顕正会と宗門の紙上法論、ついに決着!教学委員が宗門坊主を完全論破しました!(1)

「顕正会の勝利・宗門僧俗の敗北」で幕を閉じた紙上法論

 顕正新聞令和2年6月15日号に、すごい記事がありました。なんと法務部次長でもある菅原教学委員が、宗門の塔中坊主の関快道を、完全論破した論文が掲載されているではないですか!タイトルは、「関快道の敗北を誤魔化す『慧妙』の悪足掻きを粉砕す」「『勅宣・御教書』は戒壇建立の必要手続 宗門僧俗、ついに反論不能に陥る」。

 私もさっそく読んでみましたが、菅原教学委員の鋭い破折に驚きました。なかなかこうは書けません(笑)また、文末に記された、「ここに『慧妙』令和二年二月一日号に掲載された関の痴文に端を発する今般の法論が、『顕正会の勝利・宗門僧俗の敗北』という形で完全決着したことを宣言する」との一文には、大感動が込み上げました。

 そこで、このブログでは、何回かにわけて、今回の論文の内容を紹介していきたいと思います。

国立戒壇=大石寺の歴代上人が叫ばれた御遺命

 「ちょっと待って!私はその法論のこと、ぜんぜん聞かされてないんだけど・・・」という法華講員のみなさんのために、これまでの経緯を簡単にふりかえってみましょう。

 事の発端は、関快道が「慧妙」令和2年2月1日号に掲載した論文でした。関は、その中で、「国立戒壇論が大聖人の教えを改変したものなら、顕正会員は、浅井会長以下全員が無間地獄に堕ちます。また国立戒壇論が大聖人の正しい教えであるなら、否定した日蓮正宗僧俗は全員無間地獄に堕ちることになります」と大それたことを言い放ちました。

 日蓮正宗(宗門)のみなさん、もし国立戒壇が大聖人の正しい教えであるなら、みなさんは全員無間地獄に堕ちてしまうそうです。

 そして、残念なことに、この時点において、すでにみなさんの無間地獄は決定しているのです。なぜなら、国立戒壇というのは、顕正会が独自に主張し始めたものではなく、大石寺の歴代上人たちが叫ばれていた、大聖人の御遺命だからです。

 文証を引きます。

59世・日亨上人

宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華11号)

64世・日昇上人

国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)

65世・日淳上人

蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(日淳上人全集)

大聖人は、広く此の妙法が受持されまして国家的に戒壇が建立せられる。その戒壇を本門戒壇と仰せられましたことは、三大秘法抄によって明白であります」(日蓮大聖人の教義)

 いかがでしょうか。これらの御指南を拝すれば、国立戒壇というのは、顕正会がはじめて主張し始めたものではなく、大石寺の歴代上人が大聖人の御遺命として叫ばれていたものであること、太陽のごとく明らかですね。

 ですから、もし関が言うように、国立戒壇が「大聖人の教えを改変したもの」だとしたら、顕正会ではなく、これらの歴代上人が「大聖人の教えを改変した」ことになります。そのようなことのあるべきはずがありません。

 いや、65世・細井日達すら、登座直後には次のように述べていたのです。

富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」(大白蓮華35年1月号)

真の世界平和は国立戒壇の建設にあり」(大日蓮35年1月号)

事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」(大日蓮36年5月号)

 このように細井日達すら、「広宣流布の時の国立の戒壇」、「国立戒壇」を、大聖人の御遺命と述べていたのです。

 何より、日蓮大聖人の御金言を拝すれば、御遺命の本門戒壇とは、「王仏冥合」「王臣受持」の時、「勅宣並びに御教書」すなわち国家意志の表明を手続として、富士山に建立される戒壇であることは、三大秘法抄に赫々明々です。

