正本堂の誑惑を破す(6)その他の国立戒壇否定の僻論

「御書には国立戒壇の語はない」のたばかり

池田大作は、次のように言います。

戸田先生もわれわれも、いちじ「国立戒壇建立」といってきました。しかしどこを捜しても、御書には「国立戒壇建立」ということばはないのです。大聖人様はちゃんと未来を考えていらっしゃったのです(聖教昭和40年9月22日号)

国立戒壇ということばは、大聖人の御書には一つもありません。あくまでも、民衆の力によって、できあがる本門戒壇の建立が、大聖人の御遺命であります(大白蓮華昭和41年7月号)

幼稚な論理です。

「国立戒壇」の用語が御書にないというのなら、「民衆立」の語はあるのでしょうか。

また法華経の肝心・法体は一念三千ですが、「一念三千」の語は法華経のどこにもありません。

同じく「久遠実成」「二乗作仏」のことばも法華経にありません。

これらの言葉は、ことごとく法華経の理に基づいて後に付された名称です。

いま「国立戒壇」も同じです。

三大秘法抄の「王法仏法に冥じ・・・勅宣並びに御教書を申し下して建立すべき戒壇」を約言すれば、まさしく「国立戒壇」です

ゆえに日蓮正宗の歴代先師上人も、また学会も、この名称を用いてきたのです

さて、国立戒壇の「国立」たるゆえんはどこにあるかといえば、実に「勅宣並びに御教書」すなわち国家意志の表明にあります。かくてはじめて仏国実現が叶うのです。

この国立戒壇の本質を知れば、仮に「国立戒壇」について世間の誤解があったとしても、その誤解をこそ解くべきなのに、今になって「御書にない」などと言って国立戒壇を捨てるのは、大聖人に背くだけではなく、世間の物笑いにもなるでしょう。

「国教でないから国立戒壇はない」のたばかり

細井日達は、次のように言います。

(日蓮大聖人は)決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどとは仰せられておりません。日本の国教でない仏法に「国立戒壇」などということはありえない(大日蓮昭和45年6月号)

阿部日顕も、次のように言います。

大聖人の仏法に、国教ということは全くありえないし、かえって正しい弘通が阻害されよう。その国教ということが全く排せられるべきものであるから、国立戒壇ということも当然必要がないのである(「本門事の戒壇の本義」)

これは逆さまの論理です。「国教にすべきでないから国立戒壇はない」ではなく、「国教にすべきであるから国立戒壇が必要」なのです。

もし「国教」を「国家が根本の指導原理として崇尊する教法」と定義するならば、三大秘法こそ日本の国教たるべき教法であり、大聖人の御念願もここにあられます。

御付嘱状の「国主此の法を立てらるれば」、四十九院申状の「国主此の法を用いて」とは、まさしく「国教にすべし」との御意であり、また三秘抄の、王法が冥ずる「仏法」、王臣一同が受持する「本門の三大秘密の法」、勅宣・御教書を以て擁護すべき「本門戒壇の大御本尊」とは、まさしく国教そのものです。

そして、国家が根本の指導原理として三大秘法を受持擁護するその具体的発動が、国立戒壇の建立です。ゆえに、国教だからこそ国立戒壇が必要なのです。

現憲法に気兼ねして「国教」を禁句のごとく扱う必要はありません。

第65世・日淳上人は堂々と次のように御指南されています。

真に国家の現状を憂うる者は、其の根本たる仏法の正邪を認識決裁して、正法による国教樹立こそ必要とすべきであります(大日蓮昭和32年1月号)

また、創価学会第2代・戸田会長も、次のように言っています。

日蓮正宗を国教として、天皇も帰依して戒壇を建立するようになった場合、戒壇の御本尊さまを、どこの宗派がだせるか。大聖人さまご遺命に、天皇がかならず御本尊を奉持するときの、シシン殿にたてまつる御本尊をしたためられてある。シシン殿御本尊さまを、どこの宗派が天皇にさしあげられるか(大白蓮華昭和35年1月号)

「世界宗教だから国立戒壇はない」のたばかり

阿部日顕は、次のように言います。

大聖人の仏法は、一国に跼蹐するものでなく、広く世界民衆を救済する世界的宗教の最たるものである。この点から国立戒壇論の執見を教訓したい(「国立戒壇論の誤りについて」)

世界宗教としての大聖人の本質より見て、苟も狭い一国の枠における国家主義的な執見に囚われてはならない(「本門事の戒壇の本義」)

