正本堂の誑惑を破す(7)正本堂の正体

最後に、浅井先生は「正本堂の正体」について、次のように総括されています。

詮ずるところ正本堂は、政治野心と名利に燃える池田大作と、それに諂う細井管長・阿部教学部長との、大聖人の御眼を恐れぬ癒着より生じた大誑惑である。

しかし誑惑というものは、いかに深く巧みであっても必ず馬脚を露わす。「一切は現証には如かず」(教行証御書)と。ここにその現証を示そう。

見よ!正本堂落成の直後に起きた学会と宗門との抗争を―。池田はたちまち学会員の登山を禁じて総本山を経済封鎖し、細井管長はこれに対抗して一山の僧侶を集めて云く

これはもう、このままじゃ話にもならない。もしどこまでも学会が来なければ、それは正本堂を造ってもらって有難いけれども・・・もし学会が来なくて、こっちの生活が立たないと云うならば、御本尊は御宝蔵へおしまいして、特別な人が来たならば、御開帳願う人があったら御開帳してよいと云う覚悟を、私は決めた」(宗門の現況と指導会・昭和49年7月27日)と。

正本堂とは、このていの建物である。なにが「大聖人御遺命の戒壇」、なにが「宗門七百年の悲願」であろうか。正本堂がもし御遺命の戒壇ならば、その完成直後にどうして〝有徳王〟と〝覚徳比丘〟がこのような醜い争いをするであろうか。この下劣な抗争こそ、まさに〝悪事の仲間割れ〟ではないか。正本堂の正体は、この現証によってはしなくも露呈している。

まさしく正本堂は、上は御本仏大聖人に背き奉り、さらに二祖日興上人より六十五世日淳上人に至るまでの歴代先師に違背し、下は日蓮正宗全信徒をたぶらかし、また外には一国を欺いた「誑惑の殿堂」というべきものである。

このような大それた誑惑が、なぜ正系門家・日蓮正宗の中に起きたのであろうか―。その本質を仏法の眼で見れば、これこそ、第六天の魔王が広布前夜の正系門家を狙い、大檀越と高僧の身に入って御本仏の御遺命を破壊せんとしたものに他ならない。

最蓮房御返事に云く

第六天の魔王、智者の身に入りて正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王我が身に入らんとするに、兼ての用心深ければ身によせつけず

また聖人御難事に云く

すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」と。

いま正系門家の大檀越ならびに高僧等、信心はうすく名聞利養の心は深きゆえに、天魔便りを得て、この壊乱をなさしめたのである。

さて、この諌暁書において浅井先生は、

速かに、戒壇の大御本尊を清浄の御宝蔵に遷座し奉り、誑惑の正本堂を撤去すること。

と阿部日顕を諫められました。

すると、その直後より、学会・宗門の間に「修羅と悪竜の合戦」のごとき大抗争が勃発し、その8年後の平成10年4月5日、戒壇の大御本尊は元の奉安殿に還御あそばし、正本堂の撤去工事が開始、ついにその醜悪なる姿を永遠に地上から消したのでした。

すべては諌暁書のとおりになったのです。

この大現証は何を物語るのでしょうか。

謹んで拝察申し上げるに、それは正本堂が「御遺命の戒壇」ではなかったこと、そして、「正本堂は御遺命の戒壇にあらず」「国立戒壇こそ大聖人の御遺命なり」とただ一人お諌めになられた浅井先生が正しかったこと。その何よりの大現証と伏して拝し奉るものです。