「国立戒壇こそ御遺命」特集号が出来しました
冨士大石寺顕正会の4月度総幹部会を特集した顕正新聞5月5日号が出来しました。その名も「国立戒壇こそ御遺命」特集号!
ご講演において浅井会長は、国立戒壇こそ御本仏一期の御遺命であることを改めて示すとともに、国立戒壇に対する宗門のたばかりを粉砕されましたが、半世紀以上にわたり宗門を覆い尽くしてきた阿部日顕の誑惑の残滓を一掃し、正系門家を清浄なる昔に立ち還らせんとされる会長のご気魄をひしひしと感じ、凛然たる決意がこみ上げました。
それでは、さっそく内容を見ていきましょう。
宗門僧侶は「唯正直」であれ
このたびの浅井会長のご講演は、無智・無道心の宗門僧侶に御遺命の正義を諄々と教え、目を開かせんとのお心を強く感じました。
会長は、宗門僧侶が悉く大聖人様を忘れ、御遺命違背に対する懺悔など微塵もなく、ただ「法主絶対論」を振りかざしてはその無謬性を取り繕い、もっぱら体面を保つことに汲々している現状をごらんになり、「宗門僧侶は、大聖人様に対し奉り『唯正直』でなければいけない」として、「正直の徳」と題する浅井先生のご指導をお示し下さいました。
「失敗は誰にもある。人は失敗で信用を失うのではない、失敗に対する姿勢で真の評価が定まるのである。
たとえ過ちをおかしても、懺悔の心を以て正直に身を処すれば、かえって信用を得ることもある。逆に過失を隠さんと、嘘に嘘を重ねれば、失うものは犯した過失にとどまらない。
正直の徳は世間・仏法ともに尊ばれる。一般社会においても、不正直は一時的に人の眼をごまかし得ても、必ず破滅の因となる。いわんや仏法の世界においてをやである。仏法の世界の正直とは、大聖人の御眼を恐れるというところにその出発がある。
妙信講は再建以来、大聖人の御金言に違わんことのみを恐れ『唯正直』を一筋に貫いて来た講中である。よって今日、大聖人の御守護を頂いているのである」と。
さらに会長は、浅井先生のご自宅に掲げられている第58世・日柱上人の「唯正直」という書の写真を掲載して下さいましたが、先生は常に大聖人様の御眼のみを恐れ、「唯正直」の御奉公を一筋に貫かれたのだと、畏敬の念でいっぱいとなりました。

また会長は、宗門僧侶としてただ一人、御遺命守護の戦いに身を投じられた松本日仁尊能化の言葉を教えて下さいました。
「事の戒壇がどういうものかは、すでに御書と日寛上人の御指南に明らかである。これは誰がなんといおうと動かすことはできないものである。いま妙信講(顕正会の前身)の為していることは、本来ならば我々僧侶がやらなければならぬ御奉公である。もし百年後に〝あの時僧侶は一人として立たなかったではないか、御遺命を守らなかったではないか〟と云われたら、恥になる。それでは大聖人様に申しわけがない」と。
いかがでしょうか。当時、強大な学会の権力・金力にへつらい、宗門の全僧俗が悉く御遺命に背く中、大聖人様の御眼を恐れ、宗門僧侶の本分をただひとり果たされた松本尊能化の凛然たるお姿に胸がいっぱいになりました。
浅井会長は、このお姿こそ「宗門僧侶の鑑」であるとして、かく叫ばれました。
「早瀬管長ならびに宗門僧侶は、御遺命違背の大罪を心から大聖人様にお詫びして、世親菩薩・馬鳴菩薩・嘉祥大師のごとく五体投地の真の懺悔をしなければいけない。その具体的な姿こそ、国立戒壇を公式に宣示すること以外にはない」と。
細井日達の御遺命違背を粉砕す
浅井会長は、国立戒壇こそ御本仏一期の御遺命であることを改めて示すとともに、二代の貫首が犯した御遺命違背の大罪を徹底呵責されました。
まず、細井日達が「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」(大白蓮華43年1月号)とのデタラメ説法をしていたことを突きつけられました。
この「大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり」との表現が、じつは持妙法華問答抄の「法華経にて如来の本意も教化の儀式も定まりたり」の〝出世の本懐成就〟に準えた、御遺命成就を意味するものであったとお聞きしては驚きました。
