顕正会が宗門末寺「本種寺」と「誠諦寺」に全面勝訴‼

諸宗はどうして邪法なのか ~正しい仏法の見分け方~

諸宗はどうして邪法なのか ~正しい仏法の見分け方~

いろんな仏教があるけれど・・・

 世の中にはいろんな仏教がありますよね。念仏(浄土宗、浄土真宗)、真言宗、禅宗などはよく耳にしますし、いわゆる日蓮宗(身延など)もあります。

 一般的な感覚からすると、「それぞれ先祖代々の宗派があって、それを守っていけばいいじゃないか。他の宗派を悪く言うもんじゃないよ」といった意見が多いかもしれません。そうすると、日蓮大聖人が諸宗を破折(はしゃく)して、南無妙法蓮華経だけが唯一の成仏の法であるとお勧めくだされた理由も、なかなかわからないと思います。

 そこで、今回の記事では、どうして念仏・真言・禅等の諸宗は邪法なのかを見ていきたいと思います。

 浅井先生のご指導を拝してみましょう。

諸宗はなぜ邪法か

 大聖人は立宗の始めより、「念仏無間」「禅天魔」「真言亡国」「律国賊」と、諸宗を強く折伏された。この折伏について、世間では「自讃毀他」「排他的」などと批判する人が多い。しかしこういう人々は、宗教に正邪があることをまだ知らない

 念仏・真言・律等の諸宗は、いずれも「我が宗こそ最も勝れた経を本としている」と自讃しているが、実はすべての宗が釈尊の教えに背いているのである。

 釈尊は一代五十年にわたって説法をされたが、その目的は、唯一の成仏の法である法華経を説くことにあった。しかし直ちに法華経を説けば、理解できずに誹謗する者も出る。そこで一代五十年のうち、前四十二年は衆生の機根を調えるために方便の教えを説き、最後の八年で目的たる法華経を説いたのである。

 前四十二年の諸経を爾前経(にぜんきょう)といい、未だ真実が明かされていないから権経(ごんきょう)ともいう。これらの経々は成仏の経ではない。このことを法華経の序分といわれる無量義経には

 「四十余年には未だ真実を顕さず」と説かれている。

 また、釈尊が説いたすべての経々の中で法華経が最も勝れた第一の経であることは、法華経法師品の次の文に明らかである。

 「我が諸説の諸経、而も此の経の中に於て、法華最も第一なり。(中略)我が所説の経典無量千万憶にして、已(すで)に説き、今説き、当(まさ)に説かん。而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり」と。

 このように、釈尊自身が一代の諸経の勝劣を判定して、「法華経だけが成仏の経」と定められたうえは、四十余年の方便の経々は捨てて、法華経だけを信じなければいけない。

 ゆえに法華経方便品には

 「正直に方便を捨てよ」とあり

 さらに同譬喩品には

 「余経の一偈をも受けざれ」と厳しく誡められている。

 しかるに、もし方便の経々にこだわって法華経を信じなかったらどうなるか。釈尊は法華経譬喩品に重大な誡告をされている。

 「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至、其の人命終して阿鼻獄に入らん」――もしこの法華経を信ぜずに謗るならば、その人は臨終ののち無間地獄に堕ちる――と断定されているのである。

 そこで諸宗の依経(拠りどころとしている経)を見るに、念仏宗は無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経、真言宗は大日経・金剛頂経・蘇悉地経、禅宗は首楞厳経・楞枷経、律宗は小乗経と、それぞれ経こそ異なるが、四十余年の方便の経々であることは共通している。しかもこれら諸宗は、それぞれの依経に固執して法華経を誹謗している。ゆえにことごとく堕地獄の邪法といわねばならない。

 しかし当時の日本国は、これら邪法にたぶらかされていた。一人のこらず念仏を唱え、真言を崇め、禅・律等に帰依していた。毒を薬と思いこんでいたのである。子が誤って毒を服むのを見て制止しない親があろうか。大聖人の諸宗破折は実に、子の毒を制する親の慈悲に当たる。ゆえに「彼が為に悪を除くは、即ち彼が親なり」とある。