 だからこそ、先にみた歴代上人たちは、この御遺命の戒壇を「国立戒壇」と称し、「国家的に戒壇が建立せられる」、「広宣流布の時の国立の戒壇」等と述べてこられたのです。

大事な御遺命を「改変」した2人の貫首

 ところが、細井日達、阿部日顕の2代にわたる貫首は、池田大作の金力・権力にへつらって、この大事な御遺命を「改変」してしまいました。具体的には、にわかに建てた偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇(となる建物)」と偽称し、国立戒壇を否定したのです。

 念のため、文証を引きます。

 細井日達は、次のように述べました。

浅井らは何ら教義上の反ばくもなく、ただ先師がどうの、私が昔云ったのと云うだけであります。私は、昔云ったことはあるが、今は云わないと云っておるのであります。私の信念は不動であります。未来永遠にわたり、国立ということはなかろうと確信しておるからであります。浅井らは、人のやることに干渉せず、自分達の力で、やれるものならやってみればよいと思うのであります。但し、国立というのは本宗の教義ではないので、元妙信講が日蓮正宗と名乗ることだけは、今日限りやめてもらいたい」(大日蓮昭和50年9月号)

 いかがでしょうか。昭和36年には、御遺命の戒壇につき、「勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」と述べていた細井日達が、ここではなんと、「未来永遠にわたり、国立ということはなかろうと確信しておる」、「国立というのは本宗の教義ではない」と言い放っているのです。全く真逆ですね。

 また、阿部日顕も次のように述べました。

 「正本堂は現在直ちに一期弘法抄、三大秘法抄に仰せの戒壇ではないが、将来その条件が整ったとき、本門寺の戒壇となる建物で、それを今建てるのである」(「国立戒壇論の誤りについて」昭和47年6月)

 歴代上人たちが、御遺命の戒壇とは「広宣流布の暁の国立の戒壇」と叫んできたにもかかわらず、阿部は、偽戒壇・正本堂を「本門寺の戒壇となる建物」と偽称したのです。これも歴代上人の仰せと全く異なります。

 日蓮正宗(宗門)のみなさん、心を沈めてよくよく真実を見つめなければいけません。国立戒壇というのは、顕正会がはじめて主張し始めたものではなく、歴代上人たちが叫ばれていた大聖人の御遺命であり、細井日達すらも登座直後には述べていた正論です。これが「大聖人の教えを改変したもの」であるわけがないでしょう?

 正本堂問題の前後を通じて、これら歴代上人の御指南に従い、「国立戒壇こそ大聖人の御遺命」と一貫して叫び続けてきたのは、浅井先生率いる顕正会以外にはありません。

 まさに知るべし、「大聖人の教えを改変した」のは、歴代上人たちでも、顕正会でもなく、池田大作にへつらった細井日達・阿部日顕という2人の貫首なのです。だから御遺命違背であり、大聖人に背く師敵対というのです。

 もう一度、関快道の論文を引用します。

 「国立戒壇論が大聖人の教えを改変したものなら、顕正会員は、浅井会長以下全員が無間地獄に堕ちます。また国立戒壇論が大聖人の正しい教えであるなら、否定した日蓮正宗僧俗は全員無間地獄に堕ちることになります

 この関の言葉に照らせば、日蓮正宗僧俗は全員無間地獄に堕ちざるを得ません。だから、生活上に罰を受け、折伏弘通も進まず、臨終に悪相を現じるのです。

「歟」の一字を口実に大聖人と歴代上人に弓を引いた関快道

 このように、大聖人の御金言と歴代上人の御指南に照らせば、この法論、もとより宗門に勝ち目はありません。

 ところが、無智・無道心の関快道は、「私は、原文の『可建立戒壇者歟』の『歟(か)』の一字で、国立戒壇論が大聖人の教義でないことを証明します」などと粋がり、大聖人の御金言と歴代上人の御指南に対して弓を引きました。

 しかし、この関快道の稚拙な邪義は、菅原教学委員によって完膚なきまでに破折され、たちまち墓穴を掘ることになったのです・・・。(続く)