「幸せ」について本気出して考えてみた
前回の記事では、人生の目的は「幸福」であり、永遠に崩れぬ最高無上の幸福である「成仏」こそ人生の究極の目的である、ということを書きました。
今回は、この「幸福」について、現世と来世にわけて、少し掘り下げて書いてみたいと思います。
いま「幸せそう」な人は仏法をやらなくても良いか?
まず「現世」の幸せについて。
世の中には、その日を暮らすのに精一杯の人々がいる一方、あるいはたくさんのお金を持っていたり、あるいは恵まれた容姿をしていたり(いわゆる美男・美女)、あるいは地位や権力を持っていたりする人々がいます。
これらの「幸せそう」な人々は、はたして仏法をやらなくても良いのでしょうか。
答えは、否です。
想像してみてください。たとえば、大企業の社長や政治家・官僚などのお偉いサンは、確かに恵まれた生活を送っているかもしれません。しかし、その生活は、はたして永遠に続くのでしょうか。
いまの御時世、大企業といえどもいつ潰れるかわかりません。あるいは、ありあまる地位や財産を持っていても、ある日、脳や心臓の血管が詰まったり、ふとした瞬間に交通事故に遭ったりすれば、明日は故人です。
つまり、私たちは明日の我が身がどうなるかさえわからないのです。「地位や財産による幸福はすぐに崩れる」といわれるゆえんです。
こう書くと、「ふん、そんなこと言ってたら何もできやしないさ。その時はその時!人間、努力して生きていくことが大切なんだ!」と思う方がいるかもしれません。
確かに「努力」は大切です。誰も否定はしないでしょう。
しかし、努力さえすれば必ず幸せになれるのかというと、これはまた別の話です。
そこには、決定的に必要なモノがあるのです。
濁った生命に幸福なし
浅井先生のご指導を拝してみましょう。
人は幸福への手段・条件として、地位・財産・名声等、もろもろの欲するものを手に入れようとする。だが〝欲しいもの〟が手に入ったら、果たして幸福になれるであろうか。
結論から云えば、もしその人の生命が濁っていれば、求めて得たものは、かえって不幸の因となる。濁った生命とは、貪欲・瞋恚・愚痴・慢心等に覆われた、地獄・餓鬼・畜生・修羅等の四悪道の生命をいう。
家を建てるのに、土台が傾いていればすべてが傾くように、四悪道の生命においては、求めて得た幸福の条件が、かえって苦報をもたらす。
たとえば、欲しくてたまらぬマイカーを手に入れて、取り返しのつかぬ事故を起こすこともある。憧れのマイホームを建てたが、ローン返済に追われて家庭崩壊に至った例も多い。あるいは子宝に恵まれた若い母親が育児ノイローゼになって自殺する悲劇もある。また政治家・官僚・企業経営者が、やっと手に入れた地位・権力により、かえって身を亡ぼす例は枚挙にいとまがない。地位・財産などが即幸福ではないのだ。
所詮、主体たる自身の生命が濁っていれば、幸福の条件と思われるものがかえって不幸の因となり、また福運が尽きれば、その人の才能さえ幸福をもたらさない。
大聖人は、強信そして武芸の達人であった四条金吾殿が、絶対絶命の闇討ちに遭いながら不思議にも存命したとき、次のごとく仰せ下されている。
「夫れ運きはまりぬれば兵法もいらず、果報つきぬれば所従もしたがはず。乃至、すぎし存命不思議とおもはせ給へ。なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」と。
-もし福運が尽きてしまったら、いかに兵法を心得ていようとも少しも役に立たない。また果報が尽きてしまったら所従(家来・部下)も従わなくなる。この闇討を遁れたこと、不思議と思うべきである。これ偏えに御本尊の御守護である。ゆえに何の兵法よりも法華経の兵法を用いよ。すなわち強き信心こそが最高の兵法なのである-と。
この仰せのごとく、福運が尽きればいかなる努力や智恵・才覚も虚しくなる。強き信心によって我が身に具った福運だけが、崩れぬ幸福を築くのである。
(基礎教学書・日蓮大聖人の仏法「第二章 人生の目的と幸福論」より)
いかがでしょうか。
もし自分の生命が濁っていたら、どれほど地位や権力やお金があっても、かえって不幸の原因となってしまいます。また、福運が尽きれば、いくら努力しても幸福につながってこないのです。
そこに、すべての人に「仏法」が必要なゆえんがあります。
仏法を実践すれば、いかなる人も、我が命に仏様が宿ってくださいます。欲と怒りと愚痴の三毒の命が、清らかな仏様の生命に変わるのです。
だから、自分も周りも変わります。本当に有難い、幸せな日々になってきます。これを「宿命転換」といいます。
また、仏様の命が宿ることで、自然と我が身に「福運」が具わってきます。努力や才覚が活かされてくるのです。だから、同じことをしていても、結果が変わってきます。
顕正会に入信して、朝晩の勤行を始めたら、営業成績がグーンと上がった、という体験談をよく聞きますが、まさに福運が具わった姿にほかなりません。
人生、どこで何があるかわかりません。福運が尽きれば、地位や財産は脆くも崩れ、努力や才覚を活かすこともできません。「強き信心によって我が身に具った福運だけが、崩れぬ幸福を築く」のです。
だから、大聖人の仏法は、すべての人にとって必要なものなのです。
成仏とは何か?
