顕正会が宗門末寺「本種寺」と「誠諦寺」に全面勝訴‼

「阿部日顕の悪臨終」をゴマかす宗門の欺瞞を破す

「阿部日顕の悪臨終」をゴマかす宗門の欺瞞を破す

阿部日顕の末路を知らない法華講員たち

 先日、ネットを見ていたら、驚くべき記事が目にとまりました。

 ある法華講員が、阿部日顕の臨終が良かったものと思い込み、「創価学会のみなさん、顕正会のみなさん、もうすでに日蓮正宗と創価学会、日蓮正宗と顕正会、どちらが邪説を唱える謗法の教団であるか、すでに決着がついたのですよ!」などと声を大にして訴えた、というのです。

 どうやらこの法華講員は、阿部日顕が御遺命破壊の大罪により無間地獄に墜ちたことを知らないようです。誰も否定できない厳然たる「証拠」があるにもかかわらず、です。いやはや、なんとも不憫ですね。

 そこで、今回の記事では、未だに真実を知らない人々のために、日蓮大聖人の御遺命に背き続けた阿部日顕が無間地獄に墜ちたことを、宗門の関係者が構えるタバカリを破折しつつ、わかりやすく書いてみたいと思います。

阿部日顕とは?

 「ちょっと待って!そもそも阿部日顕って誰なんだい?俺、その人のこと全然知らないんだけど・・・

 ・・・おや、そうでしたか。私たち顕正会員にとっては(悪い意味で)有名な人物なのですが、一般の方々は知らないかもしれませんね。

 阿部日顕というのは、「日蓮正宗」という宗教団体の第67代目の管長(トップ)だった人物です。

 彼は、昭和54年、前管長の細井日達が突然死し、宗内が呆然自失となっている最中、「実は昨年4月15日、総本山大奥において、猊下と2人きりの場において、内々に御相承を受けていました」と自己申告して、あっという間に猊座に滑り込みました。もちろん、彼が御相承を受けたことを証明できるものは何もありません

 このような経緯から、彼は後年、創価学会や正信会などの他教団と抗争に陥った際、「相承を受けていないニセ法主」との嘲笑を受けることになります。しかし、正信会などとの度重なる裁判でも、ついに彼は、自身が相承を受けたことを証明する資料を何一つ提出できませんでした

 その後も、阿部日顕は、管長職に居座り続け、平成17年に退座した後もなお隠然たる勢力を持っていましたが、昨年(令和元年)9月20日の早朝、ついに死亡しました。

参考サイト:阿部日顕さん死去(朝日新聞デジタル)

 これは、顕正会の浅井先生が、7月度総幹部会で現・早瀬管長(68世)に対し、阿部日顕の謗法を責め、彼を「宗門追放」するよう直諌されてから、わずか58日目のことでした。

 ここに、日蓮大聖人の御遺命を破壊せんとし、国立戒壇の正義を否定する大謗法を犯し続けた阿部日顕は、正系門家から消滅したのです。

悲惨だった阿部日顕の最期

 このように、大聖人一期の御遺命に背き続けて身の保つはずもありません。法華講員たちには知らされていませんが、阿部日顕の晩年は、数々の病苦に苛まれる悲惨なものでした。

 不思議なことに、実は阿部日顕が入院していた病院に、顕正会員の看護師が働いていたのです。その方が、御遺命に背く者の大罰を後世に伝えるために、宗門では決して語られない「阿部日顕の真実の姿」を、勇気をもって報告してくれました。

 その内容は、次のとおりです。

 今から数年前、区員が勤務する首都圏の病院に、阿部日顕が入院してきたのでした。

 阿部日顕は心臓の手術をしたものの、傷口が感染症を起こしてなかなか治らず、また既往歴も三十以上あると聞いては、それだけでも御遺命破壊の大罰と思わずにはいられませんでした。

 腎機能もかなり低下し、顔色は常に黒ずみ、自分で老廃物を排出できないことから、左足の付け根から管を入れて透析する状態でした

 さらに認知症の症状も加わり、自らの病状すら理解できず、透析の管を自分で引っ張って外しては血まみれになり、ために、つなぎタイプの病衣を着せなければならず、日々、ナースコールが鳴り止まない深刻な病状でした