次に会長は、細井日達が昭和47年4月28日、「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」と、正本堂を御遺命の戒壇とする訓諭を発布したことを示された上で、これを誤魔化さんとする宗門のウソを一刀両断されました。
まず、「訓諭の『たるべき』との言葉は単なる『将来の願望』を意味し、正本堂が御遺命の戒壇になると決定したわけではない」とのウソについては、訓諭の冒頭に「日達、この時に当って正本堂の意義について宗の内外にこれを闡明し、もって後代の誠証となす」と、後代の「誠証」(真実の証明の意)と明言していることを以て、単なる願望ではなく決定の意であると粉砕されました。
また、「この訓諭で、正本堂を御遺命の戒壇と断定する言説を訂正した」とのウソについては、訓諭から2年後の昭和49年8月25日における細井日達の〝断定発言〟すなわち「我々の、民衆の、正宗の信者の信心によって建立せられた、あの正本堂が、事の戒壇、本門寺の戒壇と称して何の不思議があるのでありましょうか」を以て粉砕されましたが、胸のすく大感動がこみ上げました。
天魔・阿部日顕の謀りを破す
続いて浅井会長は、阿部日顕の謀りを徹底呵責されました。
阿部日顕は、かつて池田大作にへつらい「正本堂こそ御遺命の戒壇である」と謀る二冊の悪書をものし、国立戒壇を誹謗した悪侶です。
それが、学会との抗争の末、自ら正本堂を取り壊したことを取り繕うために、平成16年、二冊の悪書について〝言い過ぎやはみだしがあったが、今となってはすべて空論〟などとふざけた幕引きをしつつ、「『国立戒壇が間違いだ』と言ったことは正しかった」との許し難い大謗法の言辞を弄したのでした。
会長は、「かかる大悪言こそ、阿部日顕にいささかの懺悔なき証拠」、いや「第六天の魔王の執念そのもの」と見抜かれ、この天魔その身に入りし阿部の呪縛に囚われた宗門僧俗が未だに国立戒壇を激しく怨嫉している現状に、「これを徹底粉砕しなければ正系門家が日淳上人の清浄の昔に立ち還ることはない」として、このたび国立戒壇に関する主だった謀りを痛烈に破折されました。
まず会長は、「『国立戒壇』という言葉は御書にないから誤り」や「『国立』とは国が設立し管理・運営すること」などの幼稚な謀りを、鎧袖一触、利剣をもって瓜を切るごとく粉砕されました。
「国立戒壇は田中智学の模倣」を破す
そして何より圧巻だったのは、「国立戒壇は田中智学の模倣である」との謀りに対する破折でした。
今回のご指導こそ、阿部日顕が「国立戒壇論の誤りについて」の中で「国立戒壇の名称とその思想が初めてあらわれたのは、まさにこの智学の式目の中においてである」と喧伝したために、「国立戒壇は田中智学の模倣」と本気で信じ込んでしまっている哀れな宗門僧俗の盲目を開かせるものと大感動がこみ上げます。
そもそも田中智学は、身延派の寺で出家した邪宗日蓮宗の元僧侶にすぎません。
そんな輩がどうして国立戒壇を知るに至ったかというと、明治15年に「横浜問答」という法論で宗門側に完敗した後、必死になって富士大石寺の教義を研究したからです。そして大石寺の正義を盗み、あたかも自身発明のごとくに世に喧伝したのが「国立戒壇」でした。
つまり、国立戒壇は、もともと富士大石寺の教義であり、それを田中智学が盗んだのです。
このことを知る学会・宗門は、昭和30年代、田中智学の模倣を徹底的に糾弾していました。
創価学会は、次のように破折していました。
「じつに、国立戒壇の建立こそは、第二祖日興上人にのみ御遺命になったのである。・・・また、あらゆる正史料から、日蓮正宗のみが、大聖人の御遺命をうけて、富士山の事の戒壇(国立)を建立しようと必死の努力を続けてきたことが明白になった。近ごろは田中智学門流でさえも、囀っているではないか」(日蓮正宗創価学会批判を破す)
「田中智学は国立戒壇の建立が、宗祖大聖人窮局の御本懐であらせられることまでは知ることができたものの、さて戒壇の大御本尊は如何にとなると、何とか本尊を一定にする必要があると感じ、それには佐渡始顕(の本尊)が根本になるべきだと、独断したものである」(大白蓮華32年9月号)
