御入滅739年の御大会式が奉修されました

「御大会式」とは

 冨士大石寺顕正会の「御大会式」が、令和2年10月13日、本部会館で厳粛に奉修されました。

 10月13日は、日蓮大聖人が御入滅あそばされた日です。しかし、大聖人の御入滅というのは、「滅に非ざる滅」であられます。つまり、一切衆生を救わんがために方便して入滅あそばすとも、実には滅度せず、常に此に住して法を説き給うておられるのです。

 この三世常住の御化導を深く拝し奉って、唯一の御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立を見つめ、今一重の決意を誓い奉る、その大事の儀式が「御大会式」です。

 冒頭、浅井先生は、次のように仰せられました。

 本日は、我ら末法の一切衆生を現当二世にお救い下さる、久遠元初の自受用身・末法下種の主・師・親・大慈大悲の南無日蓮大聖人様が、一切の御化導を終えられて弘安五年十月十三日、武州・池上宗仲の館において、安詳として御入滅あそばされてより、七三九年の御正当であります。

 よって、二百二十万顕正会を代表する幹部、ただ御報恩の赤誠を以て馳せ参じ、ただいま謹んで、御大会の儀を奉修させて頂いた次第であります。

 ことに本年は、広宣流布の決戦場たる二〇年代に突入して始めての御大会式であれば

 いよいよ身を捨てての御奉公、深く誓い奉るものであります。

顕正新聞令和2年10月25日号

 いかがでしょうか。浅井先生の大聖人に対し奉る深き忠誠心と、広宣流布の決戦場にかけられる御決意を感じては、胸がいっぱいになります。

 大聖人一期の御遺命に背き奉った学会・宗門には、すでに御大会式を奉修する資格はありません。彼らは師敵対の逆徒だからです。いま三世常住の大聖人の御心のままの御大会式を奉修しているのは、御遺命を守護し奉り、一筋の忠誠を貫く浅井先生率いる顕正会以外にありません。

御大会式における御講演

 それにしても、今回の御大会式の御講演はすごい内容で、日蓮大聖人の崇高・甚深の御境界、本門戒壇の大御本尊の無量無辺の大功徳、国立戒壇建立の御遺命の大事、そして広布前夜の前代未聞の大闘諍のとき、いよいよ大聖人が広宣流布をあそばすことを指導頂いては、ただただ感激でいっぱいとなりました。

 あまりに膨大で圧巻のご指導なので、とてもぜんぶは書き切れませんが、ポイントだけ紹介したいと思います。

 まず浅井先生は、日蓮大聖人の崇高・甚深の御境界、すなわち「久遠元初の自受用身」と「末法下種の主・師・親」について、また、大聖人一代御化導の大綱、ことに3つの肝要について、つぶさに指導くださいました。大聖人がいかに尊い御本仏であられるか、その大恩徳に胸がいっぱいとなり、大感激がこみ上げました。

 次いで先生は、大聖人の御当体であり、文底秘沈の大法の実体である「本門戒壇の大御本尊」がいかに尊く、最極無上・尊無過上の法体であられるかについて、日寛上人の御指南に基づき指導くださいました。有難さに全身が包まれるとともに、大聖人の御心に背いて唱える御題目に功徳がないことを、内房の尼御前を返された事例を通して指導いただいては、学会・宗門が功徳なき理由がよくわかり、いま顕正会員として、「忠誠の証」そして「広宣流布最終段階の信行」である遥拝勤行に励み、無量無辺の功徳を頂ける立場の有難さ、先生に対する師恩報謝の思いは言葉に尽くせません。

 さらに先生は、「大聖人様の究極の大願は、この無量無辺の功徳・広大深遠の妙用まします『本門戒壇の大御本尊』を、国立戒壇に安置し奉って日本を仏国とし、ひいては全世界を寂光土とするにあられる」として、御遺命の証状である「一期弘法付嘱書」について重大な指導を下さいました。このわずか88文字の御付嘱状に大聖人一代30年の御化導が要を撮って示されており、そこに示された2つの重大事の1つこそ、まさに「広宣流布の時至れば富士山に国立戒壇を建立すべし」との御遺命であることを伺っては、「国立戒壇建立が大聖人様のただ一つの御遺命であり、いかに重大か」が深く胸に収まりました。

 このただ一つの御遺命を奉じ、日興上人・日目上人以来700年、国立戒壇建立を唯一の大目的・宿願としてきた富士大石寺において、あろうことか池田大作と2代の貫首が御遺命を破壊せんとした大悪事には驚くばかりですが、その本質は「第六天の魔王の働き」と伺っては膝を打ち、「学会・宗門は信心薄きゆえに魔に誑かされたのだ」とわからせていただきました。

 御在世に大聖人の御頸を刎ね奉る大逆罪を犯した日本国は、「大禍は、現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ」(下山抄)との仰せのまま、すでに大罰免れ難いところ、日本一同は未だに大聖人に背き続け、加えて正系門家が「極限の師敵対」に陥る今、諸天が許すはずもなく、ここにいよいよ大聖人御予言の「前代未聞の大闘諍」が起き、日本はその大渦に巻き込まれていくのです。

 そこに、浅井先生は、次のように叫ばれました。

 この日本をお救い下さるのは、宇宙的力用を有する諸天に対して、御命令を下し給う絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。

 ゆえに大聖人様は佐渡雪中において

 「日蓮によりて日本国の有無はあるべし

 と師子吼あそばされた。

 さらに

 「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等と誓いし願やぶるべからず

 と、日本国守護の大誓願をもお示し下された。

 「仏語は実にして虚しからず」と。大聖人様の大慈大悲の大誓願が、どうして虚しくなることがありましょうか。(中略)

 ここに大聖人様は「前代未聞の大闘諍」を用いて、広宣流布をあそばすのです。

 ゆえに撰時抄には

 「前代未聞の大闘諍一閻浮提に起こるべし。其の時、日月所照の四天下の一切衆生、或いは国を惜しみ、或いは身を惜しむゆえに、一切の仏・菩薩に祈りを懸くともしるしなくば、彼のにくみつる一の小僧を信じて、乃至、皆頭を地につけ掌を合せて一同に南無妙法蓮華経ととなうべし」と。

 この仰せのごとく「前代未聞の大闘諍」のとき、いよいよ大聖人様は広宣流布をあそばすのであります。

 この重大な御化導をお手伝い申し上げるのは、御遺命のゆえに理不尽な解散処分を受けるとも、一念も大聖人様を忘れ奉らず、一筋の忠誠を貫いた顕正会以外にはあるべくもない。

 本日の、広布の決戦場に突入しての最初の御大会式を機として、いよいよ二百二十万顕正会一結して大事な御奉公を貫き

 晴れて御遺命成就のその日、全員で、大聖人様からおほめを賜ろうではありませんか。

顕正新聞令和2年10月25日号

 いかがでしょうか。広宣流布・国立戒壇建立への熱い想いが胸の奥から湧いてきます。

 私も広告文を片手に、大勢の人たちに日蓮大聖人の大恩徳を教え、国立戒壇建立の御奉公に励んでいきたいと思います!