顕正会こそ諫臣・争子(1)

「顕正会こそ諫臣・争子」特集号が出来しました!

 顕正新聞令和2年8月5日号が出来しました。その名も、「顕正会こそ諫臣・争子」特集号

 このタイトルに、顕正会の仏法上の立場・使命が端的に示されていますね。

 浅井先生は、今回の御講演で、①今こそ国立戒壇建立の時の世相である「末法濁悪の未来」に当たること、②世法における「濁悪」と、さらに重い仏法上の「濁悪」の具体的な姿、③日本に刻々と迫る亡国の様相、④顕正会の仏法上の立場と使命について、たいへん有難い指導をくださいました。

 特に、20年代のしかるべき時に開催される大総会と第3回目の一国諫暁についての重大発表には、大感激がこみ上げました。

 そこで、このブログでは、今回の浅井先生のご指導の感激を2回にわけて書いていきたいと思います!

地涌の菩薩なればこその大法弘通

 この6・7月、新型コロナの急拡大で国中が怯える中、さらに豪雨・大洪水が列島各地を襲う中に、なんと2万2922名もの人々が大聖人の仏法を信じて顕正会に入信・入会しました。いやはや、凄いですね!

 浅井先生は、この大折伏をご覧になり、「地涌の菩薩でなくて、この大法弘通がどうして成し得ようか。私は全顕正会員のけなげな信心を胸に浮べては、ただ涙の出る思いでありました」と温かく労って下さり、次のように仰せられました。

 すでに学会・宗門は大聖人の御遺命に背いて師敵対に陥ってしまった。

 その中で顕正会だけが、大聖人様に一筋の忠誠を貫き、御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立に御奉公ができること、お互いに、なんと有難い宿縁か。いよいよ捨身不退の決意を堅めるものであります。

顕正新聞「顕正会こそ諫臣・争子」特集号

 いかがでしょうか。いま浅井先生のもと、大聖人の御遺命成就のお手伝いをさせて頂ける「宿縁」を、本当に有難く思います。

 このように、みなが大歓喜で広宣流布の御奉公に奮い立てるのも、浅井先生が毎月の総幹部会で確信と情熱を打ち込んで下さるからです。先生は、「私は、総幹部会で広宣流布の大きな歯車が、一回一回回わり進みゆくを感じております。総幹部会こそ、顕正会の命であります」と仰せですが、先生御みずから総幹部会にご出席下さり、私たちにご指導を下さる有難さ、勿体なさを噛みしめては、いよいよ力強いご奉公でお応えしていきたいと決意するものです。

今こそ「末法濁悪の未来」

 さて、大聖人は三大秘法抄に、御遺命の国立戒壇が建立される時の世相について、「末法濁悪の未来」と仰せられています。あの有名な「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」という御金言がそれですね。

 つまり、御遺命の戒壇というのは、人も国も清純な素晴らしい時代に実現するのではなく、濁り切った濁悪の世に事実となる、ということです。

 浅井先生は、「今こそまさしくその『末法濁悪の未来』に当ると、私は思っております」として、世法における濁悪と仏法上の濁悪について指導くださいました。

世法における濁悪

 まず世間を見れば、親が子を殺し、子が親を殺す事件が頻発し、詐欺・強盗・性犯罪・殺人等の犯罪は枚挙にいとまがありません。大聖人は立正安国論に金光明経を引いて「一切の人衆皆善心無く」と仰せですが、人々がみな善い心を失い、貪欲・瞋恚・愚癡の三毒ばかり強くなれば、世の中は犯罪で満ち溢れてしまいます。今のこの濁乱こそ、まさに世法における「末法濁悪」の姿なのです。

仏法上の濁悪

 しかし、この世法における濁悪よりもさらに重大なのが、仏法上の「濁悪」です。これがいま正系門家・富士大石寺で起きているのです。

 こう書くと、「そんなのウソよ!富士大石寺は700年の伝統のまま、一分の濁りもないわ!」という、法華講員たちの声が聞こえてきそうです。でも、残念ながら、彼ら・彼女らは本当のことを知らされていないだけなのです。

 では、仏法上の「濁悪」とはどのようなものでしょうか。浅井先生は次のように指導くださいました。

 それはどういうことか―。一言でいえば、国立戒壇の否定と、戒壇の大御本尊に対し奉る不信であります

 このようなことが七百年来あったでしょうか。まさに、あり得べからざる極限の大謗法・極限の師敵対が、いま起きたのです。

顕正新聞「顕正会こそ諫臣・争子」特集号

 いかがでしょうか。国立戒壇の否定と、戒壇の大御本尊に対し奉る不信、この2つこそ、いま正系門家に起きているあり得べからざる極限の大謗法、極限の師敵対なのです。

 これがどうして「あり得べからざること」なのかといえば、正系門家が700年来ひたすら守り続けてきたのがこの2つだったからです。

 具体的には、「日興上人・日目上人以来七百年、ひたすら日蓮大聖人の出世の本懐たる『本門戒壇の大御本尊』を秘蔵厳護し奉り、御遺命たる国立戒壇建立を唯一の使命・宿願としてきた」のが、正系門家・富士大石寺だったのです。

