本年の2つの意義(2)

 前回の続きです。もうすぐ今年も終わりですが、来年は教学試験がありますので、私も「立正安国論謹講」をしっかり学びたいと思います(笑)

 さっそく前回の続きを書いていきましょう!

 12月度総幹部会において浅井先生は、本年の2つの意義を指導くださいました。

 1つは、御遺命守護の戦いがようやく最終章に至ったということ。

 もう1つは、「広告文と遥拝勤行で広宣流布は成る」の確信がいよいよ全顕正会にみなぎって来た、ということです。

 今回は、2つめの意義について書いてみたいと思います。

広告文こそ「開目のメス」

 いま「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」の広告文が、全国で力強く配布されています。総幹部会の時点で、なんと4300万枚に達したそうです!だいたい日本人の3人に1人でしょうか。いやはや、すごいですね!

 たしかに最近、広告文を配布していると、「ああ、それポストに入ってたよ」とか、「この前、駅でもらったよ」という人がとても多いですね。

 浅井先生は、次のように指導されています。

 手にしても、最初は反発する人もいるでしょう。しかし、日蓮大聖人の仏法は誰人も否定できない。ついには必ず入信する。この広告文こそ、全日本人に日蓮大聖人の大恩徳を教えて目を開かせる、まさに「開目のメス」であります。(中略)

 「臨終」の現証と、「立正安国論の予言的中」の現証と、「竜の口」の大現証、この誰人も否定できない三つの現証を以て人々の目を開かせ、日蓮大聖人を信ぜしめるのが、この広告文であります。

 どうか、大確信に立って、この広告文で広宣流布を力強く進めてほしいと念願しております。

顕正新聞令和2年1月5日号

 近い将来、全日本人がこの広告文を読み、日蓮大聖人の大恩徳を知る日が来ることを思うと、今からワクワクしてきます。

 いま学会も宗門も折伏がぜんぜん進みません。そこで、「顕正会は、なんであんなに折伏が進むんだろう?」「何か秘訣があるのかな?」と不思議に思い、「なるほど!あの広告文があるから折伏が進むのか!」と気づいたとき、もしかしたらこっそりコピーして使い出すかもしれませんね(笑)

 それはさておき、この広告文こそ、まさに「開目のメス」!いよいよ大確信に立って、広告文片手に大聖人の大恩徳を伝えていきたいですね。

遥拝勤行の有難さ

 次に遥拝勤行について。浅井先生は、総幹部会において、とても有難い指導をくださいました。

 広告文で目を開いたら、さらに基礎教学書で信心を深め、遥拝勤行に励むこと。

 すなわち我が家から、距離を乗り越えて直接、富士大石寺にまします戒壇の大御本尊を遥拝し奉るのです。

 この恋慕渇仰のお題目は、直ちに日蓮大聖人の御当体たる戒壇の大御本尊様に通じ、大功徳が頂ける。この大功徳に歓喜して人にも勧めるに至れば、その人はもうただの素凡夫ではない、「地涌の菩薩」ですよ。

 ゆえに大聖人様は

 「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか

 と仰せ下されている。

 この地涌の菩薩が日本国中に満ち満ちる時が広宣流布であります。

顕正新聞令和2年1月5日号

 なんとも有難いご指導ですね。いま広告文の縁で入信した方々が、基礎教学書を拝読して大感激し、遥拝勤行に励んで大功徳を頂いています。その功徳の歓喜から、自然と人にも教えているのです。それが実はもう「地涌の菩薩」の姿なのですね。

 それにしても、この「遥拝勤行」、なんと有難い信行でしょうか。

 浅井先生は、次のように指導くだされています。

 信心に距離は関係ない。いかに距離が離れていようとも、恋慕渇仰して戒壇の大御本尊を遥拝し奉れば、そのお題目は直ちに日蓮大聖人・戒壇の大御本尊に通じて大功徳が頂ける。

 私は、広布最終段階の信行は、この遥拝勤行であると確信しております。

 広布前夜には、必ず御遺命が第六天の魔王によって破壊されんとする。そのとき、もしその大悪を諌めれば、必ず解散処分を受ける。その解散処分を乗り越えて、始めて広宣流布が成し遂げられるのです。

 ゆえに私は、遥拝勤行こそ広布最終段階の信行の姿である。これ大聖人様が教えて下さったものと、深く拝しております。(中略)

 いま顕正会は御遺命を守り奉ったゆえに、この遥拝勤行に立たせて頂けた。

 遥拝勤行こそ忠誠の証であります。だから直ちに大聖人様に通じて大功徳があるのです。

顕正新聞令和2年1月5日号

 いかがでしょうか。「信心に距離は関係ない」の御一言、なんとも深いですよね。

 もし大聖人の御心に背いていれば、たとえ御本尊を眼前に拝して唱えても全く通じません。これが今の学会・宗門の姿です。戒壇の大御本尊を捨て、あるいは御遺命に背いているゆえに、どれほどお題目を唱えても大聖人に通じず、地獄に堕ちていくのです。なんとも可哀想な人々ですね。

 一方、たとえいかに距離が離れていても、大聖人の御心に叶い、恋慕渇仰して唱え奉るならば、「直ちに」戒壇の大御本尊に通ずるのです。

 思い浮かべてください。自宅で富士大石寺の方に向かって正座し、手を合わせ、「南無妙―」とお題目を唱え奉る、まさにその「瞬間」から、そのお題目は遥かな距離を乗り越えて、直接、戒壇の大御本尊に通じているのです。なんと有難いことでしょうか!

 これが日蓮大聖人・戒壇の大御本尊に通ずる顕正会の「遥拝勤行」です。

 まさしく遥拝勤行こそ、「広布最終段階の信行」であり、浅井先生ただ御一人、大聖人に対し奉り貫かれた「忠誠の証」なのです。先生は、「大聖人様が教えて下さった」と仰せられています。この遥拝勤行をさせて頂けること、なんとも有難いですね。

 いよいよ明年から20年代の決戦場に突入しますが、私も「遥拝勤行と広告文で広宣流布は成る」の大確信を胸に、みなに大聖人の大恩徳を教えていきたいと思います!