 その上、看護師たちがナースコールで呼ばれて行っても、「さわんなよ」と怒鳴られ、邪険に扱われることが多かったそうです。しかし「特別室の患者」ということから、みな我慢を強いられ、スタッフの間での阿部日顕の評判は、最悪だったとのことです。

 阿部日顕の病室には毎日のように人が訪れ、一日中、阿部日顕に付き切り、常に敬語で話していたそうですが、その会話はトンチンカンな内容で、認知症がかなり進行していることが窺われました。

 夕方の六時からは「お祈りの時間」として「立入禁止」になっていましたが、誰も勤行の声を聞いたことがなく、本当に勤行していたのか定かではない、とのことでした。

顕正新聞令和元年11月5日号

 いかがでしょうか。これが晩年の阿部日顕の真実の姿だったのです。まさに大聖人の御遺命に背くゆえの大罰というほかない悲惨さです。

 ちなみに、この真実を受け止めきれない法華講員たちは、「そんなの嘘だ!顕正会のでっち上げだ!」とか、「その看護師の名前や勤務先を明らかにしてみろ!」などと必死に騒ぎ、自身を納得させようとしているようですが、なんとも憐れです。

 冷静に考えればすぐにわかることですが、顕正会には、看護師さんの名前や勤務先といった個人情報を公表する理由は全くありません。

 むしろ、もしこの登壇がウソだとしたら、宗門はとっくに名誉毀損などの裁判を起こしていることでしょう。これまで学会や正信会を相手に、散々裁判をやってきたのですから。しかし、ことこの登壇に関しては、宗門が裁判を起こしたという話は一切聞きません。

 理由は簡単です。登壇内容がすべて「真実」だからです

悪臨終をゴマかすタバカリを破す

 こう書くと、法華講員の中には、こう思われる方々がいるかもしれません。

 「・・・・っ!!もし、仮にですよ!?日顕上人が晩年にそのような御姿だったとしても、大事なのは成仏なんです!日顕上人が亡くなったとき、時ならぬ桜が咲いたり、不思議な雲が出たり、そういう瑞相があったと聞いています!だから成仏されたのは間違いないっ!!

 でも、これって、実は阿部日顕の成仏・不成仏とは何の関係もない事柄なんです。冷静に考えれば、誰でもすぐにわかりそうなことなんですけどね・・・。やっぱり、晩年があまりに悲惨だったので、「なんとか箔付けせねば!」と思ったのかもしれません。

 それでは、具体的に見ていきましょう。

大石寺にある桜の木に花が咲いた?

 まず阿部日顕が死亡した時期に、大石寺にある桜の木に花が咲いたという話について。

 正直、「それが何か??」という感じです。だって、そもそも大聖人は、「故人が成仏したら近くで桜の花が咲く」なんて、一言も仰ってないじゃないですか(笑)

 また、9月に桜の花が咲くことも、それほど珍しいわけではありません。「狂い咲き」と呼ばれる同じ現象が、全国各地で起きています。

参考サイト:2019年 桜返り咲き(狂い咲き)リスト powered by 気まぐれ桜旅

富士山の近くに不思議な雲が出た?

 次に、阿部日顕の密葬の頃に、富士山の近くに不思議な雲が出たという話について。

 これも、「だから何??」という話ですよね(笑)先ほどと同じことですが、大聖人は、「故人が成仏したら、密葬のとき不思議な雲が出る」なんて、やはり一言も仰ってないわけです。

 また、法華講員たちが「不思議な雲」とか「妙相」などと呼んで無邪気にはしゃいでいる雲も、別に、特別「不思議」というわけでもありません。これは「つるし雲」と呼ばれるもので、天候悪化の予兆といわれているようです(笑)

参考サイト:富士山に出現する「笠雲」「つるし雲」天候悪化の予兆

 だいたい、「桜が咲いた」とか、「不思議な雲が出た」といっても、その頃、その付近で死亡したのは、阿部日顕1人だったのでしょうか?そんな保証はどこにもないわけです。

 どこかのインチキな邪教じゃないのですから(笑)、大聖人の御金言と全く関係のない自然現象を捉えて、阿部日顕の命終を箔付けしようとする見え透いたタバカリは、みっともないので慎んだ方が良いでしょう。

阿部日顕が結跏趺坐しているイメージが浮かんで離れない?

