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仏法と世法

仏法と世法

学校でも会社でも教えてくれない「仏法と世法」の関係

 みなさんは「仏法」という言葉を聞くと、何を思い浮かべるでしょうか?

 難しい御経、お寺、仏像、お葬式などなど・・・きっといろいろなイメージがあると思います。

 でも、ほとんどの人たちは、何か自分の生活とは離れた縁遠いもの、といった感覚をお持ちなのではないでしょうか。

 たしかに、ふだん学校や会社に行っているときに「仏法」が話題になることはありませんよね。せいぜい、歴史の授業のときに少し先生から聞く程度でしょうか。だから、まさか仏法が自分の生活に関わりがあるなんて、思いもよらないかもしれません。

 しかし、「仏法」というのは、じつは私たちの生活、ひいては国家の興亡盛衰に深く深く関係しているものなのです。

 そこで、今回の記事では、学校でも会社でも教えてくれない、仏法と私たちの生活との関わりについて見ていきたいと思います。ズバリ、「仏法と世法」の関係についてです。

 浅井先生の御指導を拝してみましょう。

仏法と世法

 仏法とは、大智慧の仏が、時間的には過去・現在・未来の三世を、空間的には宇宙法界を見極めて覚られた、生命・生活の根本の理法である

 仏が仏法を説かれる目的はただ一つ。それは一切衆生に「成仏」を得さしめるところにある。成仏とは俗にいう〝死ぬ〟ことではない。成仏とは、仏が証得された永遠に崩れぬ最高無上の幸福境界である。この「成仏」を得る唯一の実践法・生活法が仏法なのである。そして仏法は国家にとっては、真の安泰を得る根本の指導原理となる。

 仏法に対して、世間一般の道理・法則・現象等を「世法」という。仏法と世法とは別なものではない。もし深く世法を見つめれば、その奥底には仏法がある

 ゆえに大聖人は「もし深く世法を識れば、則ち是れ仏法なり」(開目抄)と仰せられている。すなわち仏法は根底の理法、世法は表層の理法。仏法は全体観、世法は部分観。仏法は根本の因果を明かし、世法は枝葉の因果にとどまるのである。

 だから、たとえ世法における最善を尽くしたとしても、もし仏法に背けば、幸福はもたらされないし、国も安泰にはならない。たとえば、いかに農作技術の最善を尽くしても、太陽の恵みがなければいかなる技術も虚しくなるのと同じである。

 この道理を大聖人は、個人生活に約しては次のように示されている。

 「夫れ運きはまりぬれば兵法もいらず、果報つきぬれば所従もしたがはず」(四条抄)―もしその人の運命が極まってしまったら、いかなる兵法も役に立たないし、果報が尽きてしまったら、従者までも背くようになる―と。

 人は、才能があって努力さえすれば幸せになれると思いがちだが、これは部分・表面だけを見た因果にすぎない。もし福運が尽きれば、いかに才能があろうと努力しようと、役には立たないのだ。かえってそれらが裏目に出てしまう。崩れぬ幸福をもたらす福運・果報等は、仏法の実践によってのみ、その人の身に具わるのである

 また大聖人は、国家に約しては次のごとく示されている。

 「万民百姓を哀(あわれ)みて国主・国宰の徳政を行う。然りと雖も唯(ただ)肝胆を摧くのみにして、弥(いよいよ)飢疫に逼(せま)り・・・」(立正安国論)―たとえ為政者が人民の苦悩を見て徳政を行ったとしても、もし仏法に背いていたら、国土に飢饉や疫病などの災難が相次ぎ、かえって人民の困窮は増す―と。

 国防についても、かく示されている。

 「設(たと)い五天の兵を集めて鉄囲山を城とせりともかなふべからず。必ず日本国の一切衆生、兵難に値うべし」(撰時抄)―防衛手段の最善を尽くしたとしても、仏法に背くならば、他国の侵略を防ぐことはできない―と。

 さらに国家の命運に与える影響について仏法と政治を比べては、次のごとく示される。

 「王法(政治)の曲るは小波・小風のごとし、大国と大人をば失いがたし。仏法の失あるは大風・大波の小船をやぶるがごとし、国のやぶるる事疑いなし」(神国王御書)―たとえ失政があったとしても、国家・国主に福徳があるときには、国が亡ぶということはない。だが正しい仏法に背くときには、いかなる福徳の国主の国といえども必ず亡びる―と。

 このように仏法は、個人の幸不幸、国家の興亡盛衰における、根本の因果を明かす理法なのである

「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」(平成16年の諫暁書)

仏法を正しく実践できる有難さ

 いかがでしょうか。たいへんわかりやすく有難いご指導ですね!

 「仏法」というのは、大智慧の仏様が証得された生命・生活の根本の理法なのです。ですから、世間一般の道理・法則等の「世法」を深く見つめれば、その奥底には仏法があります。個人の生活、国家の興亡、国防・政治等も、その根底において、すべて仏法と関わっているのです。なんと凄いことでしょうか!

 このことがわかってくると、いま日蓮大聖人の仏法を正しく実践させて頂けることがどれほど有難いことなのかが身に迫ってきます。私自身、顕正会員として日々信行に励む中にたくさんの功徳を頂いてきましたが、これも浅井先生が日蓮大聖人の御遺命を堅持され、大聖人の御心に適う信行を教えてくださればこそと思うと、報恩感謝の思いは尽きません(詳しくはこちらをご覧ください)

 いよいよ一国に総罰があらわれてきた20年代、私も日蓮大聖人の大恩徳を多くの人々に教え、人を救い国を救う広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!

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