いよいよ最後です。
浅井先生が、宗門の「時の貫首」・早瀬日如管長に対し、早く悪人を追放して「国立戒壇」の正義に立ち還るよう直諫された歴史的な「御遺命守護」特集号4。
今回は、いよいよ浅井先生の早瀬管長に対する諫言を拝していきたいと思います。
山崎正友の大謗法
・・・と、その前に、まず山崎正友の大謗法を見ておきましょう。山友がどれほどの悪人かがわからなければ、浅井先生のご発言の意味をきちんと拝することができないからです。
山崎正友といえば、かつて学会の顧問弁護士を務める一方、宗門の細井日達にも取り入り、細井日達の「軍師」気取りになって、学会と宗門の双方にニセ情報を流しては両者の抗争を煽っていた男です。いやはや、とんでもない悪党ですね!
ところが阿部日顕は、平成6年12月、なんとこの山崎と手を組んだのです。昭和59年9月には、自ら山友に対し、「あなたは大嘘つきだ!」と面罵していたにもかかわらず、です。しかも、このペテン師に対し、「あのときは嘘つきと言って悪かった、勘弁して下さい」と侘びまで入れたというのですから、もう見栄も外聞もかなぐり捨ててますよね(笑)
では、どうしてこんなみっともないことをしたのかといえば、それは阿部日顕が学会との抗争において、自分が相承を受けていないことを暴かれることを何よりも恐れていたからです。そこで彼は、山友に「相承はあったと思う」と偽証してもらうことにしたのです。つまり、阿部にとって「死活問題」だったから、必死だったというわけです(笑)
この山友、何を隠そう戒壇の大御本尊に対する信心が全くありません。このことは、彼が平成7年6月24日に出席した邪教の講演会で、「私は教団組織にとらわれず、自由な立場で活動している。日蓮正宗に対しても同様。正法協会には入会していない。ただし園頭先生は師匠で、私は弟子だ」などと、邪教の者を「先生」「師匠」と呼んで持ち上げていたことなどを見ればよくわかります。
そして、平成6年12月には、断じて許されざる極限の大謗法を犯したのです。
浅井先生のご指導を拝してみましょう。
それは――平成六年十二月六日の身延派・京浜教区教化会議における、山崎正友の発言です。彼はこう言った。
「『板本尊偽作論』も、その後の掘り下げがありません。これから本腰を入れて取り組んでほしいと思います。創価学会を解散させるために、お互いにがんばりましょう」(日蓮宗新聞・平成7年3月20日付)と。
なんと山崎正友は、身延僧・安永弁哲が昭和三十年代に戒壇の大御本尊を誹謗した悪書「板本尊偽作論」を持ち出し、「この悪書をもっと掘り下げて『戒壇の本尊』を攻撃せよ」と身延派坊主どもに嗾けていたのである。
これほどの大謗法があろうか。山崎正友こそ、まさしく「戒壇の大御本尊の敵」である。
「御遺命守護」特集号4
いかがでしょうか。あろうことか山崎正友は、戒壇の大御本尊を偽物呼ばわりした大謗法の書を持ち出して、「これから本腰を入れて取り組んでほしい」などと言って、身延の坊主どもに彼らが否定する戒壇の大御本尊への誹謗を煽る発言をしたのです。まさに許されざる大謗法です。
ところが、阿部日顕と大草一男は、この大謗法を知りながら、学会との抗争に利用しようとして、大謗法の山崎正友と結託をしたのです。これを見れば、日顕も大草も、山崎と同じく戒壇の大御本尊に対し奉る信心が全くないことがよくわかりますね。
早瀬日如管長の決断、伏して待つ
このような不信の輩が、大御本尊のおそばに蟠踞(ばんきょ)しているなんて、とんでもないことです。すでに山崎正友は死亡して「入阿鼻獄」になっています。残るは阿部日顕と大草一男の2人だけ。
浅井先生は、この2人を速やかに宗門追放すべきとして、その権能を持つ早瀬日如管長に対し、次のように直言されました。
阿部日顕・大草一男の二人は、すでに御本仏の御遺命たる『国立戒壇』を否定したのみならず、いま『戒壇の大御本尊の敵』たる山崎正友とも結託した大謗法者である。よって、日興上人が民部日向を断固 擯出あそばされたごとく、速やかに追放し給え。
而して、この悪を除去したうえで貫首上人御自ら『日蓮大聖人の唯一の御遺命は国立戒壇建立である』と宣示あそばせば、御遺命の正義は一時に正系門家に蘇るものと確信いたします。
もはや優柔不断は許されません。
正系門家がいつまでも大事な御遺命・国立戒壇を否定したままでは、何とも大聖人様に申しわけがない。また日本に残された時間も少ない。
早く対治を下されますよう、伏して待つのみであります。
「御遺命守護」特集号4
いかがでしょうか。先生は、「これが私の、切なる願いであります」と仰せられましたが、一切の私心なく、ただ大聖人の御遺命たる国立戒壇の正義を宗門に蘇らせんとされる先生の大忠誠の御心に、胸がいっぱいとなりました。
きっと信心のない宗門坊主や法華講員たちは、「そんなこと、絶対にあるわけない!」、「たとえ太陽が西から昇っても、川が逆さまに流れても、日如上人が国立戒壇が正しかったなんていうはずがない!」と嘲笑うことでしょう。しかし、私は、今のうちに好きなだけ笑っていれば良いと思っています。
なぜなら、このたびの浅井先生のご発言は、大聖人の御心のままに御遺命の正義を直言されたものであれば、必ず事実となるからです。
かつて浅井先生が叫ばれた池田大作の宗門追放も、正本堂の撤去も、阿部日顕の退座も、当時誰もが「そんなことは絶対にあり得ない!」と嘲笑いました。しかし、すべて事実となったのです。これ大聖人の厳たる御裁断と拝し奉るほかはありません。
また、宗門坊主や法華講員たちは、良くも悪くも「時の貫首」に「盲従」している人たちですから、たとえ今どれだけつよがっていても、もし早瀬管長が「実は国立戒壇が正しかったのだ」と一言述べたらどうなるでしょうか?
みんな手のひらを返したように、「国立戒壇バンザイ!」「猊下様ゼッタイ!」と言ってひれ伏すことでしょう。そして、「いや~、実はワタシも、国立戒壇が正しいんじゃないかと思ってたんだよね~(笑)」みたいなことを言い出す人たちがどんどん出てくるのです。
要するに、彼らは「猊下様ゼッタイ☆ロボット」に過ぎないのです。時の猊下がクロといえばクロ、シロといえばシロです。自分の頭できちんと物事を考えることができない人たちなのです。これを「洗脳」といいます。
そういう人たちだからこそ、誰がどう見たって三大秘法抄に背いている偽戒壇・正本堂を指して、「御遺命の戒壇だ」とか、「御遺命の戒壇となる建物だ」なんて言ってはしゃいでいたわけです。
でも、そういう人たちを正しく導くのが「時の貫首」の責務であることを思うと、早瀬管長の責任はまことに重大と言わざるを得ません。守るべきは宗門のメンツではありません。大聖人の御遺命の正義なのです。
今こそ宗門は、2人の悪人を速やかに宗門追放して、御遺命たる国立戒壇の正義に立ち還らなければなりません。