 末法においての成仏の大法は、ただ法華経の本門寿量品の文底に秘沈された「南無妙法蓮華経」であるが、この大良薬を服むには、まず邪法の毒を捨てなければならない。さもなければ薬は効かないのである。

 だが国主・万民がこぞって邪法を信じているとき、もし邪法を捨てよと言い出せば必ず身命に及ぶ。しかし言わなければ無慈悲となる。ここに大聖人は身命を賭するの大誓願を、立宗のとき立て給うたのである。そのご決意を開目抄に

 「日本国に此れを知れる者 但(ただ)日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば、父母・兄弟・師匠・国主の王難必ず来るべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、法華経・涅槃経等に此の二辺を合わせ見るに、いわずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕つべし、いうならば三障四魔必ず競ひ起こるべしと知りぬ。二辺の中にはいうべし。王難等出来の時は退転すべくば一時に思ひ止むべし。且くやすらいし程に、宝塔品の六難九易これなり。(中略)今度、強盛の菩提心ををこして退転せじと願じぬ」と。

 また教機時国抄には

 「之を顕わさば、身命定めて喪わんか」と。

 まことに身命を賭して一切衆生を救わんとのこのご決意、この崇高なる大慈大悲を拝すれば、ただ低頭のほかはない。「自讃毀他」などと言ったら罰も当ろう。

平成16年の諌暁書「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」

 いかがでしょうか。なんとも有難く、明快なご指導ですね。

 諸宗が拠りどころにしている経は、すべて釈尊(お釈迦様)が説いたものです。しかし、その釈尊自身が、それらの経は方便(仮の教え)であるから捨てよと、ハッキリと仰っているのです。これに固執し、本懐である法華経を誹謗する諸宗が邪法であることは明らかです。

 そして、大聖人が諸宗を破折されたのは、ひとえに一切衆生を救わんとあそばす大慈大悲であられたのです。

日蓮大聖人の仏法を正しく実践している団体=顕正会

 「ふーん、なるほど。いろんな仏教があるけど、日蓮大聖人の仏法じゃなきゃダメなんだね。でも、南無妙法蓮華経って唱えている団体もたくさんあるから、どれがいいのかわからないんだけど・・・。どこでもいいのかな?」と思われた、そこのあなた!

 ・・・実はどこでもいいわけでないんです。

 同じ南無妙法蓮華経でも、日蓮大聖人の御心に背いて唱えては功徳がありません。かえって悪道に堕してしまいます。

 大聖人は「吾一門の人人の中にも信心もうすく、日蓮が申す事を背き給はば蘇我が如くなるべし」(四条抄)と仰せられています。

 では、いま日蓮大聖人の御心のままに正しく仏法を実践している団体はどこでしょうか?答えは・・・もうおわかりですね(笑)

 「冨士大石寺顕正会」ただ1つです。

 その理由を詳しく知りたい方は、ぜひこちらの記事をご覧ください。

創価学会・日蓮正宗は師敵対の逆徒

 ちなみに、顕正会と似て非なる団体として、創価学会と日蓮正宗(宗門)があります。これらの団体も、昔は日蓮大聖人の仏法を正しく実践していました。

 でも、学会・宗門は、政治野心に燃える池田大作と、その権力と金力にへつらった細井日達・阿部日顕という2代の貫首によって、大聖人のただ1つの御遺命に背き、教義を改変してしまいました。具体的には、にわかに建てた偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇(となる建物)」と偽り、七百年来の悲願である「広宣流布の暁に、勅宣・御教書を申し下して国家的に建立する戒壇」を放棄してしまったのです。

