顕正会ってどんな団体?

一言でいうと・・・

そもそも「顕正会ってどんな団体?」という素朴なトピックについて書いてみたいと思います。

と言っても、顕正会の公式ホームページを見ていただければわかるんですけどね(笑)

あえて一言でいうなら、「日蓮大聖人の仏法を正しく実践している唯一の団体」ということになります。

こう書くと、「オレは日蓮宗だけど、正しくないっていうのかよ!」とか、「ウチは立正佼成会なんですけど、いかがですかねぇ?」とか、「ふふふ、なに言ってるの。正しいのはワタシたち日蓮正宗(法華講)よ!」とか、「池田先生、バンザイ!」とか、いろいろな声が聞こえてきそうです(笑)

でも、残念なことに、これらの団体はことごとく間違っているのです。

いま日蓮大聖人の仏法を正しく実践している団体は顕正会以外にはありません。

では、なぜそのように言えるのでしょうか。1つ1つ順番に見て行きたいと思います。

日蓮大聖人とはいかなる御方か

「ちょっと待って!そもそも日蓮大聖人ってどんな方かよく知らないんだけど・・・」

おや、そうでしたか。つい先走りすぎてしまいました。まずはそこからですね。

日蓮大聖人は、鎌倉時代にお生まれになった仏様です。

仏様というと、インドのお釈迦様を想像する方が多いですよね。

しかし、実はインドのお釈迦様は、この宇宙に数え切れないくらい出現した無数の仏の1人にすぎません。そして、それら無数の仏の大本、根源の一仏がいらっしゃるのです。

この仏様を「御本仏」といいます。日蓮大聖人は、まさにこの「御本仏」なのです。

日蓮大聖人は、「三大秘法」という根源の仏法を説かれました。

一般に「仏教」というと、とても難しそうに感じますよね。

ひたすら座禅を組んだり、哲学的な思索をしたり、滝に打たれたりと、「いや、それ無理っす・・・」という内容ばかりです(笑)

ところが、日蓮大聖人の仏法はきわめてシンプルです。

ただ日蓮大聖人が顕してくださった「本門戒壇の大御本尊」を信じ、南無妙法蓮華経と唱え奉るだけで、いかなる人も、現世には宿命が変わって幸せになり、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得させて頂けるのです。なんと有難い仏法でしょうか。

また、国が日蓮大聖人の仏法を根本の指導原理とすれば、真に安泰な「仏国」となります。その具体的な実現方法こそが、後述する国立戒壇の建立です。

まさに日蓮大聖人こそ、末法濁悪の人と国を、根底からお救い下さる大慈大悲・絶大威徳の御本仏であられるのです。

この点に関する詳しい説明は、顕正会の公式ホームページにありますので、ぜひそちらをご覧ください。

唯一の正系門家=富士大石寺

さて、日蓮大聖人は、弘安5年(1282年)の御入滅に際し、多くの弟子の中から「日興上人」という方を選ばれ、三大秘法を付嘱されました。

その証が、弘安5年9月の「一期弘法付嘱書」です。

ここで大聖人は、「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり」と、日興上人に三大秘法を付嘱することを明示されています。

この日興上人が開かれた総本山(大本のお寺)が「大石寺」であり、その門流を「富士門流」といいます。

これに対し、いまの身延、中山、池上などの「日蓮宗」は、日興上人とは異なり、付嘱を受けていない弟子(民部日向など)の教えに基づく宗派です。

名前こそ「日蓮宗」ですが、彼らは智慧足りず、臆病だったために、次第に日蓮大聖人の仏法からかけ離れた全く別の教義になってしまいました。だから、「正しく」実践しているとはいえないのです。

また、立正佼成会、霊友会などの新興宗教も、日興上人のように大聖人から付嘱を受けておらず、自分勝手な教義を立てているだけですから、やはり大聖人の仏法を「正しく」実践しているとは到底いえません。

かく見れば、日興上人の富士門流だけが、日蓮大聖人の仏法を正しく受け継いでいることは明らかです。ゆえに「正系門家」というのです。

まさに日蓮大聖人の仏法を「正しく」実践してきたのは、日興上人の富士門流、大石寺だけだったのです。

正系門家に起きた大悪

ところが、昭和40年代に至って、この正系門家・富士大石寺において、未だかつてない大悪事が起きました。それが「御遺命違背」の大悪です。

詳しくは、「日蓮大聖人の御遺命とは」「学会・宗門の御遺命違背」などの記事をご覧になって頂きたいのですが、要するに、日蓮大聖人が門下に遺されたただ一つの御遺命(遺された御命令)に、あろうことか、大石寺のトップである貫首と、最大の信徒団体のトップが一緒になって背いてしまったのです。

そもそも日蓮大聖人の御遺命とは、日本一同が大聖人を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る「広宣流布」のときに、国家意志の表明を手続として「本門戒壇」を建立することです。

このことは、先に見た「一期弘法付嘱書」の続きに、「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり」とはっきり仰せられています。