これも逆さまの論理です。世界宗教だからこそ国立戒壇が必要なのです。

大聖人の仏法が全人類の成仏のための大法であることは当然です。

ゆえに「前代未聞の大法此の国に流布して、月氏・漢土・一閻浮提の内の一切衆生、仏に成るべき事こそ有難けれ、有難けれ」(教行証御書)等と仰せられています。

この全世界の一切衆生が成仏を遂げさせて頂ける大法、全人類が信じ唱え奉る「本門戒壇の大御本尊」を守護申し上げるのが、三大秘法有縁の日本国の使命であり、これを「守護付嘱」といいます。そして、この付嘱の責務を果たす具体的顕現が、実に国立戒壇なのです

立正安国論に「守護付嘱」のいわれを説いて云く、「是の故に諸の国王に付嘱して、比丘・比丘尼に付嘱せず。何を以ての故に、王の威力無ければなり」と。

すなわち、人類にとってかけがえのない御大法を守護するにおいて、比丘(僧侶)・比丘尼ではその実力に欠けます。ゆえに国家がその責務を全うし奉るのです。

浅井先生は、次のように仰せられています。

国立戒壇とは、まさしく一閻浮提総与の戒壇の大御本尊を、全人類のために、日本が国家の命運を賭しても守り奉る姿なのである。このような崇高な国家目的を持った国が世界のどこにあろう。かかる仏国こそ、真に世界の尊敬を受ける国家ではないか。

また、世界宗教と国立戒壇の関係は、何よりも三大秘法抄を拝すべきです

すなわち本門戒壇の大功徳が〝世界〟に及ぶことを「三国並びに一閻浮提の人、懺悔滅罪の戒法・・・」とお示しあそばすとともに、その建立は〝日本国〟の広宣流布の時、〝日本国〟の「勅宣・御教書」を以てせよ、と仰せられているのです。

かかる国立戒壇が、どうして「一国に跼蹐するもの」「国家主義的」などの非難を受けるでしょうか。

万一〝国立〟のゆえに誤解する者があるというならば、堂々とその大精神を説くべきなのです。

「大聖人の仏法の救済対象は国家ではない」のたばかり

阿部日顕は、次のように言います。

大聖人の仏法における救済の対象とその方法について一考したい・・・大聖人の仏法の諫暁はあくまで一箇の人間としての為政者、天皇、国主、権力者ないし一般国民にたいする一人一人の正法への開眼を目標とされているのである。大聖人が立正安国論を鎌倉幕府に提出し諫言あそばされたことは、すなわち国主と雖も仏弟子としての自覚を喚起せしめ、その成仏を図る必要があり・・・いわゆる国家意志そのものを目標として権力者へ諫訴せられたのではない(「本門事の戒壇の本義」)

阿部日顕には、個人と国家、国家と仏法の関係が全くわかっていない、いや、わかりたくないようです。

大聖人が国家を諫暁あそばされた御心は、実に三大秘法を以て国家を安泰ならしめ、以て一切衆生を救済するにあられます

ゆえに立正安国論御勘由来には「但だ偏えに国の為、法の為、人の為にして、身の為に之を申さず」と仰せられています。

では、一切衆生を救うために、何ゆえ国家を諫暁あそばされたのかといえば、万民を救うためには国家が安泰でなければならず、国家を安泰たらしめるには国家が正法を立てなければならないからです。

すなわち、国家は人間の共同生活の最高一般的な統制組織体として、欠くことのできない存在であるところ、もし国家が悪法を用い正法に背くならば、自界叛逆・他国侵逼を必ず招来するというのが大聖人の強き御指南です。

ゆえに立正安国論に「若し残る所の難、悪法の科に依って並び起り競い来らば、其の時何んが為んや」と仰せです。

まさに国家の安危は全国民の幸・不幸をその中に包含しているのです。

もし国家に二難が起これば、国民は塗炭の苦を受けます。

ここを以て大聖人は「一切の大事の中に、国の亡びるが第一の大事にて候なり」(蒙古使御書)と仰せられるのです。

国家主義などのゆえではなく、一切衆生を救うために「国の亡びるが第一の大事」と仰せられたのです。

この道理がわかれば、〝大聖人の仏法の救済対象は個人であって国家ではない〟などの痴論は、たちまち雲散霧消するでしょう。

また、阿部日顕は、次のように言います。

国家あるいは政治そのものと、仏法とは次元が違う(「本門事の戒壇の本義」)

しかし、いみじくもここに云う「国家あるいは政治」こそ王法そのものであり、

この王法が仏法に冥ずべしと御教示くだされたのが、安国論・三秘抄の御趣旨です。

また、阿部日顕は、〝大聖人の国家諫暁は国家への働きかけや国家意志を目標としていない。一箇の人間としての国主を、正法に開眼させるため〟とも言います。

しかし、国主が私人・個人として仏法を信じても、国家の安泰にはつながりません国主が、国家を代表して国家意志を表明すればこそ、始めて国は助かるのです

ゆえに下山抄に次のように仰せられています。

国主の用い給はざらんに、其れ以下に法門申して何かせん。申したりとも国もたすかるまじ、人も又仏になるべしともおぼへず

もし大聖人が「一人一人の正法への開眼を目標」とされ、その中の一人が個人としての国主なら、どうしてこの仰せがあるでしょうか。

まさに国を救うためにこそ、国主を諫暁あそばされたのです。

「国立戒壇は田中智学が云い出した」のたばかり

阿部日顕は、次のように言います。

国立戒壇の名称とその思想が初めてあらわれたのは、まさにこの智学の式目の中においてである(「国立戒壇論の誤りについて」)

