仏法と国家の興亡

「仏法と国家の興亡」特集号が出来しました

 冨士大石寺顕正会の7月度総幹部会を特集した顕正新聞令和4年8月5日号が出来しました。その名も「仏法と国家の興亡」特集号

 今回の総幹部会も素晴らしい登壇ばかりで、学会初代会長・牧口常三郎の親類が現会長・原田稔から聞いた池田大作の現状や、信心が覚束なかった人が顕正会員の医師にめぐり値い信心にめざめた驚きの展開、はたまた顕正会教学部長が妙観講本部に赴いたものの、講頭・大草一男は本部内にいながら籠城して出てこず、〝敵前逃亡〟の醜態を晒したこと。もちろん、けなげな信心を貫き良き臨終を遂げた同志の感動的な登壇もありました。

 そして、最後に浅井先生が下さった「仏法と国家の興亡」についてのご指導は圧巻で、亡国眼前の今こそ全日本人が拝すべきと強く思います。

 それでは、さっそく見ていきましょう。

仏法は体、世間は影、体曲れば影ななめなり

 浅井先生は、「仏法と国家の関係」について、次のように指導下さいました。

 さてきょうは、仏法と国家との関係について、少々申し述べたいと思っております。

 大聖人様は弘安三年五月の富木殿御返事に、こう仰せ下されている。

 「仏法は体のごとし、世間は影のごとし。体曲れば影ななめなり」と。

 ―仏法は体であり、世間は影である。よって仏法が曲がれば、影である国家も必ず傾いてくる――と。

 この原理は、国家だけでなくて個人にも当てはまりますね。もし信心がおかしくなってくれば、必ず生活も傾いてくるのです。

 しかし何より大事なことは「仏法と国家の関係」であります。

 ゆえに弘安元年に上野殿に賜った神国王御書には、こう仰せ下されている。

 「我が面を見る事は明鏡によるべし、国土の盛衰を計ることは仏鏡には過ぐべからず。乃至、王法の曲がるは小波・小風のごとし、大国と大人をば失いがたし。仏法の失あるは大風・大波の小舟をやぶるがごとし、国のやぶるる事疑いなし」と。

 ―自分の顔を見るにはよく磨かれた鏡を見ればよい。だが国家の興亡盛衰を知るには仏法の鏡を用いなければいけない。たとえ政治が曲がったとしても、それは小さな波・小さな風のようなもので、大国と福徳ある国王ならば破滅はしない。

 だがもし仏法を曲げるなら、大風・大波が小さな船を壊るがごとくで、国の亡びることは疑いない――と。

 いいですか。

 国家の興亡盛衰の根本は仏法によるのです。政治・政策レベルの失などは、表面上の小さな原因に過ぎない。

「仏法と国家の興亡」特集号

 いかがでしょうか。世間には「どうしたら国が良くなるか」を論じた書物は無数にあります。しかし、それらは表面上の小さな原因を指摘するにとどまり、国家興亡の根本原因を解き明かしたものは一つもありません。

 ここに御本仏日蓮大聖人は、「仏法は体、世間は影」として、国家興亡の根本原因は仏法によるとご断定されているのです。なんと凄いことでしょうか。

宗門の姿を見れば日本の行く末がわかる

 こう書くと、「『仏法による』って、一体どういうことなのかしら?うちは先祖代々真言宗で、まあ、先代に比べて今の住職はたしかに心許ないけど、それなりにうまく寺院経営していると思うけど・・・」と思う方がいるかもしれません。

 ここでいう「仏法」とは、念仏宗や真言宗のような邪宗のことではありません。御本仏日蓮大聖人の正系門家・富士大石寺の仏法のことをいうのです。

 ゆえに浅井先生は「宗門の姿を見れば日本の行く末がわかる」として、次のように指導下されています。

 ここに、日蓮大聖人の下種仏法の、唯一の正系門家・富士大石寺の、重大性があるのです。

 正系門家が、大聖人様の御心のまま、日興上人の御遺誡のまま、清らかに毅然と立っていれば日本は大丈夫です。だが、正系門家がもし仏法を曲げれば、日本は必ず傾いてくる。

 だから、宗門の姿を見ていれば、日本がこれからどうなるかが、ハッキリわかるのであります。

 冨士大石寺は昔から「針金宗旨」などと邪宗日蓮宗から悪口を言われてきた。「堅いことばかり言っているが小さい」と。確かに身延などから見れば、末寺数といい信徒数といい、昔は少なかった、弱小だった。しかし一切謗法と与同せず、堅く一筋に大聖人仰せのままの信心を貫いてきたのであります。

「仏法と国家の興亡」特集号

 いかがでしょうか。仏法の大道理の上から、「宗門の姿を見ていれば、日本がこれからどうなるかがわかる」と仰せられる浅井先生の深き御見識・御確信にはただ低頭のほかありません。

 ところが、一切謗法と与同せず、堅く一筋に大聖人仰せのままの信心を貫いてきた正系門家が、大正時代に入ってから僧侶の妻帯が始まって職業化し、謗法にも与同するようになってきたとお伺いしては、昭和40年代から始まる御遺命破壊につながる萌芽を見た思いとなりました。

