正本堂の誑惑を破す(1)正本堂の誑惑の目的

正本堂の誑惑の目的とは

今回は、「なぜ池田大作は正本堂を御遺命の戒壇と偽ったのか」について書いてみます。

いわゆる正本堂の誑惑の目的ですね。

浅井先生は、「その狙いは次の三つである」として、次のように指導くだされています。

一には、国立戒壇を否定するため

二には、宗門七百年の悲願を達成したのは自分であると誇るため

三には、正本堂を口実に資金を集めるため

一は主目的であり、二・三は副次目的、彼は一石三鳥を狙ったのである。

それでは、「二」→「三」→「一」の順に見ていきましょう。

宗門七百年の悲願を達成したのは自分であると誇るため

池田大作は、宗内僧俗が正本堂の誑惑になびくと見るや、正本堂建立を「七百年来の宿願であり、久遠元初以来の壮挙である」(立正安国論講義)等と自讃し始めました。

浅井先生は、「自らなした大誑惑を自讃するとは恐れいった無慚ぶりであるが、彼はこの名聞を求めていたのである」と仰せられています。

正本堂を口実に資金を集めるため

池田大作は、正本堂を口実に、莫大な資金を手にしました。

それは、正本堂の募財に当たり、学会員らに「資力の限りを尽し」て出させた供養の全額を、細井日達から受け取ったからです。

いま私はこの供養をちょうだいいたしました。そしてこの全額を、私の信頼をもって、正本堂建立、ならびに広宣流布達成のための事業、設備等に使用していただくために、池田委員長に委任したいと思います」(学会本部幹部会・聖教新聞昭和40年10月18日)との細井日達の発言を見れば、始めから「仕組まれていた」ことがよくわかります。

国立戒壇を否定するため

正本堂の誑惑の主目的は「国立戒壇の否定」です。

これはどういうことかというと、次のとおりです。

池田大作は昭和37年ころまでは、「学会の政治進出は国立戒壇建立のため」と繰り返し言っていました。

しかし、政界進出が本格化するにつれて、評論家から「国立戒壇は政教分離を規定した憲法に違反する」等の批判が相次ぐと、池田はこの批判をたいへん恐れました。

そこで、政治野心だけが目的の彼は、選挙に不利であるとして、国立戒壇を放棄することにしたのです。

学会の出版物からは、昭和37年ころより「国立戒壇」の文字が消えました。しかし、口で否定しただけでは世間は信じてくれません。

そこで、池田は昭和39年5月3日の学会総会で「正本堂」建立を発表し、その9か月後の細井日達の説法をもって、国立戒壇を正本堂にすり替えたのです。

ちなみに、池田は正本堂の誑惑につき、「すべては猊下が決定された」などと言っているようですが、彼は細井日達の最初の説法以前から正本堂を本門戒壇(御遺命の戒壇)と言っていました。

このことは、昭和39年5月3日の学会総会のすぐあとに、竜年光(教学部教授)が池田の言葉として「今度の正本堂は、いよいよ本門の戒壇となる」(聖教新聞昭和39年5月26日号)と公表していることを見ても明らかです。

そして、池田は、細井日達の説法を待って、いよいよ声を大にして叫んだのです。

正本堂の建立は、事実上の本門戒壇の建立を意味いたします。このことは日達上人のご説法によっても、明らかであります。戸田先生もわれわれも、いちじ『国立戒壇』といってきました。しかし、どこを捜しても、御書には『国立戒壇』ということばはないのです。大聖人様はちゃんと未来を考えていらっしゃったのです。いまの評論家どもは『創価学会は国立戒壇を目標にしているからけしからん』といいますが、私はなにをいうかといいたい。そんなことは御書にはありません。彼らはなにもその本義を知らないのです。猊下が、正本堂が本門戒壇の戒壇堂であると断定されたのであります。

ですから、皆さん方は『創価学会は国立戒壇が目標である』といわれたら、いいきっていきなさい。とんでもない、こんどの私どもの真心で御供養した浄財によって、正本堂が建立する。それが本門の戒壇堂である。これでもう決定されているのですと。私ども創価学会員ならびに日蓮正宗信徒の真心の結集によって、本門の戒壇堂は、もうできてしまうのです。・・・国家予算によって、国立戒壇が建立されるということはありえないのです(聖教新聞昭和40年9月22日)

浅井先生は、この池田の講演について、「正本堂が国立戒壇を否定するために建てられたものであること、この講演に歴然である。まさに池田大作は政治野心のために、御本仏の一期の御遺命を破壊したのであった」と仰せられています。

正本堂の誑惑が、池田の政治野心、さらには名聞とカネのために行われたこと、以上のご指導でまことに明らかです。要するに、池田には「信心がなかった」のですね。