次に「来世」の幸せについて。
先ほど「強き信心によって我が身に具った福運だけが、崩れぬ幸福を築く」と書きましたが、これを読んだ方の中には、「『崩れぬ幸福』って言うけど、みんな最後は死ぬんだから、いつかは崩れてしまうんじゃない?」と思われた方がいるかもしれません。なかなか鋭い指摘ですね(笑)
たしかに人はいつか必ず死にます。いや、人だけではありません。地球上のすべての生き物が、最後には必ず死を迎えるのです。
そう考えると、この短く儚い人生において、一体何をすべきなのか、頭を抱えてしまう人もいるかもしれません。
しかし、ここにこそ、大聖人の仏法の有難さがあるのです。それは「成仏」という、生死を乗り越えて永遠に崩れぬ無上の幸福境界を得させて頂けるからです。
では、「成仏」とは、どのような境界なのでしょうか。ただ「死ぬ」こととは違うのでしょうか。
答えは、浅井先生の次のご指導にハッキリと示されています。
永遠に崩れぬ幸福
さて前項で、人間にとって最も大切なのは身命であり、これを失うことが最大の不幸と述べたが、では、人は誰でも死を迎えるから、永遠に崩れぬ幸福とはいったい何かという問題が浮かび上がってくる。
死を最大の不幸とするのは、現世の生命だけを見ての所論である。再応深く生命の実相を見つめれば、生命は永遠であり、死によって消滅するものではない。詳しくは第四章に述べるが、生死という現象は生命が常住していく上での存在形態の変化にすぎない。すなわち生命は生死をくり返しながら、宇宙と共に常住しているのである。
そして三世にわたって、幸・不幸の因果は鎖のごとくつながっている。ゆえにもし現世において悪業を積むならば、その人は死後に大苦を受ける。もし正しい仏法を行じて成仏を得るならば、死後の生命は自受法楽の大果報を受ける。
現世はわずか数十年、未来は永遠である。このことがわかれば、現世の寿命の長短などは小さな問題となる。最も大事なことは、一生のうちに成仏が叶うか否かということである。
したがって、成仏・不成仏が証拠として現れる臨終こそ人生の最大事ということになる。もしよき臨終を遂げるならば、永遠の生命の上からみてこれほどの喜びはなく、もし堕獄の悪相を現ずるならば、これほどの不幸はないのである。
ゆえに大聖人は
「日蓮幼少の時より仏法を学し候しが、念願すらく、人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし、風の前の露尚(なお)譬えにあらず、かしこきもはかなきも、老いたるも若きも、定めなき習いなり。されば先づ臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(妙法尼御前御返事)と。
人の一生はまことに短く儚い。しかし三世のつながりからこの一生を見れば、永遠の未来をはらんだ限りなく大事な人生ということがわかる。もし一生のうちに成仏を遂げられなかったら、必ず万劫に悔いを残す。ゆえに「先づ臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と仰せ給うのである。
まことに仏法は、現世の安穏だけでなく、死を乗り越えてさらに未来永遠の幸福をもたらす、まさに現世安穏・後生善処の生活法なのである。
今生に日蓮大聖人の仏法により成仏した者は、生々世々、日蓮大聖人・御本尊と離れることはない。
「過去の生死・現在の生死・未来の生死、三世の生死に法華経を離れ切れざるを、法華の血脈相承とは云うなり」(生死一大事血脈抄)
「在々諸の仏土に、常に師と倶に生ぜん」(同前)と。
まことに御本尊の功徳により、現世には宿命転換して幸せになり、臨終には成仏の相を現じ、生々世々に大聖人の仏法に離れることなく、自利々他の楽しく崇高なる人生を永劫にくり返すことが出来たならば、なんと素晴らしいことか。
これが成仏の境界であり、永遠に崩れぬ幸福というのである。
(基礎教学書・日蓮大聖人の仏法「第二章 人生の目的と幸福論」より)
いかがだったでしょうか。
人はいつか必ず死にます。しかし、「御本尊の功徳により、現世には宿命転換して幸せになり、臨終には成仏の相を現じ、生々世々に大聖人の仏法に離れることなく、自利々他の楽しく崇高なる人生を永劫にくり返すこと」ができるとは、なんと有難いことでしょうか。
まさに「永遠に崩れぬ幸福」です。これを「成仏」の境界というのです。
このような素晴らしい境界を、わずか一生のうちに得させて頂けるのが、日蓮大聖人の仏法です。地位もお金も学歴も関係ありません。
いかなる人も、素直に、そして正しく実践するならば、必ず一生のうちに「成仏」が叶うのです。
かく見れば、まさに「成仏」こそ、人生の究極の目的であることがよくわかります。