 最後に、最近見つけたある法華講員のブログを紹介してみましょう。冒頭に引用した文章を書いた方です。

 この方は、金銭的な事情から、阿部日顕の密葬に参列しなかったそうですが、その数日後、次のような出来事があったと書いています。

 私の脳裏に四六時中、「色白く・柔らかく」の証拠をお示しになられた上、結跏趺坐して「蓮華」の一茎を口に含んでおられる御隠尊猊下のイメージが浮かんで離れず、歓喜・法悦で胸がいっぱいになりました

 ・・・・えーっと。なかなかコメントに困る「不思議」な方ですね(苦笑)。念のため繰り返しますが、この方は「密葬に行っていない」のですが、このような「イメージ」が「脳裏に四六時中」「浮かんで離れ」なかったそうです・・・。

 ちなみに「結跏趺坐(けっかふざ)」とは瞑想する際の座法だそうです。分かりやすくいうと、オウム真理教の麻原彰晃が空中浮遊している、あの格好です(笑)

 このちょっと「不思議」な方が、次のように書いています。

 さて、創価学会・顕正会・正信会や、保田妙本寺、身延派等の「宗外」のみなさんに私がお伝えしたいことがあります。それは「御隠尊猊下が、とある形で、臨終の相についてすでに3年も前に大確信をお述べになっていた」という事実です。

 「一体、何のことやら・・・」と思って読み進めると、その内容は、概ね次のようなものでした。

① 阿部日顕が、平成27年7月16日、「日蓮大聖人御金言義類別入文集」という御金言集の初版を発行している。

② この書籍では、御金言の抜書が項目別にまとめられているところ、そのうちの1つに、「(七八)臨終の相」という項目がある。

③ 以上①②から、次のような結論が導かれる。

 畏れ多い言い方となりますが、もし、猊下がこの時、ご自身の臨終について大確信をお持ちでなければこの「臨終の相」という項目をわざわざこの御金言集の中にもうけられるでしょうか。

 ・・・・えーっと。一体どうしたらそういう結論になるのでしょうか・・・。ちょっと理解に苦しみます。

 そもそも、阿部日顕の臨終3年前に、彼の名義で発行された御金言をまとめた書籍の中に臨終に関する項目があったからといって、どうして彼が「この時、ご自身の臨終について大確信をお持ち」だったことになるのでしょうか。ただ単に、数ある有名な御金言をまとめたらそうなっただけでしょう。

 実際、この方自身も認めているとおり、「臨終の相」という項目は、数ある項目の中の1つにすぎません。「(七)戒壇」とか「(五三)諫暁」とかもあるそうです。そのような項目が1つあったことをもって、先のような結論を導くのは、あまりに無理な牽強付会というべきでしょう。

 ちなみに、先の書籍の「臨終の相」の項目には、次の御金言が収録されているそうです。

1049 人死して後、色の黒きは地獄の業(ごう)と定むる事は仏陀(ぶっだ)の金言ぞかし。善無畏(ぜんむい)三蔵の地獄の業はなに事ぞ。幼少にして位を捨てぬ。第一の道心なり。月氏(がっし)五十余箇国を修行せり。慈悲の余りに漢土にわたれり。天竺・震旦(しんだん)・日本・一閻浮提(いちえんぶだい)の内に真言を伝え鈴をふ(振)る、この人の功徳にあらずや。いかにとして地獄には堕ちけると後生ををも(思)はん人々は御尋ねあるべし。

〔報恩抄[建治二年七月二一日・五五歳]一〇二三ページ〕

p.376

 あれ、これって堕地獄に関する御金言ですよね?(笑)

 そうすると、この御金言を選んで入れたことに関しては、「猊下はこの時、ご自身の臨終について大確信をお持ちだった」というこの法華講員の指摘も、案外、いい線をいっているのかもしれません(爆)

 いかがでしょうか。こうした法華講員たちの記述を見るにつけ、彼ら・彼女らがいかに阿部日顕の臨終を正当化しようと躍起になっているかがよくわかります。

阿部日顕の死相は良かった?=「死に化粧」

 さて、このように書くと、「・・・っ!!で、でもですよっ!?私は日顕上人の密葬に参加したという人から、『日顕上人の相は白かった』と聞いているんです!顕正会だって、成仏したら白くなるって言ってるじゃないですか!?だから、日顕上人は成仏されたんですよっ!!」と思う法華講員の方がいるかもしれません。

