顕正新聞が日蓮正宗の邪義に止めを刺しました(2)

「訓諭」についてのタバカリが破綻しました

 顕正新聞5月15日号に掲載された「御遺命違背の糾弾から逃げ回る大草一党に止めを刺す」。今回は、細井日達の「訓諭」(昭和47年4月28日)を破折する部分を紹介してみたいと思います。

 細井日達の「訓諭」といえば、あの偽戒壇・正本堂のことを、あろうことか「御遺命の戒壇を前もって建てておいたもの」などと宣言したものです。池田大作に諂って、このようなとんでもない御遺命違背の指南を正式に出してしまったのですから、宗門の罪は深いですね。

 でも、日蓮正宗の人たちは、未だに御遺命違背の大罪を少しも改悔せず、「訓諭は間違ってない!」と言い張っているようです。いやはや、ほんとうに信心がないんですね。だから現世には罰を受け、後生には入阿鼻獄となっているのです。

 心ある法華講員は、ぜひ宗門の御遺命違背から目をそらすことなく、大聖人に背き奉った大罪を深く改悔してほしいと思います。(以下、引用です)

第2 正本堂訓諭について

 細井日達は、昭和47年4月28日に発布した訓諭において、正本堂の意義につき「一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」と述べた。これは、「正本堂は一期弘法付嘱書・三大秘法抄に御遺命された戒壇を前以て建てておいたもの」ということである。

 しかし、未だ広宣流布も達成していない段階で、御遺命の戒壇となる建物を建ててしまうことは、三大秘法抄に定められた時・手続を無視し、「時を待つべきのみ」の御制誡に背くことになる。よって、細井日達の訓諭は、大聖人の御遺命に背き奉るものである。

 時の貫首の最高指南である「訓諭」による御遺命違背であれば、深き懺悔と明確なる訂正がなければ宗門一同の入阿鼻獄は疑いない。

「戒壇の建物を前もって建てても問題ない」との痴論

 ところが、無道心きわまる大草一党に懺悔は微塵もない。かえって〝御遺命の戒壇を前もって建てて何が悪い〟と開き直っている始末である。

 しかし、前回記事で指摘したとおり、かかる大草一党の己義は、彼らが信伏随従する阿部日顕の所説にも矛盾するものである。すなわち、阿部日顕はかつて自身が書いた2冊の悪書における「戒壇の建物は広布完成前に建ててよい」との記述につき、「言い過ぎやはみ出しがある」と誤りを認めているのである。

 この事実については、さしもの大草一党も言い訳に窮したようで、「これは全く文意のスリカエである」等と虚勢を張るのが精一杯であった。

 では、阿部日顕が述べた当該部分の原文を示そう。はたして「文意のスリカエ」かどうか、刮目してみるべきである。

 「昭和四十七年の『国立戒壇論の誤りについて』と昭和五十一年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがある」(近現代における戒壇問題の経緯と真義)

 これは、阿部日顕がかつて著した悪書において、「戒壇の建物は、広宣流布が一切完結した後に建てられるという見解にとらわれてはならない」、「現在戒壇建立の意義をもつ建物を建てるべき時である」等と書いたこと、すなわち「戒壇の建物は広布完成前に建ててよい」と書いたことにつき、自ら「言い過ぎやはみ出しがある」と誤りを認めたものにほかならない。どこに「文意のスリカエ」があるか。何度でも言うが、すぐバレる嘘をつくのはやめよ。

 以上より、「戒壇の建物を前もって建てても問題ない」と言い張る大草一党の己義が、大聖人様の御金言及び歴代上人の御指南に違背するのみならず、阿部日顕の所説にすら違うデタラメであることが、ここに明らかとなった

「建立」の意味のたばかり

 このように、細井日達の訓諭が御遺命違背であることはすでに明白であるにもかかわらず、往生際の悪い大草一党がなんとか言い逃れをしようとして編み出したのが、「建立」という言葉の意味のたばかりである。

