顕正会が宗門末寺「本種寺」と「誠諦寺」に全面勝訴‼

鳥取会館御入仏式が厳修されました

鳥取会館御入仏式が厳修されました

鳥取会館御入仏式

 冨士大石寺顕正会の「鳥取会館御入仏式」が、令和2年8月2日、厳粛に奉修されました。鳥取会館は、山陰地方ではじめての会館です。

 この御入仏式は、当初は7月の予定でしたが、「令和2年7月豪雨」のため延期となりました。これにより、顕正会の大事な「原点の月」である8月に御入仏式が行われたこと、なんとも有難いですね。

8月は顕正会の「原点の月」

 浅井先生は、御入仏式において、次のように指導くださいました。

 この御入仏式を機に、全員が、「顕正会の原点の月」の大精神を、しっかりと掴んでほしいと思っております。

 なぜこの八月を「原点の月」というのか―。

 それは、顕正会が発足したのが昭和三十二年の八月三日。

 また顕正会が解散処分を受けたのも昭和四十九年の八月十二日。

 このように二つの大事が共に八月であったから「原点の月」というのであります。

顕正新聞令和2年8月25日号

 いかがでしょうか。顕正会の「発足」と「解散処分」という2つの大事がともに8月であったから、8月を「原点の月」というのですね。

 今回、浅井先生は、この2つの大事について諄々と指導くださいましたが、顕正新聞の第1面を見ると、この2つの大事を貫く「大精神」が一言で示されていました。

 二つの大事を貫く大精神は――濁乱の正系門下の中にあって、何としても日蓮大聖人の御遺命を守り奉り、広宣流布・国立戒壇建立に身を捨ててご奉公を――というにあられた。

顕正新聞令和2年8月25日号

 いやはや、なんとも有難いですね!

 それでは、さっそく2つの大事を拝していきましょう。

顕正会発足の経緯

 まず顕正会発足の経緯をみれば、当時、顕正会は「妙信講」と称して東京・池袋の一末寺に所属していました。しかし、その末寺住職がめざすところは広宣流布ではなく、末寺経営を第一とする営利主義で、宗門内で勢力を拡大して栄達する心根でした。そのため、住職は、自身が率いる宗門最大の派閥を維持発展させるための軍資金として、年に2回、広宣流布とは関係のない供養を、上限を決めずに信徒から集めるようになったのです。

 浅井先生はこれをご覧になり、「このようなことは広宣流布とは関係ない。このままで、大聖人様に通ずる広宣流布の御奉公が叶うのか」と悩まれ、苦慮に苦慮を重ねたすえ、「この末寺を離れて一筋に広宣流布の御奉公に身を捨てよう」と決意し、新生・妙信講を発足されました。それが昭和32年8月3日です。

 ところが、宗門の規則では、「指導教師」となる僧侶がいなければ講中結成の認証が得られないことになっていました。しかし、宗務役僧で有力者であったその住職が猛反対する以上、「指導教師」を引き受ける僧侶がいるはずもありません。こうして、新生・妙信講の発足は、挫折する以外にないとみえたのです。

 ところが、妙信講の切実な願いは、「時の貫首」第65世・日淳上人の御耳に、いつのまにか入っていました。そして、かねてより妙信講の信心を深くご理解下されていた日淳上人は、妙信講の広宣流布への至情を嘉せられ、発足翌年の昭和33年1月15日、反対する末寺住職の頭越しに、異例の講中認証をしてくださったのです。

 異例の認証には異例の儀式が行われました。日淳上人は、妙信講の首脳幹部をわざわざ本山に招かれ、「認証状」を直接授与するとともに、お言葉を下さったのです。

 「法華講とは墓檀家のことを云うのではない。熱原の法華講衆こそその鑑(かがみ)である。妙信講は戦う法華講となって、広宣流布に御奉公せよ。まず三千の弘通を成してみよ」と。

 先生は、「思いもかけぬお言葉に、一同、ただ感泣いたしました」と述懐されています。これより「三千」を見つめて、新生・妙信講の死身弘法が始まったのです。

解散処分の経緯

 次に解散処分の経緯ですが、政治野心に燃える池田大作と、それにへつらう2代の貫首によって、それまで全宗門が当然のように叫んできた「国立戒壇」がにわかに否定され、広布以前に宗門だけで建てた「正本堂」が御遺命の戒壇に当たる旨を、学会・宗門ともに大宣伝しました。これが御遺命破壊の大悪です。

 このとき、浅井先生ただ御一人が御遺命守護の戦いにお立ちになり、学会・宗門を諫め続けた結果、悪事露見を恐れた学会・宗門は心を合せ、ついに妙信講に解散処分を下しました。これが昭和49年8月12日です。

 解散処分の宣告書には、細井日達の名をもって、次のように処分理由が記されていました。

 「妙信講は、数年来『国立戒壇』の名称を使用しない旨の宗門の公式決定に違背し、更にまた昭和四十七年四月二十八日付『訓諭』に対して異議を唱え、数度に及ぶ宗務院の説得、誡告等にも従わず・・・」と。

 つまり、妙信講は宗門の公式決定に背いて国立戒壇を主張し、さらに宗門が「正本堂こそ御遺命の戒壇である」と定めた「訓諭」にも異議を唱えたゆえに解散処分にした、ということです。まさに妙信講は御遺命を守護し奉ったゆえに解散処分を受けたのです。

