立宗における金剛不退の大誓願

立宗御報恩勤行会とは?

 平成31年4月28日、浅井先生のもと、冨士大石寺顕正会の「立宗御報恩勤行会」が行われました。

 「立宗御報恩勤行会」というのは、日蓮大聖人が御年32歳の建長5年4月28日、はじめて三大秘法の本門の題目(南無妙法蓮華経)を唱え出し給うた、その大事な日に、毎年、御報恩のため奉修する勤行会です。

金剛のごとき大誓願

 席上、浅井先生は、開目抄の一節を引かれ、たとえ身命に及ぶ大難ありとも全人類を救わんとの日蓮大聖人の不退の大誓願、金剛のごとき御決意を指導下さいました。

 とりわけ有難かったのは、「日本国に此れを知れる者 但日蓮一人なり」とは、当時、日本国中が信じていた念仏・真言・禅宗等はことごとく人々を地獄に堕とす邪法であり、成仏の叶う正法は三大秘法以外にはないということを深く深くお知りになられたのだと。

 しかし、もしこのことを一言でも言い出すならば、身命に及ぶ国家権力の迫害が必ずある。だが、言わなければ無慈悲となる。言うべきか言わざるべきかの中には言うべきである。しかし、国家権力の迫害が起きたときに退転するぐらいなら、最初から言わない方がいいと、「且(しばら)くやすらひし程に」、しばし止どまり給うたと。

 先生は、「この『且くやすらひし程に』との仰せの中に、大聖人様のご決意は決して軽率なものではない、身命に及ぶ大難を覚悟されての、金剛のごとき御決意であられることが拝される」と指導下さいましたが、先生がこの御一言に込められた大聖人の御心を如実に拝されるのも、実に先生御自らが、あらゆる大難をご覚悟の上で、深い深い御決意を固めて御遺命守護に立ち上がられた、その実証体験があられればこそと伏して拝しては、正しい師匠に師事できた有難さでいっぱいとなりました。

 立宗の後、御覚悟のごとく、松葉ヶ谷の法難、伊豆御流罪、小松原の剣難、竜の口の大法難等の身命に及ぶ大難が波のごとく押し寄せるも、大聖人は一難あうたびに一徳を顕され、ついに竜の口において、「久遠元初の自受用身」(いちばん大本の仏様)と現れ給うた、その崇高な御化導を指導頂いては、「今後、強盛の菩提心ををこして退転せじと願じぬ」との立宗における大聖人の御決意がいかに堅固であられたか、その大慈大悲にひれ伏す思いとなりました。

「行位全同」=日蓮大聖人こそ久遠元初の自受用身

 この勤行会において浅井先生は、日蓮大聖人こそ「久遠元初の自受用身」(いちばん大本の仏様)であることを、「行位全同」をもって教えて下さいました。

 「行」とは御修行のこと、「位」とは位階のことですね。

 久遠元初の自受用身と大聖人の御修行は、ともに三大秘法。そして位階は、ともに三十二相などで身をかざらない名字凡身。まさに「行位全同」です。だから日蓮大聖人こそ、久遠元初の自受用身であられるのだと。

 ゆえに本因妙抄には「釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時日蓮が名字即の身に移せり」と。つまり、久遠元初の自受用身が名字凡夫の位で修行されたそのままの御振舞を、末法において大聖人が再現あそばされたのです。なんとすごいことでしょうか!

御本仏日蓮大聖人の御予言

 この絶大威徳・大慈大悲の日蓮大聖人が、日本および全地球上に三大秘法が広宣流布することを、御断言されているのです。

 その御予言が、上野抄の「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」、諸法実相抄の「剰へ広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」、報恩抄の「日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし。乃至、日蓮が慈悲広大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」等々です。

 この御予言、他でもない、久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人が御断言されているのです。どうして虚しくなることがあるでしょうか。

 ゆえに浅井先生は、「だから私たちが、広宣流布ができるとかできないとか、心配する必要ないのです。私は一度も心配したことがない。大聖人の仰せのとおりに御奉公すれば、必ず大聖人の絶大威徳によって一時に信ずる時が来るのです」と仰せられているのです。今からワクワクしてきますね!

日本の広宣流布は甚だ近い

 最後に、浅井先生は、大聖人が三大秘法抄・一期弘法付嘱書に「時を待つべきのみ」と仰せ給うたその「時」が、いよいよ近づいてきた、広宣流布は甚だ近いとして、次のように指導下さいました。

 正系門家が大事の御遺命に背いて「他国来難」を招けば、日本は亡国となる。

 このとき大聖人様は、この大罰を用いて広宣流布をあそばす。

 そのお手伝いを申し上げるのは、解散処分を受けるともそれを乗り越えて二百七万余の死身弘法をなし、いま国立戒壇建立を高々と掲げて日本国を独走している顕正会以外には、あるべくもない。

 この顕正会が三百万になれば一国は動執生疑を起こす、五百万になれば日本が動く。そしていよいよ「日本国一時に信ずる事あるべし」が事実となるのであります。

 この広宣流布の最終段階に、私たちは召し出されたのです。この宿縁、何と有難いことか。

 さあ「舞をも舞いぬべし」の大歓喜で、広布最終段階の御奉公を貫き、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。

顕正新聞令和元年5月15・25日合併号

 いよいよ明年から始まる広宣流布の決戦場を見つめて、私も広告文を片手に、日蓮大聖人の大恩徳を一人でも多くの人たちに伝えるお手伝いをしていきたいと思います!