追い詰められた大草一党が「国教」を認めて自滅したようです

「国教」を認めてしまった大草一党

 顕正新聞令和2年11月15日号に、菅原教学委員の「寄生虫破折論文」が掲載されていました。

 「たしか前回、妙観講の大草一男に6つの問いをぶつけてたけど、そのあとどうなったんだろう?」と思って読み進めてみると、なんということでしょう!

 大草一党が回答に窮したすえに、細井日達・阿部日顕という2代の貫首が否定していた「国教」を、ついに認めてしまったというのです。いやはや、驚きですね!

 そこで、今回の記事では、大草一党がどのようにして「国教」を認めるに至ったのかを紹介したいと思います。

菅原教学委員の「問い」

 まず前回までのやりとりを簡単におさらいしてみましょう。

 菅原教学委員は、顕正新聞令和2年9月25日号で、大草一男に次の問いをぶつけました(詳しくは、こちらをご覧ください)。

 顕正会・浅井先生の主張は「国立戒壇」「国家的に戒壇が建立される」「正法による国教樹立こそ必要」と叫ばれた日淳上人と同様である。ゆえに、顕正会・浅井先生の主張に対する「思想の自由を剥奪する」「法を下げる」との非難は、そのまま日淳上人の御指南に対する非難となるが、それでよいか。日淳上人の御指南は非難しないというのであれば、かかる二重規範・ダブルスタンダードが許される理由は何か。論理的に回答せよ。

 いやはや、鋭い問いですね。

 第65世・日淳上人は、現憲法に気兼ねすることなく「国立戒壇」と三大秘法を「国教」とすることの重大性を堂々とお叫びになっています。

 「大聖人は、広く此の妙法が受持されまして国家的に戒壇が建立せられる。その戒壇を本門戒壇と仰せられましたことは、三大秘法抄によって明白であります」(日蓮大聖人の教義)

 「真に国家の現状を憂うる者は、其の根本たる仏法の正邪を認識決裁して、正法による国教樹立こそ必要とすべきであります」(大日蓮・昭和32年1月号)

大草一党の回答

 すると、大草一党は、次のように回答したというのです(ちなみに、菅原教学委員は、この回答を大草が作成ないし監修したものとみなして論を進めています)。

 「浅井の『日本国民を一人残らず顕正会員にするという思想』と、日淳上人の『正法による国教樹立』とは別物である。しかも、浅井は、国主・国家権力には断命が許される、としているが、これは日淳上人のお言葉には全く含まれていない危険思想である」

 「(※日淳上人の御指南には)浅井の考える国教論(一人残らず信者にする、謗法者は国主が断命する等)の意味はまったく含まれていない」

 ・・・えーっと、この人たちはいったい何を言っているのでしょうか。どうやら顕正会が言ってもいない内容を言ったことにして、「『国教』の意味が違う!」と言いたいようです。

 菅原教学委員は、このタバカリを次のように一刀両断しています。

 いったい、いつ、浅井先生が「日本国民を一人残らず顕正会員にする」とか、広宣流布の手段として「国主・国家権力には断命が許される」などと仰せられたというのか。タバカリも大概にせよ。

 浅井先生は大聖人の仏法を「国教」とすること等に関連して

 「『国教』とは、国家が宗教の正邪にめざめ、国家安泰・衆生成仏のために国の根本の指導原理として用いる教法のことである」(基礎教学書)

 「『国立戒壇』とは、国費によって立てる戒壇の意ではない。広宣流布の暁の事の戒壇は、全国民の燃えるような赤誠の供養によるべきである。また国立戒壇とは、国家権力による強制をも意味しない。信仰は強制によってなし得るものではない」(正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む)

 と、明確に指導下されている。大草の主張するような内容は全く含まれていないではないか。

顕正新聞令和2年11月15日号

 浅井先生が言ってもいないことを勝手に言ったことにするなんて、なんとも卑怯な連中ですね。

細井・阿部をうしろから切りつけた大草一党

 そして、なんといってもおもしろかったのは、追い詰められた大草一党が、ついに現在の宗門(日蓮正宗)が公式に否定している「国教」化を認めてしまったことです。

 菅原教学委員の記事を見てみましょう

 退路を断たれた大草は、今まで無視し続けていた第六十五世・日淳上人の

 「真に国家の現状を憂うる者は、其の根本たる仏法の正邪を認識決裁して、正法による国教樹立こそ必要とすべきであります」(大日蓮・昭和三十二年一月号)

 との御指南を会通せざるを得なくなり、ついに大聖人の仏法を「国教」とする必要性を認めるに至った。曰く

 「(※日淳上人の御指南は)正法が国家の基となり、民衆を教導するようになる、そのことを国教として闡明するという意味」

 「『慧妙』でも、特段、国教について問題にしているわけではない」と。

 しかし、これは現在の宗門の公式見解と相違する。

 細井日達は

 「(※日蓮大聖人は)決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどと仰せられてはおりません。日本の国教でない仏法に『国立戒壇』などということはあり得ない」(大日蓮・昭和四十五年六月号)

 また、阿部日顕は

 「大聖人の仏法に、国教ということは全くありえないし、かえって正しい弘通が阻害されよう。その国教ということが全く排せられるべきものであるから、国立戒壇ということも当然必要がないのである」(本門事の戒壇の本義)と。

 このように、〝大聖人の仏法が国教になることはあり得ない、だから「国立戒壇」は間違い〟というのが、現在の宗門が「国立戒壇」を公式に否定するために持ち出した理屈であった。

 このタバカリを浅井先生は

 「これ全く逆さまの論理である。国教だからこそ国立戒壇でなければいけない」(基礎教学書)

 と一刀両断しておられるが、今般、大草は追い詰められた末に、宗門が公式に否定する大聖人の仏法の「国教化」を認めざるを得なくなったのである。これは御遺命の戒壇が「国立戒壇」であると認めたに等しい。まさに「語るに落ちる」とはこのこと、大草は細井・阿部の主張が誤りであることを自認したのである。

顕正新聞令和2年11月15日号

 いかがでしょうか。どうやら大草一党は、菅原教学委員の破折をかわそうと必死になるあまり、知らず知らずのうちに細井日達・阿部日顕の主張が誤りであることを認めてしまったようです。例えていうなら、相手の斬撃におびえて無我夢中で刀を振り回すうちに、うっかり親分の背中を切りつけてしまった子分といったところでしょうか

宗門追放に向かう大草一党

 最後に、菅原教学委員は次のように総括しています。

 以上、半年以上にわたる大草一党との紙上法論は、法論のテーマを集約した「六つの問い」に大草が何一つまともな回答をできなかったこと、現在の宗門が公式に否定する「国立戒壇」の論拠を大草が認めるに至ったこと、何より宗門僧俗の多くが目にする「慧妙」紙上に自身の回答を掲載しないという〝逃避〟を図ったこと等を以って、当方の勝利に終わった。大草一党の宗門追放はもう眼前であろう。

顕正新聞令和2年11月15日号

 今回、現在の宗門が公式に否定する「国教」化を認めざるを得なくなってしまった大草一党。「・・・実は、浅井先生が、顕正会が正しかったです」と素直に言えば楽になるのですが、それができないのが彼らなのでしょう。今ごろ、「いやっ、あれは決してそういうイミではっ・・・!」と、必死になって宗門に釈明しているかもしれません。想像すると、ちょっとおもしろいですね(笑)

 こうして、一挙手一投足がしぜんと自らを宗門追放に向かわせてしまう大草一党なのでした。