そして、顕正会の国立戒壇論を田中智学の思想の模倣であるとして、口を極めて悪罵します。

国立戒壇を否定するには、もうこの論法以外に逃げ道がないのでしょう。

田中智学は邪流・身延派の僧で、還俗して明治13年に蓮華会、さらに大正3年に国柱会という団体を作りました。

その間、明治35年に「本化妙宗式目」、同43年に「日蓮聖人の教義」等の書を著わしており、これらの書の中に「国立戒壇」の名称が出てきます。

これをもって阿部日顕は、顕正会が「模倣」したというのです。

これに対して浅井先生は、次のように破折されています。

反詰する。もし「模倣」というならば、同じく「国立戒壇」の名称をお使いになった本宗の歴代先師上人を、なぜ「田中の模倣」と非難しないのか。また学会の戸田会長そして曽ての池田大作をなぜ「模倣」と批判しないのか。

馬脚はここに露われている。阿部教学部長は、本宗が田中の模倣をしたのではなく、田中が本宗の正義を盗んで「国立戒壇」を唱えたことを、百も承知なのである。

すなわち、田中は、釈尊本仏に執着して三大秘法も知らぬ身延派の徒ですが、明治15年に本宗と法論(横浜問答)して完敗した後、もっぱら富士大石寺の教義を研究した結果、富士大石寺伝統の国立戒壇の正義を知り、これを盗んであたかも自身発明のごとく世に喧伝したのです。

ただし、国立戒壇は模倣したものの、「戒壇の大御本尊」はないため、「佐渡始顕の本尊」なる偽本尊を立てたのです。

この経緯は学会も知っています。

じつに、国立戒壇の建立こそは、第二祖日興上人にのみ御遺命になったのである。そして、その場所も、富士山と明白に御指示になっている。また、あらゆる正史料から、日蓮正宗のみが、大聖人の御遺命をうけて、富士山に事の戒壇(国立)を建立しようと、必死の努力を続けてきたことは明白になった。近ごろは田中智学門流でさえも、囀っているではないか(創価学会教学部編「日蓮正宗創価学会批判を破す」)

田中智学は国立戒壇の建立が、宗祖大聖人窮局の御本懐であらせられることまでは知ることができたものの、さて戒壇の大御本尊は如何にとなると、何とか本尊を一定にする必要があると感じ、それには佐渡始顕が根本になるべきだと、独断したものである(大白蓮華昭和32年9月号)

国柱会の田中智学は、富士の正義をぬすみ、三大秘法抄によれば富士に本門戒壇を建立すべきだ、などと主張した(大白蓮華昭和35年6月号)

このように、学会ですら〝田中智学が本宗の正義を盗んだ〟と言っています。

また、第65世・日淳上人も次のように仰せられています。

田中智学氏の「日蓮聖人の教義」なる著書は、日蓮正宗の教義を盗んで書いたものであることは明白である。ただ本尊段において佐渡始顕の本尊を立てをるのは、日蓮正宗に何とか対抗せんとの窮余の考えからである(「興尊雪寃録」の妄説を破す)

阿部日顕がこれらの事実を知らぬはずがありません。

すなわち「国立戒壇」は、「田中智学の思想」ではなく、本来、日蓮正宗だけに伝わる正義なのです。

しかるに阿部日顕は、学会が国立戒壇を捨てればこれに迎合し、正系門家の中でひとり御遺命の正義を守り奉る顕正会を「浅井一派の国立戒壇論は・・・田中智学の思想の模倣であって、その酷似するところ驚くほかない」などと誹謗しているのです。これを姦佞邪智といいます。

浅井先生は、観心本尊抄の「墓ないかな天台の末学等、華厳・真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて、還って彼等が門家と成りぬ」との御文を引かれ、次のように仰せられています。

いま思うに、国立戒壇はひとり日興上人に付嘱された御遺命、日蓮正宗だけの宿願である。しかるに田中智学この義を盗む。ところが日蓮正宗の全信徒は〝国立戒壇は田中の義なり〟として、かえってこれを捨てた。この由々しき僻事をなさしめたのは、実に阿部教学部長の誑惑である。この大罪、どうして現当に免れ得ようか。