 それなのに、学会・宗門はともに御遺命たる国立戒壇を否定し、偽戒壇・正本堂を御遺命の戒壇(となる建物)と偽称して教義を歪曲してしまいました。700年来一度も曲げられることのなかった、王仏冥合・王臣受持の時、勅宣・御教書を申し下して国家的に建立されるという大聖人の御遺命の戒壇が、無道心の学会・宗門によって無慚にも「誤り」とされ、その教義内容が改変されてしまったのです。なんという大謗法、なんという師敵対でしょうか。

 この御遺命の正義を堅持しているのは、浅井先生ひきいる顕正会以外にはありません。

 また、学会・宗門は、浅井先生の強烈な諫暁を機として、不思議にも亀裂が生じて深刻な抗争に陥りましたが、その中で、「池田大作と阿部日顕には、共に『戒壇の大御本尊様に対し奉る信心が全くない』というその正体が、白日の下に晒された」ことはなんとも重大です。

 浅井先生は、次のように指導くださいました。

 池田大作は平成二十六年十一月七日に、第六代会長・原田稔をして「弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない」と言わしめ、これを翌八日の聖教新聞に掲載せしめた。これ八百万学会員に戒壇の大御本尊を捨てさせたということであります。

 一方、阿部日顕は、反学会闘争のためには戒壇の大御本尊を憎嫉する身延とも連携し、さらに「戒壇の大御本尊をもっと誹謗せよ」などと身延派坊主に嗾けた大謗法者・山崎正友とも手を組んだ。

 これら二人の所行は、正系門家七百年の歴史において未だ曽てなき、まさに極限の大謗法・極限の師敵対であります。

顕正新聞「顕正会こそ諫臣・争子」特集号

 いかがでしょうか。学会が犯した極限の大謗法には言葉を失いますが、阿部日顕の所行もまた、時の貫首の立場にありながらあり得ない師敵対です。自分の身を守るためなら戒壇の大御本尊を誹謗・攻撃する身延派や大謗法者・山崎正友とも癒着する―このような腐敗堕落の「貫首」が700年来かつていたでしょうか。

 これも御遺命に敵対する2冊の悪書を平然とものした詐称法主・阿部日顕だからこそできた悪行といえるでしょう。要するに「魔」が入っていたのですね。

大聖人が許し給わず

 このように、学会・宗門が極限の大謗法、極限の師敵対に陥る中、御遺命の正義を守り奉り、不当なる解散処分を被るとも戒壇の大御本尊に対し奉る恋慕渇仰の信心、一筋の忠誠を貫かれる御方は、浅井先生以外にはおられません。

 そして、先生の連々たる諫暁により、ついに学会・宗門が「御遺命の戒壇(となる建物)」と口をそろえて偽称していた偽戒壇・正本堂は、平成10年、音を立てて崩壊しました。つまり、浅井先生が正しく、学会・宗門は御遺命に背いていたということです。

 浅井先生は、次のように指導くださいました。

 私は思っております。

 大聖人様がこの大悪を許し給わないのであると。

 ゆえに大聖人様は、顕正会をして諫暁せしめ、諸天をして学会・宗門に抗争を生ぜしめ、ついに偽戒壇・正本堂を打ち砕かせ給うたのであります。

顕正新聞「顕正会こそ諫臣・争子」特集号

 いかがでしょうか。あの「御遺命守護の戦い」も、すべては大聖人が顕正会をしてなさしめ給うた御化導だったんですね。大聖人の御味方をさせて頂けるとは、なんと有難い立場でしょうか。

 そして、正本堂が崩壊した後も、未だに改悔なく御遺命に背き続け、衰亡の一途を辿る学会・宗門を尻目に、いま顕正会は大聖人に応え奉らんと御遺命成就に向けて折伏に励み、その弘通は日本国を独走しています。

 この姿こそ、顕正会が大聖人に召し出された真の仏弟子・地涌の菩薩の大集団であることの証と思えば、その末席に連ならせて頂ける「宿縁」の有難さが幾重にもこみ上げます。

 私も広告文を片手に、広宣流布のお手伝いをがんばっていきたいと思います!