 でも、実はこれも阿部日顕が成仏したことを何ら裏付けるものではないんです。なぜなら、たとえ生前の肌色が浅黒くても、「死に化粧」を施せば、たいていは白っぽく見せることができるからです。

 法華講員のみなさん、大聖人が仰せられる「成仏の相」というのは、「死に化粧をして白っぽくすること」ではないんですよ?(笑)これが成仏なら、仏法を実践していないキリスト教徒の婦人なども、死に化粧をして白っぽくすれば成仏できることになってしまいます。

 むしろ、阿部日顕の葬儀に参列した人たちからは、その枯れ枝のようにやせこけた相を見てショックを受けたという声すら出ています。

 ちなみに、顕正会の体験発表で数多く報告される成仏の相は、もちろん、「死に化粧」で白くしたものではありません。「善人は設(たと)い七尺八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる、又軽き事鵞毛の如し、輭(やわらか)なる事兜羅綿(とろめん)の如し」(千日尼御前御返事)との御金言のとおり、臨終の後、自然と色白く、軽く、やわらかくなってくるのです。なんとも有り難いですね。

 この現証については、宗門の一末寺住職が目の当たりにしているようなので、一例として紹介しておきます。

 先日も、金谷106隊長が祖母の臨終について登壇していました。臨終後、家族で唱題回向していくと、「次第に顔は白く、唇は赤く、柔和な相へと変わり、顔のシワもなくなり、髪の毛の根本が徐々に黒くなっていった」そうで、「室内の電灯が反射するほど肌も艶々で、生前より三十歳以上も若返ったのではないかと思えるほど」だったそうです。また、訃報を知って焼香に訪れた宗門末寺「広宣寺」の住職・菊池正聞も、祖母の相を見るなり、開口一番、「おお!本当に凄く良い相ですね!」と感嘆の声を上げ、その後、何も言わずに帰って行ったそうです。

顕正新聞平成31年4月5日号

 いかがでしょうか。これが大聖人の仰せのままに正しい仏道修行に励む顕正会の会員に現れる、本物の「成仏の相」なのです。

宗門の僧侶が「良い相だった」と言っていた?

 「ふん!ワタシは騙されないわよ!!だって、宗門の御僧侶や御身内の方のお話として、日顕上人の臨終の相は『死に化粧』をする前から良かったって聞いたことがあるもの!宗門の御僧侶がウソをつくことなんて、絶対にあり得ないわ!!」と思われた、そこのあなた!

 もしあなたの言うとおり、「宗門僧侶は絶対にウソをつかない」といえるのであれば、その立論も成り立ちうるでしょう。

 では、宗門の僧侶は、絶対にウソをつかないのでしょうか・・・?

 答えは「否」です。

 このことは、宗門末寺が顕正会と裁判になったとき、住職が事実と異なる主張を平然と行い、そのウソを裁判所に否定されてきた事実を見れば明らかです。

 まず栃木県宇都宮市にある宗門末寺「誠諦寺」(住職:大石義忠)との裁判を見てみましょう。この裁判では、誠諦寺が、顕正会を誹謗中傷するビラを作って配布したために、顕正会から名誉毀損の裁判を起こされました。

 ビラには、「誠諦寺」の名称、連絡先、住所が書いてあったにもかかわらず、住職は自らの責任を否定するために、「信徒が勝手にやったこと」とシラを切りました。しかし、実は誠諦寺の法華講幹部(「幹事」)が、「このチラシは誠諦寺で作ったものですから」、「市内には・・・ある程度は配布させて頂いていますね」と発言していたことから、住職のウソがばれてしまいました。結果、住職の責任が認められ、誠諦寺は顕正会に敗訴しました(顕正新聞平成31年2月15日号)。

 次に、埼玉県川越市にある宗門末寺「本種寺」(住職:佐藤日栄)との裁判を見てみましょう。この裁判では、本種寺の信徒たちが、顕正会を誹謗中傷するリーフレットを配布したために、顕正会から名誉毀損の裁判を起こされました。

 このリーフレットにも、やはり「法華講本種寺支部」の名称と住所・連絡先が記載されており、また、当日の様子を撮影したビデオには、本種寺の法華講員が手にリーフレットを持っている様子まで映っていたにもかかわらず、住職は自らの責任を否定するために、「他の寺院の信徒が配ったもの。うちの信徒は見学していただけ」とシラを切りました。