 ちなみに、法華講員などが、「顕正会も正本堂を御遺命の戒壇と認めていた!」とか、「顕正会も正本堂の『訓諭』を容認していた!」というウソを平然と述べているのをたまに見かけます。これは、宗門が御遺命に背いていた大罪をゴマかすために、「顕正会だって・・・!」と話題を逸らそうとしているのでしょうが、率直に言って、「ほんとうに頭の残念な人たちだな・・・」と憐みの心がわいてきます。

 他でもない宗門自身が、浅井先生が正本堂の「訓諭」に「異議」を唱え、数度に及ぶ宗務院の説得、誡告等にも従わなかったと宣告書で明言しているのですから、先生が正本堂を「御遺命の戒壇」と認めたり、「訓諭」が正しいと容認されたりしていなかったことは明らかです

 彼らが引用するのは浅井先生のご指導の「切り文」です。全文を通読すれば、先生が正本堂を「御遺命の戒壇」と認めたり、「訓諭」を正しいと容認したりなどしていないことは誰にでもわかるのですが、切り取られた文章だけをみてコロリと騙され、しかも自分が騙されていることに気づかずに発言しているのですから、ほんとうに憐れです

 まあ、もともと信心が無いからこの程度のたばかりをうのみにするのでしょうが、法華講員たちの読解力と知的レベルの低さがよくわかりますね。さすがは御本仏の御遺命に背き続けることに何の痛痒も感じない「猊下様☆絶対ロボット」の方々です(笑)

命をかけて言い募れ

 浅井先生は、次のように仰せられています。

 仏弟子ならば、何よりも仏様の御金言を本としなければいけない。それで、もし政府が〝怪しからん〟と言うのなら、命をかけて言い募ったらどうか。

 大聖人様は「寧ろ身命を喪うとも教を匿さざれ」と諸抄に仰せ下されているではないか。

 仏弟子として国立戒壇の本義を述べて、もし政府が増上慢になって「そんなこと認められない」と言って来たら、言い募らなければいけない。

 そのため「命を取る」と言われたら、取られたらいい。これが大聖人様の弟子の決意ではないか。

顕正新聞令和2年8月25日号

 いかがでしょうか。浅井先生の鉄石のご決意を伺っては、ただ低頭のほかはありません。

 先生は、解散処分の宣告書を手にしたとき、「大事な御遺命が破壊されんとしているとき、妙信講が安穏であってはいかにも大聖人様に申しわけない。これで一分の申しわけが立つ。御遺命を守るのに『懈怠の弟子、ゆるき行者』とのお叱りだけは免れる」との思いが湧いたと述懐されていますが、たとえ我が身がどうなろうとも、ただ大聖人の御遺命を守り奉らんと忠誠を貫かれた先生のお姿に、ただ畏敬の念がこみ上げます。

遥拝勤行こそ忠誠の証

 この解散処分は死罪に等しいものでした。これで命脈を保てる講中はあり得ません。しかし、当時1万2000の妙信講は微動もしませんでした。

 そして、浅井先生は全員に、「今こそ御在世の信行に立ち還り、戒壇の大御本尊様を直接拝し奉る遥拝勤行で、広宣流布をめざし死身弘法を開始しよう」と呼びかけました。すると、不思議なことに、妙信講に御在世の信心が澎湃とよみがえってきたのです。

 浅井先生のご指導を拝してみましょう。

 この遥拝勤行こそ、まさに「忠誠の証」であります。

 熱原の法華講衆は、大聖人様にお目にかかる機会はなかった。だが、大聖人様を恋慕渇仰して、身命も惜しまぬその一筋の信心は、ついに大聖人様の御意に叶い、本門戒壇の大御本尊の「願主」たるを許された。

 この御在世の信心が、解散処分を機に妙信講に湧き上がって来たのです。そして今や顕正会は、二百十八万九千余の仏弟子の大集団になった。

 まさに解散処分により、顕正会は日本国でただ一つ、日蓮大聖人の御遺命を守り奉り国立戒壇めざして戦う、仏弟子の一大集団になったのであります

顕正新聞令和2年8月25日号

 いかがでしょうか。御遺命を守り奉ったゆえに受けた解散処分によって、かえって顕正会に熱原の法華講衆のごとき御在世の信心が湧き上がり、ただ衰亡の一途をたどる学会・宗門を眼下に、いま日本国でただ一つ、大聖人の御遺命成就に戦う仏弟子の大集団となったこと、本当に不思議としかいいようがありません。すべては大聖人の御意なのだと伏して拝しては、いま浅井先生のもと広布最終段階のお手伝いが叶う有難さは言葉になりません。

 先生は、「大悪大善御書」を引かれ、「いま起きている正系門家と一国の大悪こそ、まさしく『広宣流布いよいよ近し』の大瑞」、「この時に生まれ合わせ、大聖人様の御遺命成就に戦わせて頂けるとは、お互いに、なんと有難い宿縁か」と大歓喜で仰せられましたが、私も広告文を片手に、近き広宣流布を1日でも早めるお手伝いに励んでいきたいと思います!

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