 殊に宗門(日蓮正宗)の無道心ぶりは目に余るものがあります。

 歴代先師上人は、御遺命の戒壇について、「宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(59世・堀日亨上人、大白蓮華11号)、「大聖人は、広く此の妙法が受持されまして国家的に戒壇が建立せられる。その戒壇を本門戒壇と仰せられましたことは、三大秘法抄によって明白であります」(65世・日淳上人、日蓮大聖人の教義)等と正義を述べていました。

 また、御遺命に背いた66世・細井日達も、登座直後には、「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」(大日蓮昭和36年5月号)と正義を述べていたのです。

 ところが宗門は、池田大作にへつらい、宗門だけで建てた偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇(となる建物)」と讃嘆し、それまでの教義を改変してしまいました。なんという恥知らず、無道心の輩でしょうか。

 また、平成10年に正本堂が崩壊した後も、宗門は未だに御遺命に背き続けています。67世・阿部日顕は、平成16年の全国教師講習会で、次のような邪説を述べました。

 「道理から言っても国立戒壇は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて、国立戒壇が間違いだといったことは正しかったと思っております」、「(国立戒壇は)国の法律に抵触するから、どうしても憲法改正ということを言わなければならないような意味が出て、事実、浅井もそのように言っているわけです。だから国主立、いわゆる人格的な意味において国民全体の総意で行うということであるならば、憲法はどうであろうと、みんながその気持ちをもって、あらゆる面からの協力によって造ればよいことになります」(大日蓮平成16年12月号)

 つまり、阿部日顕は、正本堂が崩壊した後も、歴代先師上人が異口同音に仰せられ、浅井先生が一貫して叫んでこられた「広宣流布の暁に、勅宣・御教書を申し下して国家的に建立する戒壇」を、否定し続けているのです。

 これは、現憲法に抵触しない形、つまり国家と無関係に建てるという意味において、実は偽戒壇・正本堂と同じです。

 浅井先生は、阿部日顕の邪説を、次のように一刀両断されています。

 いま、汝は国家と無関係に国民の総意で建てる戒壇を「国主立」と称し、これなら「憲法改正も必要なし」と述べているが、ここにこそ、隠された重大な御遺命違背がある。

 それは、「勅宣・御教書」の厳重の御定めを無視していることである。(中略)

 広布近きを迎えた今、汝は「国民の総意で」といいながら、敢えて国家意志の表明という厳重の御定めを無視し背いている。これが大謗法の根源なのである。

 よいか――。たとえ「国民の総意」というとも、そのような漠然たる状態では未だ「国家意志」は成立しない。国民の総意が国会の議決となり、閣議決定となり、天皇の詔勅となって表われてこそ、始めて国家意志は成立するのである。なぜこの「勅宣・御教書」を無視するのか。

 もし天皇の国事行為は制限されているというなら、改憲すべきではないか。繰り返すが、広布の暁なら、これに異を唱える誰人がいようぞ。

 しかるに汝は、池田と同じく現憲法を至上として、御本仏の御遺命を蔑っている。これこそ広布前夜、第六天の魔王が正系門家を壊乱している姿に他ならない。

 日蓮大聖人の究竟の大願たる「国立戒壇」を否定するは、その罪まさに御本仏の御眼を抉るに当る。深くこれを恐れよ。

「最後に申すべき事」

大聖人の御心のままの信行が叶う顕正会の有難さ

 日蓮大聖人は二祖日興上人への御付嘱状に、「就中我が門弟等此の状を守るべきなり」と仰せられています。ですから、御遺命に背き続けるいまの学会・宗門は、大聖人の「門弟」ではなく、師敵対の逆徒、魔の眷属なのです。だから、学会・宗門でいくらお題目を唱えても功徳がなく、かえって罰を受け、入阿鼻獄の道を歩んでいくのです。

 そこに、いま日蓮大聖人の御心のままに、正しい信行が叶う顕正会員の立場は、なんと有難いことでしょうか。

 いよいよ大確信に立って、広宣流布・国立戒壇建立の御奉公に励んでいきたいと思います!

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