 しかし、このリーフレットを配布するための「道路使用許可証」は、なんと本種寺住職・佐藤日栄自身の名義で取得されていたのです。そのため、ここでも住職のウソがばれ、結局、本種寺はリーフレット配布の責任を負い、顕正会に敗訴しました(顕正新聞令和2年3月5日号)。

 いかがでしょうか。このように宗門の僧侶たちは、現に顕正会との裁判で保身のために平然とウソをついているのです。まして、「本種寺」の住職・佐藤日栄は、貫首に次ぐ地位といわれる「能化」という高位にある役僧です。

 この事実を直視すれば、「御僧侶は絶対にウソをつかない」というあなたの思い込みが、いかに事実に反するものか、おわかり頂けると思います。宗門の僧侶たちは、自らの保身のために、平然とウソをつくことがあるのです。

 そんな僧侶たちが、阿部日顕の浅黒い堕獄の相を、どうして正直に告白するでしょうか。彼らにとっては、およそ無理な注文です。

 ですから、たとえ宗門の僧侶の中に、「『死に化粧』をする前から良い相だった」と喧伝する者がいたとしても、それが真実である保証はどこにもないのです。

阿部日顕が無間地獄に墜ちたことを示す厳然たる「証拠」

 さて、ここまで読んでこられた法華講員の方々は、きっと次のように思われることでしょう。

 「・・・たしかに、宗門の人たちが言っている『桜』や『雲』は、成仏とは関係なさそうです。また、密葬のときに棺ごしに覗いた御顔が白っぽく見えたとしても、死に化粧をしていれば当然かもしれません。宗門の御僧侶方が、顕正会との裁判で事実と異なる主張をし、それが裁判所に否定されてしまったという話も、おそらく本当でしょう。御僧侶がウソをつくなんて、私は信じたくもありませんが・・・。

 でも、でもですよ?日顕上人は、日蓮正宗の管長(トップ)なんですから、地獄に墜ちることなんて、本当にあるのでしょうか・・・?」と。

 その答えは、御本仏・日蓮大聖人の御金言を拝すれば、自ずと明らかです。

 顕立正意抄に宣わく、

 「我(わが)弟子等の中にも信心薄淡(うす)き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず等云々

 つまり、大聖人の弟子であっても、信心うすき者は、臨終のとき阿鼻獄(無間地獄)の相を現ずる、と仰せです。時の管長(貫首)であっても、大聖人の弟子であることに変わりありませんから、大聖人に背き奉るならば無間地獄に墜ちます。

 では、阿部日顕は、どうして無間地獄に墜ちてしまったのでしょうか。それは彼が御遺命違背の大罪を犯したからです。

 まず「道理」を示します。

 日蓮大聖人は、滅後の門下に対し、一期弘法付嘱書・三大秘法抄にお示しの本門戒壇建立を御遺命されました。その一期弘法付嘱書の末文には、「就中我が門弟等此の状を守るべきなり」と御誡め下されています。

 そのため、大聖人一期の御遺命たる本門戒壇の教義を改変し、背き奉る者があれば、すでに大聖人の門弟ではなく、師敵対の逆徒といえます。

 しかるに阿部日顕は、池田大作にへつらって、およそ御遺命の戒壇にはなり得ない偽戒壇・正本堂を指して、「御遺命の戒壇(となる建物)」と偽称し、本門戒壇の教義改変に加担しました。さらに、正本堂が崩壊した後も、御遺命の正義を否定し続けました。

 よって、阿部日顕は、大聖人の門弟ではなく、師敵対の逆徒、御遺命の敵であり、無間地獄に墜つること必定なのです。

 次に、阿部日顕が御遺命に背いた「文証」を示します。

「(正本堂を指して)宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、始めてその実現の大光明を顕わさんとしている」(「大日蓮」昭和42年11月号)

正本堂は現在直ちに一期弘法抄、三大秘法抄に仰せの戒壇ではないが、将来その条件が整ったとき、本門寺の戒壇となる建物で、それを今建てるのである」(「国立戒壇論の誤りについて」昭和47年6月)

 このように、阿部日顕は、正本堂を「御遺命の戒壇(となる建物)」に仕立て上げようとする池田大作にへつらい、これに加担する御遺命違背の悪言を吐いていたのです。

 ちなみに当時、阿部日顕がいかに池田大作にへつらっていたかは、「社会に開いた先生の教学はよくわかります。完璧であると思います」(昭和52年9月2日・学寮会談)等の発言からよくわかります。