 次いで浅井先生は、体である正系門家が曲がれば必ず国家に重大な影響を及ぼすことを示す事例として、宗門における2つの不祥事を指導下さいました。

立正大師諡号宣下めぐり謗法与同

 一つめは、大正時代にあった「立正大師諡号宣下問題」と、それに伴う第57世・日正管長の「謗法同座」です。

 大正11年9月、身延をはじめとする日蓮宗各派の中に日蓮正宗も交じって、一同して「日蓮大聖人に大師号を天皇から賜りたい」との請願書を宮内省に提出し、同年10月13日、宮内大臣から「立正大師」との大師号を与える宣下書が下されました。

 しかし、大聖人様が御自ら御名乗りあそばされた「日蓮」という御名には、「日文字の顕す所、吾が日蓮大聖人とは慧日大聖尊なり、主師親の三徳なり、久遠元初の唯我独尊なり。豈文底下種の教主、末法今時の本尊に非ずや」(観心本尊抄文段)と日寛上人が御指南下さるように、甚深の義が含まれているのです。どうして謗法の国家に頭を下げ、わざわざ別の名前をもらう必要があるでしょうか。

 ところが、日蓮正宗は他の邪宗日蓮宗に交じって、未だ大聖人に帰依していない天皇にへつらって「立正大師」などという諡号宣下を願い出たのです。

 浅井先生は、「これまさに大聖人様を辱めるものではないか。これを『摧尊入卑』(尊きを摧いて卑しきに入れる)という」と喝破されています。

 また、日正管長はあろうことか、この大師号宣下を喜び、なんと身延派管長の導師のもと一緒に勤行までしたのです。なんと恐ろしい謗法与同でしょうか。

 浅井先生は、「これまさに日興上人の『謗法と同座すべからず、与同罪を恐るべき事』との御遺誡に背くものではないか。日正管長はこの翌年、突如「舌癌」が発生して死去された。まさに現罰恐るべきであります」と厳しく呵責されていますが、「時の貫首」であっても仏法に背けば罰を受け身を亡ぼすこと、史実を以てはっきりと掴ませて頂きました。

 では、正系門家のこの謗法与同が国家にどのような影響を及ぼしたかというと、翌大正12年9月1日に関東大震災が発生して東京・横浜を焼き尽くし、日本の中枢地域が灰燼に帰しました。さらにその8年後の昭和6年には満州事変が起こり、その2年後の昭和8年には三陸地方の大地震・大津波が発生、昭和16年12月8日にはついに太平洋戦争に引きずり込まれ、4年後の昭和20年8月15日、日本は敗戦となりました。

 まさに「仏法は体のごとし、世間は影のごとし。体曲れば影ななめなり」との仰せそのままです。

敗戦直前に未曾有の不祥事起こる

 もう一つの不祥事は、敗戦直前の昭和20年6月16日、戒壇の大御本尊まします御宝蔵のすぐそばにある書院という建物に大きな神棚が祀り込まれ、翌6月17日、大石寺の枢要の建物が御宝蔵を除いて500余坪炎上する大火災が発生し、このとき御当職の第62世・日恭上人が火中で御遷化された、という痛ましいものです。

 なぜこのようなことが起きたのかというと、昭和19年12月、陸軍が大石寺の客殿・書院を有無を言わせず借り上げ、そこに朝鮮から強制連行した「農耕隊」と称する兵士たち数百名を住まわせ、彼らを監視・訓練する将校たちがすぐそばの対面所に宿泊し、威張り散らしていました。そして、昭和20年6月16日、将校たちが朝鮮の兵士たちに礼拝させようと書院に神棚を祀ったのです。

 たしかに当時の日本は太平洋戦争の真っ直中で、伊勢神宮の神道を事実上の国教と定めて国民を統制し、軍部が天皇の絶対権威を背景に権力をふるっていました。

 また、当時の宗門には小笠原慈聞という大野心家の悪僧がいて、「神本仏迹論」という邪義を唱え、大石寺を身延に吸収させて自分が大石寺の貫首になる密約まで交わし、日恭上人を「不敬罪」で特高警察に逮捕させようとするなど、策謀の限りを尽くしていました。

 しかし、たとえいかなる事情があったとしても、戒壇の大御本尊まします御宝蔵のそば近くに謗法の神棚を祀り込むことなど絶対に許されません。たとえ軍部がなしたこととはいえ、宗門は仏法の道理を以て直言し、諫めなければいけませんでした。しかし宗門はこれを黙認してしまったのです。

 まして宗門は軍部にへつらい、昭和17年10月10日には、伊勢神宮への礼拝を勧める、とんでもない「宗務院通達」を全国の檀信徒宛てに出していました。

 ここに、神棚が祀り込まれた翌日、朝鮮の兵士たちが軍部への恨みから対面所に火を放ち、それが大奥、書院、大客殿へと燃え移る大火災となり、日恭上人が火中で御遷化されるという未曽有の大不祥事となったのです。

