主あれば其の家必ずやぶる」と仰せられています。「国主」は「但一人」なのです。

ですから、御金言に照らせば、民衆が国主たり得る道理がありません。

「主権在民」(国民主権主義)とは、国家意志を構成する最高の源泉が国民に発することをいいますが、国家・国民を代表して国家意志を表明するのは、あくまで天皇及び国家機関なのです。

一期弘法付嘱書における「国主」とは

では、一期弘法付嘱書における「国主」とはどのような意味でしょうか。

浅井先生は次の3つの観点から、「天皇」を指すことを論証されています。

①大聖人は「国主」をどのように御覧あそばされていたか

②日本国の仏法上の特質

③日興上人の御事跡

それぞれ順番に見ていきましょう。

大聖人は「国主」をどのように御覧あそばされていたか

まず大聖人は「国主」をどのように御覧あそばされていたか。

御書を拝すると次の2意があります。

① 日本国本来の「国主」としての天皇

② 時の国家権力掌握者

文証を示します。

たとえば、①については「日本国を亦水穂(みずほ)の国と云い、・・・国主をたづぬれば神世十二代は天神七代・地神五代なり」(神国王御書)、②については「国主より御勘気二度、一度は伊豆の国、今度は佐渡の嶋なり」(国府尼御前御書)と仰せられています。

以上2意の「国主」について、大聖人はどのように対応あそばされたかを拝することが、日本国の「国主」を理解する上で極めて重要です。

大聖人御在世においては、承久の乱の結果、天皇の威光勢力は失せ、皇室は名存実亡、衰微の極にあり、北条一門が国家権力を掌握していました。

ゆえに大聖人は、北条氏を「実質上の国主」とみなし給い、立正安国論を始め3度の諫暁を北条一門にあそばされています。

しかし、3度の諫暁の後は、「未だ天聴を驚かさずか、事三ヶ度に及ぶ、今は諫暁を止むべし」(未驚天聴御書)と仰せられ、鎌倉幕府への諫暁を止め、名のみあって実権のない皇室に聖意を向け給うておられます。

すなわち、弘安3年3月には未来広布の暁に天皇が受持すべき「紫宸殿の御本尊」を顕され、翌4年12月には後宇多天皇に申状を認めて日目上人に代奏せしめ、さらに翌5年2月には日目上人に重ねて天意を奉伺せしめ、「朕、他日法華を持たば必ず富士山麓に求めん」との下文を得給うておられます。

その中、同年4月の三大秘法抄には「勅宣並びに御教書」、また同9月の御付嘱状には「国主此の法を立てらるれば・・・」と仰せられているのです。

これら一連の御振舞いを拝すれば、弘安5年9月の御付嘱状における「国主」が天皇を指すことは明らかです。

浅井先生は、「これらの御振舞いを拝すれば、大聖人は皇室の威光勢力の有無にかかわらず、日本国の真の『国主』は天皇であると御覧あそばしておられたと拝推することができる」と仰せられています。

日本国の仏法上の特質

皇室が日本本来の王法・国主であることは、日本国の仏法上の特質に由来します。

日寛上人は「日本国は本因妙の教主日蓮大聖人の本国にして、本門三大秘法広宣流布の根本の妙国なり」(依義判文抄)と指南されていますが、かかる三大秘法有縁の妙国であれば、この仏法を守護し奉る「本有の王法」が存在しないはずがありません。それが日本の皇室なのです。

ゆえに「久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神」(産湯相承)たる天照大神は皇祖としてこの王法の基礎を固め、その勅において、「日本国は皇室の子孫が王たるべき国であり、その栄えは天壌無窮である」(取意)と述べています(日興上人・三時弘教次第)。

日本の皇室の世界にも類を見ない永続は、実にこの仏法上の大因縁と使命によるのです。

日興上人の御事跡

大聖人の御聖意は、二祖日興上人の御事跡を拝すれば、さらによく窺い得ます。

まず、日興上人の「三時弘教次第」には、「今末法に入って法華本門を立てて国土を治むべき次第」として、桓武天皇と伝教大師を「迹化付嘱の師檀」と例に挙げ、「本化付嘱の師檀」を「日蓮大聖人」と「当御代」(時の天皇)と仰せられ、その後、前掲の天照大神の「勅」(日本国は皇室の子孫が王たるべき国であり、その栄えは天壌無窮である・取意)を記されています。

日興上人が時の天皇を「国主」と御覧になられていたことは明らかです。

また、「富士一跡門徒存知事」には、広宣流布の暁の皇城の所在について、「右、王城においては、殊に勝地を撰ぶべきなり。就中、仏法と王法とは本源体一なり、居所随って相い離るべからざるか。・・・・尤も本門寺と王城と一所なるべき由、且つは往古の佳例なり、且つは日蓮大聖人の本願の所なり」と。

「仏法と王法とは本源体一」とは、皇祖たる天照大神・八幡大菩薩等の本地は釈迦仏であり、下種の三大秘法守護のため日本に垂迹して善神とあらわれたことをいいます。

その大使命を受け継いでいるのが日本の皇室です。

このゆえに「広宣流布の暁には本門寺と王城(皇居)は一所でなければならない、そしてこの事こそ『日蓮大聖人の本願の所』である」と日興上人は仰せられているのです。

浅井先生は「王仏冥合の事相、ここに豁然と拝する思いがする」と仰せられています。

さらに日興上人は、広宣流布の時出現の国主を、同じく富士一跡門徒存知事に「本化国主」と仰せられています。この「本化国主」が、本門寺と一所の王城に居する「天皇」を意味すること、一点の争う余地もありません。

一期弘法付嘱書における「国主」=天皇

このように、大聖人は「国主」をどのように御覧あそばされていたか、日本国の仏法上の特質、さらには日興上人の御事跡を拝すれば、一期弘法付嘱書における「国主」とは天皇を指すことは明らかです。

ちなみに、仏法守護の大使命を有する日本の皇室であっても、もしこの使命を自覚せず、仏法の邪正に迷って邪法を行ずれば、たちまちに威光勢力を失います。

また、正法の滅するを見て捨てて擁護しなければ、たちまち王位は傾きます。

敗戦以後の今日の皇室の姿がそれに当たるでしょう。

しかし、浅井先生は、次のように仰せられています。

ただし、敗戦という未曾有の大変革を経ても、なお天皇制は廃絶されず、天皇がその権能は限定されているとはいえなお〝君主〟たる地位を保有されていること、まさに将来皇室が果たすべき仏法上の使命のゆえと、その不思議を歎ぜざるを得ない(「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」)

上から下、下から上という差異はあっても、国家がある以上、政体のいかんを問わず国家意志の表明はなされる。ゆえに今日において、もし国民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉る広宣流布が実現すれば、国民の信託に由って成る国会の議決がなされぬはずはなく、また「国民統合の象徴」たる天皇が国家・国民を代表して正法護持の国家意志を表明しないこともあり得ない。ゆえに広宣流布が実現さえすれば、今日の政体においてすら、御聖意に叶う「勅宣並びに御教書」は発せられる。まして広布の暁には、仏法に準じて憲法も改正され、国体も在るべき姿に変わるから、少しも心配は要らない(同前)

細井日達・阿部日顕の「民衆国主論」は、池田大作の慢心・誑惑に奉仕するたばかり以外の何ものでもありません。