 さらに、阿部日顕は、正本堂が崩壊した後も、これを御遺命の戒壇となる建物と褒め称えた2冊の悪書については「言い過ぎやはみ出しがあった」などと言い訳しつつ、昭和40年代から一貫して御遺命の正義を叫び続けて来た顕正会が堅持する国立戒壇に対し、次のような悪言を吐きました。

昭和四十九年八月から十一月にかけて妙信講(注、顕正会の前身)の処分という問題がありました。結局、道理から言っても『国立戒壇』は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて『国立戒壇が間違いだ』と言ったことは正しかったと思っております」(平成16年8月26日・全国教師講習会)

 ちなみに、よく宗門の人たちが勘違い又はたばかっているのは、宗門は単に「国立戒壇」という「名称」を使用しなくなっただけで、その「内容」は一切改変していない、ということです。

 しかし、これは事実と異なります。宗門は、学会の要請に随い、「国立戒壇」の名称使用を禁止するとともに、にわかに建てた正本堂を「御遺命の戒壇(となる建物)」とすることで、御遺命の戒壇の「内容」をも改変したのです。

 一期弘法付嘱書・三大秘法抄を拝せば、御遺命の本門戒壇とは、広宣流布の暁に、「勅宣並びに御教書を申し下して」すなわち国家意志の表明を手続として建立される戒壇であることは明らかであり、だからこそ、歴代先師上人も、広宣流布の暁に国家的に建立する戒壇の実現を叫んでこられたのです。正本堂が、これに当り得ないことは言うまでもありません。

 一方、顕正会が主張する「国立戒壇」の内容は、この富士大石寺の伝統教義のままです。これを改変し、昭和47年に建ててしまった正本堂を「御遺命の戒壇(となる建物)」と讃嘆する学会・宗門に対し、「正本堂は御遺命の戒壇にあらず」「御遺命の戒壇は、広宣流布の暁の国立戒壇ではないか」と諫め続けてきたのです。

 ところが阿部日顕は、平成16年、「国立戒壇論の誤りについて」の中で、昭和47年当時、顕正会が主張していた「国立戒壇」を「間違い」と言ったことは「正しかった」などと放言しました。つまり、阿部日顕は、顕正会だけが堅持してきた大聖人の御遺命の正義を、ここで改めて否定したのです。これでは無間地獄に墜ちざるを得ません。

 いかがでしょうか。このように、阿部日顕が、大聖人一期の御遺命に背き、偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇(となる建物)」と讃嘆して御遺命破壊の大悪に加担したのみならず、正本堂崩壊後もなお、御遺命の正義を否定し続けたことは、以上の文証に明らかです。

 だから、阿部日顕は無間地獄に墜ちてしまったのです。

宗門は御遺命の正義に立ち還らなければいけません

 さて、今回、阿部日顕の悪臨終をゴマかす宗門関係者のタバカリを破すとともに、彼の仏法上の大罪を改めて白日のもとに晒しました。

 これは、決して阿部日顕という人物を個人的に貶めるためではありません。「師は針の如く、弟子は糸の如し」であれば、御遺命に背き続ける宗門に身を置くならば、その人たちもみな悪道に堕してしまいます。ですから、早く悪師を捨て、御遺命の正義に目覚めてほしいとの願いを込めて、今回の記事を書きました。

 日蓮大聖人は、臨終の善悪で仏法の邪正を判ずべきことを、次のように仰せ下されています。

一切は現証には如かず。善無畏・一行が横難・横死、弘法・慈覚が死去の有様、実に正法の行者是くの如くに有るべく候や」(教行証御書)

善無畏三蔵は、乃至、死する時は『黒皮隠々として骨甚だ露わる』と申して、無間地獄の前相を其の死骨に顕わし給いぬ。人死して後色の黒きは地獄に墜つとは一代聖教に定むる所なり」(神国王御書)

眼前の現証あり。乃至、日蓮こそ、念仏者よりも道義房と円智房とは無間地獄の底に墜つべしと申したりしが、此の人々の御臨終はよく候いけるか、いかに」(下種本仏成道御書)

 これらの御金言、そして阿部日顕と宗門(日蓮正宗)の御遺命違背の大罪を真摯に見つめ、一人でも多くの方が御遺命の正義に目覚めることを願ってやみません。

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