 その後、日本はどうなったかというと、その2か月後の昭和20年8月6日に広島に原爆が投下され、その3日後には長崎にも原爆が投下され、ついに8月15日、日本は有史以来の敗戦となったのです。

 まさに「仏法は体のごとし、世間は影のごとし。体曲れば影ななめなり」の仰せのままとなったのです。

大悪起これば大善きたる

 しかし、この有史以来の敗戦こそ、いよいよ広宣流布・国立戒壇建立という大事が成就する大瑞だったのです。浅井先生は次のように指導下さいました。

 いいですか。文永十二年の「大悪大善御書」には「大事には小瑞なし、大悪起これば大善きたる」と仰せ下されている。

 この仰せを拝すれば、広宣流布・国立戒壇建立という重大事には、小さな瑞相などはない。大悪こそが、その大瑞なのであります。

 まさに日本国始まって以来の敗戦、この大悪こそが「御遺命成就」という大善の大瑞だったのであります。

 ゆえに先月の総幹部会で私は、「この敗戦こそ、いよいよ『順縁広布』の時代に突入したその入口である。この先にいよいよ『他国侵逼』があり、そのとき大聖人様はこの大罰を用いて広宣流布をあそばし給うのである」と申し述べた。

「仏法と国家の興亡」特集号

 敗戦後、憲法20条の「信教の自由」によって、国家権力の弾圧を受けることなく日蓮大聖人の御大法を弘める時代が始めて日本に到来し、その第一陣として創価学会の折伏弘通が始まるも、第三代会長・池田大作は次第に慢心し、学会の組織力と財力で宗門(日蓮正宗)を圧伏、「時の貫首」をはじめ宗門全体はただ池田大作の威を恐れ、へつらうのみでした。

 ここに、第六天の魔王は大慢心の池田大作の身に入り、2代にわたる「時の貫首」は池田にへつらい、大聖人一期の御遺命たる国立戒壇を否定し、偽戒壇・正本堂の誑惑を為しました。さらに、学会はあろうことか大聖人出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊を捨て奉り、宗門の阿部日顕は謗法の身延派と連携して大石寺に何度も謗法僧を招き入れました。

 浅井先生は、この極限の大謗法・師敵対を為した池田大作・阿部日顕こそ、正系門家に巣食って内部から御本仏の御遺命を破壊する「師子身中の虫」であり、「正系門家の中から起きたこの師敵対・大謗法は、前に述べた二つの不祥事とは、仏法破壊の深さが違う」として、「正系門家において、大事の御遺命が破壊され、そのうえ学会は戒壇の大御本尊を捨て奉ったのである。どうして他国侵逼により日本が亡びぬことがあろうか」と仰せられました。

「前代未聞の大闘諍」は眼前

 大正時代と敗戦直前に起きた2つの不祥事が国家に与えた甚大な影響をみるとき、学会・宗門による極限の大謗法・師敵対が亡国を招くことは必定と思わずにはいられません。

 そこに思うことは、この亡国必至の日本にあって、濁乱の正系門家に浅井先生がおられ、ただお一人御遺命の正義を堅持し、諫め続けてこられたことが、いかに重大なことだったのかということです。

 先生がおられればこそ、大聖人一期の御遺命の正義は、第六天の魔王に誑かされた宗門(日蓮正宗)・学会から完全に消滅するとも、顕正会に色も替わらず脈々と息づいているのです。

 いま亡国眼前の日本国にあって、御遺命の正義を一国に叫び続けている仏弟子の大集団は、顕正会以外にありません。なれば大聖人様が他国侵逼の大罰を用いてあそばす広宣流布の御化導をお手伝い申し上げる集団もまた、顕正会以外にはあるべくもありません。

 浅井先生は叫ばれました。

 広布最終段階にこのお手伝いをさせて頂けるのは、御遺命を守り奉ったゆえに理不尽なる解散処分を受けるとも一筋の忠誠を貫き、いま三百万の仏弟子の大集団に成らんとしている顕正会以外には、あるべくもない。

 学会も宗門も、大聖人様を忘れている。大聖人様の御眼を恐れない。だから無慚・無愧な師敵対に陥ったのである。

 顕正会は一念も大聖人様を忘れ奉らず。常に「大聖人ここにましませば何を命じ給うか」を拝し奉っている。これが顕正会の行動原理であります。

 三百万の仏弟子の大集団が一結して、全日本人に日蓮大聖人の大恩徳を教え、「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」の重大御聖意を伝えるとき、日本は必ず動く。

 これこそ、大聖人御照覧の「御馬前の戦い」であります。

 さあ、いよいよ三百万を見つめ、大地ゆるがす大行進を進め、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。

「仏法と国家の興亡」特集号

 昭和32年の発足以来、ただ大聖人様に対し奉る一貫不変の大忠誠を貫かれる浅井先生のもと、一生成仏と広宣流布を見つめて正しい信行が叶うわが身の宿縁の有難さに、むせび泣く思いです。

 私も広告文と「仏法と国家の興亡」特集号を手に、国立戒壇建立こそ国家安泰の根本の解決法であることを一人でも多くの人々に教え、広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!

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