「国柱会の田中智学は、富士の正義をぬすみ、三大秘法抄によれば富士に本門戒壇を建立すべきだ、などと主張した」(大白蓮華35年6月号)
また、第65世・日淳上人も田中の模倣を破折されています。
「勿論田中智学氏の『日蓮聖人の教義』なる著書(注、「国立戒壇」の名称が出てくる本)は、日蓮正宗の教義を盗んで書いたものであることは明白である」(「興尊雪冤録」の妄説を破す)
浅井会長は、「このように、学会・宗門ともに、田中が国立戒壇をはじめ正系門家の教義を盗んだと明言し、徹底糾弾していたのである。現在の宗門はこれらの主張を否定するのであろうか」と鋭く指摘されています。
さらに会長は、田中智学が作った国柱会や田中の弟子たちも国立戒壇の義は富士大石寺にあることを認めていたという衝撃の事実を教えて下さいました。
とりわけ田中智学の弟子の「山川智応」という者が、田中が「序文」を寄せた書籍の中で、「国立戒壇義を説く側には、彼の日蓮正宗の堅樹院日寛といへる師の、『文底秘沈抄』の中に、『本門戒壇篇』といふのが甚だ有名」(日蓮聖人の実現の宗教)と述べていたことには驚きました。
つまり山川は、国立戒壇義を説く側では日寛上人の文底秘沈抄が極めて有名であること、すなわち田中智学が言い出すはるか以前から富士大石寺が国立戒壇を主張していたことを認めているのです。
かく見れば、国立戒壇の義は、顕正会が田中智学を模倣したのではなく、田中智学が富士大石寺を模倣したものであること、太陽のごとく明らかです。
ところが阿部日顕は、これらの事実を百も承知の上で、池田大作に媚びへつらって国立戒壇を怨嫉し、御遺命の正義を守り奉る浅井先生に対し、あろうことか「浅井一派の国立戒壇論は・・・田中智学の思想の模倣であって、その酷似するところ驚くほかはない」(本門事の戒壇の本義)などと真逆のことを述べて口汚く誹謗したのです。もはや人格を疑うしかありません。
浅井会長は「これ奸佞邪智の極み」と痛烈に喝破された上で、次のように仰せられました。
「御本仏一期の御遺命たる国立戒壇を否定するは、日蓮大聖人の『眼をくじり、寿命を絶ち、喉をさく』に当る。これにまさる大謗法はない。
この謗法闡提・阿部日顕のたばかりによって、正系門家から半世紀以上にもわたり国立戒壇の正義が消え失せてしまったのである。
早瀬管長は、阿部日顕のこの大罪をよくよく弁え、自身の与同の大罪を償い、その一切を懺悔清算しなければならない」と。
そして、たとえ阿部日顕のたばかりによって正本堂の誑惑の残滓が未だに正系門家を覆い尽くしていようとも、諫める者があれば必ず崩れるとして、「御遺命たる国立戒壇への怨嫉は断固として打ち摧かなければならない。これこそが国立戒壇堅持の正しき貫首上人がお出ましになる露払いの御奉公である」と叫ばれましたが、いま会長がなされる宗門諫暁のその先にいよいよ正しき貫首上人がご出現になられることを伏して拝しては、勇躍歓喜を抑えきれません。
「前代未聞の大闘諍」と「他国侵逼」迫る
最後に会長は、「仏法は体、世間は影」であれば、正系門家が濁乱すれば日本が保たないことを示されました。
「(日本は)平和を求めるなら戦争の準備をする必要がある」「西太平洋のあらゆる有事に直面した場合、日本は最前線に立つことになる」とのヘグセス国防長官の発言(3月30日記者会見)は、台湾有事の際、「最前線には米軍ではなく、日本の自衛隊が出ろ」というアメリカの本音を語ったものに他ならず、台湾有事ひいては米中戦争において日本の自衛隊が最前線に立たされれば、日本全土が戦場となることは避けられません。
浅井会長は叫ばれました。
「この『前代未聞の大闘諍』と日本に対する『他国侵逼』は『仏法より事起こる』の大罰であれば、日本一同が日蓮大聖人に帰依して国立戒壇を建立する以外に助かる術はない。すべては顕正会の前進にかかっているのである」と。
私も広告文と特集号を手に、本年の中盤、そして浅井先生の三回忌を迎える終盤を見つめて油断なく前進し、広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!