「私も広布に戦いたい」と副講頭が顕正会に入会しました

法華講歴20年の副講頭が語る宗門の内情

 顕正新聞令和2年7月25日号に、元法華講員の登壇が載っていました。その方は、創価学会・法華講を経て、本年6月21日、顕正会に入会されたそうです。

 学会のときには、選挙一色になる活動に疑問を感じ、法華講に移ってからは、登山部長・壮年部長を歴任し、最後6年間は副講頭として、約20年間も法華講で活動したそうです。でも、確信や功徳の歓喜は全くなく、末寺内には「広宣流布などどうせできないだろう」という空気が漂い、愚痴や罰があふれ、絶望に近い思いを抱いていたそうです。また、御虫払会法要や御会式のたびに供養を求められ、登山できなくとも供養金を払う「付け願い」まであり、結局はカネを貪っているだけと思わずにはいられなかったそうです。

 いやはや、なんとも酷い状況ですね。功徳の歓喜と広宣流布の情熱ではずむ顕正会ではとても考えられません。これが御遺命に背き続ける宗門の内情なんですね。

副講頭、ついに顕正会に入会

 しかし、この方の信心はまじめで、顕正会員から折伏を受けると、「自分も広宣流布に戦いたい」との思いが込み上げ、未入会のまま「基礎教学書」や「試練と忍従の歴史」を拝読、ビデオ放映等にも参加し、「浅井先生が正しい」との思いを深めていきました。そして、さまざまなシガラミから4年間、入会の決意が定まらなかったものの、本年、顕正会員とともに法華講員の知人を折伏すると、その知人は「やっぱり、宗門は間違っていたのだ」「正しいし団体で信心しよう」とあっという間に入会決定したそうで、その決意にその方自身も肚が決まり、晴れて顕正会に入会することが叶ったのでした。いやはや、本当に良かったですね!

広宣流布に御奉公が叶う有難さ

 いまその方は、顕正会に入会できた喜びを噛みしめているそうです。登壇の最後の一節を引用してみましょう。

 恋慕渇仰の遥拝勤行に励み、また筑波会館に参詣させて頂くとその清々しい空気に有難さが込み上げ、顕正会の勤行はなんと素晴らしいのかと大感動し、有難さでいっぱいになりました。

 ずっと心に懐いていた「広宣流布に御奉公したい」との思いのまま、浅井先生のご指導を語り合い、広宣流布に御奉公できることが有難く、今は感激でいっぱいです。

 妻をはじめ法華講に執着して反発を強めている法華講員、そして戒壇の大御本尊様を捨て奉った学会員を、怨嫉を乗り越え、必ず救う決意であります。

 学会・法華講では絶望しか感じられなかった自身が、いま正しき師匠・浅井先生のもと、顕正会員として広宣流布への御奉公が叶うこと、歓喜と希望でいっぱいであります。

 されば、遠回りしましたが、これよりは多くの学会員・法華講員を救う戦いを巻き起こし、無二の師匠・浅井先生にお応えしてまいる決意であります。

顕正新聞令和2年7月25日号

 いやはや、なんとも有難いですね。私自身、顕正会員として日々ご奉公に励み、たくさんの功徳を頂いてきましたが、長年、学会・法華講に身を置き、罰と絶望感を味わってきた方だからこそ、顕正会の正しさと有難さをよりいっそう実感できるのかもしれません。

 浅井先生は、6月度総幹部会において、「いよいよ二〇年代こそ広宣流布の決戦場であります。このときに生まれ合わせたということは、お互いに、何たる宿縁か」と仰せられましたが、いま顕正会員として大聖人の御心に適う正しい信行ができ、一生成仏が叶い、広宣流布の情熱を燃やしてご奉公できること、本当に有難く思います。