当時、時の貫首は第66世・細井日達であり、信徒団体のトップは創価学会第3代会長・池田大作でした。

彼らは、未だ広宣流布が達成していないにもかかわらず、国家と無関係に「正本堂」なるニセモノの建物を建て、これを「御遺命の戒壇」と偽称しました。まさに宗門(日蓮正宗)・創価学会は一体となって、大聖人の唯一の御遺命に背いてしまったのです。

この許されざる教義改変は、大聖人の御意に背き、御付嘱状の「我が門弟等此の状を守るべきなり」の御戒めに背くものです。

だから、彼らは大聖人の仏法を「正しく」実践しているとはいえないのです

御遺命を守り、その実現を目指している唯一の団体=顕正会

このとき、「正本堂」の誑惑に対して異議を唱えた団体が1つだけありました。

それが顕正会の前身である「妙信講」です。

なお、「妙信講」発足から現在に至るまで、顕正会の足跡についてはこちらをご覧ください。

妙信講は、日蓮正宗の信徒団体である法華講の1つであり、講員はわずか8000世帯でした。対する創価学会はその1000倍の800万世帯、さらに絶対権威の「時の貫首」をほしいままに動かしていました。

この強大な権力・権威に対し、わずか8000の小講中が立ち向かうことが、どれほど困難なことであったか。

浅井先生は当時を振り返られて、「竹槍で戦車に向い、小舟が戦艦に当るにも似ていた。恐らく歯牙にもかけず、直ちに宗門追放かとも思われた」と述懐されています。

しかし、浅井先生の必死の諫暁により、学会は2度も文書で正本堂の誑惑を訂正し、細井日達もまた訓諭の訂正文を先生に手渡しました。権力・権威よりも、正しい道理が勝ったのです。

しかるに無道心の学会・宗門は、妙信講が存在する以上、自分たちの教義改変の悪事が露顕すると恐れ、昭和49年8月12日、ついに妙信講に解散処分を下しました。

まさしく妙信講は、大聖人の御遺命の正義を守り奉ったゆえに、理不尽なる解散処分を受けたのです。

総本山から解散処分を受けた信徒団体が、どうして命脈を保つことができるでしょうか。普通の信徒団体なら、潰れないことなどあり得ません。

しかし、浅井先生は、「今こそ御在世(大聖人の時代)の信行に立ち還り、戒壇の大御本尊を遥拝し奉る遥拝勤行で、死身弘法を開始しよう」と全講員に呼びかけました。

すると、不思議にも、妙信講には御在世のごとき熱烈な信心が蘇り、そこから折伏弘通が一気に進み、平成30年7月、ついに200万の死身弘法を成し遂げたのです。

この不思議について浅井先生は、「大聖人様の御守護なくして、どうしてこの不思議がありましょうか。私はこの不思議こそ、大聖人様の厳たる御命令であると、伏して拝しております。いかなる御命令か―。それは御遺命を守護し奉った顕正会こそ、御遺命成就に身を捨てよ―との御命令であります」と仰せられています。

いま日蓮大聖人の唯一の御遺命たる国立戒壇を高々と掲げ、その実現を目指して死身弘法をしている団体は、顕正会以外にはありません

だから、顕正会だけが大聖人の仏法を「正しく」実践している団体といえるのです

正しい信心ができる有難さ

いかがだったでしょうか。

日蓮大聖人の仏法を正しく受け継いでいるのは日興上人の富士門流以外になく、富士門流の中で大聖人の御心のままに御遺命の正義を守り奉っている団体は顕正会以外にはありません。

だから、顕正会は日蓮大聖人の仏法を正しく実践している唯一の団体なのです。

ところで、御遺命のゆえに解散処分を受けた妙信講は、昭和57年、「顕正会」という名称に改めました。「顕正」とは、御遺命の正義を顕す意です。

浅井先生は、この名称について、「御本仏の御遺命を奉じて一国に国立戒壇の正義を顕わす団体は、顕正会以外にはない。ここに時来って、その使命を表す名称を用いたのである」と仰せられています。

また、平成9年には、正系門家の源流たる日興上人・日目上人の清き流れを表わす「冨士大石寺」を冠しました。浅井先生は、「『すべからく清らかな源流に戻るべし』―この思いから『冨士大石寺顕正会』と名乗ったのである」と仰せです。

まさに顕正会こそ、御本仏日蓮大聖人の御遺命を奉じて一国に国立戒壇の正義を顕わす唯一の団体であり、日興上人・日目上人以来の清き流れを受け継ぐ「冨士門流の正統」なのです

せっかく値い難き日蓮大聖人の仏法に値うことができても、正しく実践しなければ、功徳を頂くことも、一生成仏も叶いません。

そこに、大聖人の仏法を「正しく」実践させて頂けることは、なんと有難いことでしょうか。

「冨士大石寺顕正会」の一員として、日々、有難さを噛み締めるものです。