日蓮大聖人の御遺命とは

「御遺命」ってなんですか?

記念すべき最初の記事なので、やはり、いちばん大事なことから書いていきたいと思います。

ズバリ、「日蓮大聖人の御遺命」です。

「えーっと、『御遺命』ってなんですか?」と思われた方、きっと1人や2人じゃないですよね(笑)

確かに、あまり聞かない言葉かもしれません。「御遺命」とは、わかりやすく言えば、「遺された御命令」ということです。

中学や高校で歴史を学ばれた方なら、鎌倉時代に日蓮大聖人という御方がいらっしゃったことはご存知かと思います。「立正安国論」も有名ですよね。

しかし、日蓮大聖人が門下の弟子に遺された「御遺命」の存在を知っている方は、きっと多くはないのではないでしょうか。

そこで、今回は、「日蓮大聖人の御遺命とは何か」について、なるべくわかりやすく書いてみたいと思います。

なお、詳しくは、顕正会の公式ホームページにわかりやすく解説されていますので、ぜひご覧ください!

御遺命=本門戒壇の建立

では、日蓮大聖人の御遺命とはなんでしょうか。

結論から言えば、それはまさしく「本門戒壇の建立」ということです。具体的に見ていきましょう。

そもそも日蓮大聖人の仏法は、単に個人をお救いくださるだけではありません。人と国を、根底からお救いくださるのです。

では、どうやってお救いくださるかといえば、それは「三大秘法」という根源の仏法によってです。具体的には、「本門の本尊」、「本門の題目」、「本門の戒壇」の3つです。

「本門の本尊」とは、日蓮大聖人が御自身のお覚りの全体を一幅の御本尊にご図顕されたもので、大慈大悲の結晶、成仏の大良薬です。この「本門の本尊」を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る修行が「本門の題目」であり、「本門の本尊」ましますところが「本門の戒壇」です。これが「三大秘法」です。

このうち、「本門の題目」によって個人の成仏が叶い、「本門の戒壇」によって国家・国土の成仏が叶うのです。これが「人と国を、根底からお救いくださる」ということです。なんと有難い仏法でしょうか。

ただし、「本門の戒壇」建立については、大聖人の御在世(鎌倉時代)には未だその時至らず、その実現を二祖日興上人に御遺命されました。ゆえに、この「本門戒壇の建立」を日蓮大聖人の「御遺命」と申し上げるのです。

まさに「本門戒壇の建立」こそ、二祖日興上人以来、仏法の正統である富士大石寺が700年来その実現を目指してきた唯一の宿願・悲願だったのです。

本門戒壇とは何か?

こう書くと、「へえ、なるほど。日蓮大聖人の『御遺命』というものがあって、それは『本門の戒壇』を建てることなのね。でも、そんなに大事な御遺命なら、どうして早く建てなかったの?

という声がどこからともなく聞こえてきそうです。

実は、これはたいへん重要なことなのです。ここを間違えてしまったのが、創価学会や宗門(日蓮正宗)だったとすら言えるでしょう。

どうして700年間、建立しなかったのか。それは「本門の戒壇」が、いつでも好きに建ててよいものではないからです。

具体的には、日蓮大聖人が、いかなる時、いかなる手続をもって、いかなる場所に建てるべきかを厳重に定められており、その条件が整うまでは、「時を待つべきのみ」と仰せられているのです

では、大聖人は、いかなる時、いかなる手続をもって、いかなる場所に本門戒壇を建てよと仰せになっておられるのでしょうか。このことは、「三大秘法抄」と「一期弘法付嘱書」という御書(お手紙)に明確にご教示くだされています。

いま一言にしてその内容を示せば、まさしく御遺命の本門戒壇とは、広宣流布の暁に、国家意志の公式表明を以て、富士山天生原に建立される国立戒壇です。かかる条件を満たしたとき、はじめて本門戒壇は建立されるのです。

本門戒壇の大利益

さて、この本門戒壇に、大聖人出世の御本懐である「本門戒壇の大御本尊」を奉安し奉れば、日本は日蓮大聖人を魂とする国になります。これを「仏国」といいます。

このとき、本門戒壇の大御本尊の妙用により、日本は真に安泰な国になります。具体的には、国家そのものが防非止悪(非行を防ぎ悪行を止める)の当体となり、内には人民を安穏ならしめ、外には他国を利益する慈悲の働きとなるのです。

また、この仏国に生まれる国民も、自ずと一人ひとりが戒を持つ当体となり、自然と「自利利他」の境界になります。

これは御本尊を信じ妙法を唱えることにより、我が心に仏様が宿り、欲と怒りと愚かしさの境界が変わってくるからです。浅井先生は、「国立戒壇が建立されれば、いま日本社会に充満している凶悪犯罪などは、朝露のごとく消滅する」と仰せですが、なんと素晴らしいことでしょうか。

さらに、世界の人々がこの本門戒壇を中心として、一同に他事を捨てて南無妙法蓮華経と唱えるに至れば、世界が仏国土となります。このとき、地球上から戦争・飢餓・疫病等の災難は消滅し、この地球上に生を受けた人々はことごとく三大秘法を行じて、一生のうちに成仏を遂げることが叶うのです。なんと有難いことでしょうか。

まさに大聖人の究極の大願はここにあられるのです。そして、これを実現する鍵こそが、実に日本における国立戒壇の建立なのです。

富士大石寺の宿願・悲願

そこに、二祖日興上人以来、富士大石寺の歴代上人が、大聖人の重き御遺命を奉じて、700年来、異口同音に広宣流布の暁の国立戒壇建立を叫び続けてこられた所以があります。

一例を挙げれば、二祖日興上人は、「広宣流布の時至り、国主此の法門を用いらるるの時、必ず富士山に立てらるべきなり」(富士一跡門徒存知事)と仰せられ、

第三十一世・日因上人は、「国主此の法を持ち広宣流布の御願成就の時、戒壇堂を建立して本門の御本尊を安置すること、御遺状の面に分明なり」と指南され、

第六十四世・日昇上人は、「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)と宣明されています。

だからこそ、創価学会・宗門(日蓮正宗)も、かつては一丸となって御遺命の国立戒壇建立を目指していたのです。

ゆえに創価学会の第2代会長・戸田城聖は、「我等が政治に関心を持つゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである」(大白蓮華63号)といい、

第3代会長・池田大作も、「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華五十九号)と述べていたのです。

また、後に御遺命に背いた第六十六世・細井日達も、登座直後には、「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」(大白蓮華35年1月号)と正論を述べていたのです。

もちろん、顕正会が発足当初から国立戒壇建立を目指していたことは言うまでもありません。

たとえば、昭和32年の青年部会において浅井先生は、「大聖人様が最後の御理想として説かれたのが王仏冥合・国立戒壇ということです。・・・王法と仏法が冥合した時に平和が得られる、この事は世間の人達にはわからない。しかし、わかる時が必ず来る」と指導くだされています。まさに一貫不変ですね!

まさしく国立戒壇の建立こそ、日蓮大聖人の御遺命であり、日本及び全世界を仏国土にして真に安泰ならしむる秘術であり、二祖日興上人以来、富士大石寺が700年来その実現を目指してきた唯一の宿願・悲願だったのです。