日蓮大聖人・国立戒壇こそ「日本の柱」(2)

アメリカを「日本の柱」とした日本国憲法

 「日蓮大聖人こそ日本の柱」、「国立戒壇こそ日本の柱」との重大事を明かされた「日本の柱」特集号(顕正新聞令和2年9月5日号)は大感激ですね。

 今回は、前回の続きを書いていきたいと思います。

 前回の記事では、日蓮大聖人の金剛不壊の御境界を通して、日蓮大聖人・国立戒壇こそ「日本の柱」であることを拝しました。

 でも、いまの日本は、未だに日蓮大聖人を軽賤し、背き続けています。では、いったい何を柱としているのでしょうか。答えは「アメリカ」です。

 浅井先生のご指導を拝してみましょう。

 ちなみに、今の「日本国憲法」を見てごらんなさい。

 戦勝国アメリカが日本に与えた憲法とはいえ、この憲法は、日本をアメリカに依存しなければ生存できない国にしている。だから文面にはないけれど、まさに「アメリカを日本の柱」とした憲法なのであります

顕正新聞「日本の柱」特集号

 いやはや、驚きですね!

 憲法の前文(まえがき)をみると、「日本国民は・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてあります。

 でも、日本の周りには、北朝鮮、ロシア、中国という、自国の利益のためなら平気で他国を害する修羅の国ばかりです。先生は、「このような国々を信頼して『われらの安全と生存を保持しようと決意した』などと述べているこの前文は、まったくの空理・空論の戯言にすぎない」とズバリ指摘されています。

 また、この前文を承けて定められた第9条は、「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を謳っていますが、これでは国家の生存は成り立ちません。先生は、「この第九条も、前文と同じく空理・空論・たわごとですね。これでは国家は生存し得ない」と仰せられています。

 では、どうしてこのような憲法になっているのでしょうか。浅井先生は次のように指導くださいました。

 そもそもこの「日本国憲法」は、アメリカが占領政策の一環として日本に与えたものです。

 ゆえにその目的は、日本が再び軍事大国となってアメリカを脅かす国にならないようにすることと、日本をアメリカに依存しなければ生存し得ぬ国にすることにあった。かくて「日本の柱はアメリカ」となったのです。

 だから昭和27年に「講和条約」と「日米安保条約」が同時に発効して占領期は終わったが、日本は真の独立国家ではなく、アメリカの保護国・属国のような立場で、今日まで来ているのです。

顕正新聞「日本の柱」特集号

 いかがでしょうか。あの敗戦以来、「日本の柱」はアメリカになってしまったんですね。アメリカに国家の「安全と生存」を委ねている日本にとって、日米安全保障条約が命綱になっているのです。

アメリカはいつまで守ってくれるのか

 では、アメリカはいつまで日本を守ってくれるのでしょうか。

 浅井先生は、「私は、いつまでもこの条約(※日米安保条約)が続くとは思えない。それは偏に、アメリカの『意志』と『能力』にかかっているからです」と、ズバリと指摘されました。

 そして、アメリカの「意志」については、昨年のトランプ大統領の発言やアメリカの大新聞の社説にみるように、日米安保に対する批判的な機運が醸成されてきたこと、「能力」については、オバマ政権のときすでに「アメリカは世界の警察をやめる」と明言したように、衰退してきていることを教えてくださいました。一方、共産党独裁の中国は、アメリカに追いつけ追い越せで、核ミサイルをはじめとして軍事力の増強に狂奔しています。

 このように、日本がこれまで柱としてきたアメリカは、もう日本を守る「意志」も「能力」も無くなってきているのです。かくて日本は寿量品に説かれるように、「自惟孤露・無復恃怙」(自ら惟るに、孤露にして復恃怙無し)となってしまいます。つまり、日本は孤立して、もう誰も助けてくれないという状況になってしまうのです。

お救い下さるは日蓮大聖人ただ御一人

 浅井先生は、次のように叫ばれました。

 このとき、日本をお救い下さるのは、宇宙的力用を有する諸天に申し付ける、絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。

 ゆえに大聖人様は

 「日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅に柱なければたもたず

 と仰せられ、さらに開目抄には

 「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等と誓いし願、やぶるべからず

 との大誓願を宣示あそばされているのです。

 「一閻浮提の大闘諍」がいま起こらんとし、日本が亡国とならんとしている今こそ、全日本人に

 「日蓮大聖人こそ日本の柱」「国立戒壇建立こそ日本の柱

 という大事を教えなければいけない。

 この御奉公をなすのは、御遺命を守り奉った顕正会以外にはあるべくもない。

 国立戒壇を否定するために建てられた偽戒壇・正本堂はすでに崩壊した。「破邪」の次には、必ず「立正」がある。

 全日本人に、末法下種の御本仏・日蓮大聖人の大恩徳を教え、早く国立戒壇を建立して、大聖人様に応え奉らなければいけない。

顕正新聞「日本の柱」特集号

 いかがでしょうか。日本が亡国とならんとしている今こそ、「日本の柱」はアメリカではなく、日蓮大聖人・国立戒壇であることを全日本人に伝え、なんとしても大聖人に応え奉らんとの浅井先生の御心が胸に迫ります。この大事なご奉公を成すのは、御遺命を守り奉った顕正会以外にはあるべくもありません。

遥拝勤行の有難さ

 最後に浅井先生は、「遥拝勤行」について大事な指導をくださいました。

 遥拝勤行というのは、自分の家から距離を乗り越えて、富士大石寺にまします「本門戒壇の大御本尊」を直接拝みまいらせる勤行です。いま顕正会員が実践させて頂いている有難い信行ですね。

 一方、宗門(日蓮正宗)では、細井日達や阿部日顕が書写した本尊に向かって勤行している人が多いようです。

 しかし、細井日達・阿部日顕は、大聖人の一期の御遺命に背き奉った師敵対の輩です。浅井先生は、「このような師敵対をして、どうして御本尊を書写する資格があるのか。大聖人様に背き奉っては、恐れ多くて書写できないのではないかと私は思う。だが二人は平然と書写している。これ大聖人の御眼を恐れぬ無道心と思わざるを得ない」と仰せられています。

 そこに、いま顕正会員は、このような師敵対の輩が書写した本尊ではなく、直接、大聖人の御当体たる「本門戒壇の大御本尊」を拝み奉っているのです。なんと有難いことでしょうか!

 この忠誠の唱題は直ちに大聖人に通じて大功徳が頂けます。そして、ついには広宣流布の大願も叶うのです。

 浅井先生は、広宣流布のときの姿について、次のように指導くださいました。

 やがて、戒壇の大御本尊を恋慕渇仰して唱え奉る唱題の声は、北は北海道から南は沖縄に至るまで、日本列島に満ち満ちる。

 そして、全員が国立戒壇の建立を熱願するとき、それが「唯願説之」となって、ついに戒壇の大御本尊様は国立戒壇に御出ましあそばすのであります。

顕正新聞「日本の柱」特集号

 なんと有難い瞬間でしょうか。御本仏が「日本国一時に信ずる」、「大地を的とする」と仰せられる広宣流布のとき、日本一同が戒壇の大御本尊を恋慕渇仰して遥拝し奉る姿を想像しては、有難さと広宣流布への決意がこみ上げてきます。まさに遥拝勤行こそ「広布最終段階の信行」なんですね。

 私も広告文と特集号を片手に、日蓮大聖人の大恩徳を多くの人たちに教えていきたいと思います!