 もし「建立」の意味を〝戒壇(建物)を建設すること〟と素直に拝すると、広布以前に戒壇(建物)を建てることは「時を待つべきのみ」の御制誡に反してしまう。そこで、大草一党は、「建立」の意味を〝大石寺を改称して、本門寺戒壇の意義が現れること〟とたばかるのである。

 しかし、これは全くの己義である。何をどう読んだら三大秘法抄・一期弘法抄の「建立」の二字が「大石寺を改称して・・・」の意となるのか。このように、御遺命違背の大罪を匿すためなら平然と御金言を曲げ、社会常識からかけ離れた痴論を嘯くのが大草一党の特徴といえよう。

 この大草一党の痴論につき、前回記事では次の3点から破折を加えた。

 ①「建立」の語義からして、戒壇という建物を「建立する」との文脈であれば、〝建設する〟の意であることは自明である。

 ②三大秘法抄における「建立」に「大石寺を改称して・・・」の意は全くなく、戒壇(建物)を〝建設する〟の意であること誰の目にも明らかである。

 ③歴代上人も「建立」につき〝戒壇(建物)を建設する〟の意で御指南されている。

 これに対し、今回、大草一党がさらなる言い訳を試みてきたわけであるが、その内容の低劣さ、支離滅裂さにはただ呆れるばかりであった。以下、簡単に破折する。

 まず大草一党は、「建立」の語義(①)につき、「その用い方によって、さまざまな意味をあらわすのである」などとごまかしているが、失当である。ここで議論しているのは、戒壇という建物を「建立する」という文脈における意味であり、それが〝建設する〟の意であると論証しているのである。他の文脈における「用い方」を挙げたところで意味がない。

 次に大草一党は、当方が示した歴代上人の御指南(③)につき、「一を知って二を知らぬ短見」などごまかし、これも「大石寺を改称して・・・」という意味に「会通」すべき、などという。

 しかし、「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命である」(「大白蓮華」昭和35年1月号)の「建設」が、なぜ〝建設する〟ではなく、〝大石寺を改称する(名称を改める)〟となるのか。もはや莫迦としか言い様がない。他の御指南についても然りである。

 何よりも決定的であったのは、大草一党が三大秘法抄における「建立」の意(②)について一言も反論できなかったことである。

 そもそもこの議論は、大聖人様が三大秘法抄・一期弘法抄に「時を待つべきのみ」と御制誡されているにもかかわらず、御遺命の戒壇を前以て建てて良いか否か、というものである。そうであれば、何よりも三大秘法抄等における「建立」の意義を拝さなくてはならない。

 そうすると、大草一党の己義がデタラメであることが露呈する。なぜなら、大聖人様が三大秘法抄等に戒壇を「建立」せよと御遺命あそばされた御時には、未だ大石寺は存在していなかったからである。当時、大石寺は存在していなかったのであるから、両抄における「建立」との仰せが「大石寺を改称して」の意であるはずがないのである。ここに大草一党が構える己義の論理破綻が明白となった。

 御本仏の御金言をほしいままに曲会するのは魔の所行である。三大秘法抄の「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべきものか」、一期弘法抄の「富士山に本門寺の戒壇を建立せられるべきなり」との仰せを正直に拝せば、ここでの「建立」が戒壇(建物)を〝建設する〟の意であること、太陽のごとく明らかである。ゆえに広布以前に戒壇を建てることは「時を待つべきのみ」の御制誡に反するのである。

小括

 以上のとおり、未だ広宣流布も達成していない段階で御遺命の戒壇を前もって建ててしまうことは、三大秘法抄に定められた時・手続を無視し、「時を待つべきのみ」の御制誡に背くことになる。しかるに細井日達は、池田大作にへつらい、「正本堂は一期弘法付嘱書・三大秘法抄に御遺命された戒壇を前以て建てておいたもの」と定める訓諭を発布した。よって、細井日達の訓諭は大聖人の御遺命に背き奉るものである。

(続く)