一切の御化導が含まれていた立宗の大誓願

「立宗御報恩勤行会」が奉修されました

 4月28日に、「立宗御報恩勤行会」が本部会館で行われました(ごく少数の代表幹部のみが参列したようです)。

 「立宗」というのは、日蓮大聖人がはじめて「南無妙法蓮華経」を唱え出され、弘通を開始されたことをいいます。それが建長5年4月28日でした。

 ですから、顕正会では、毎年4月28日、浅井先生のもと、大聖人の「立宗」を偲び奉り、御報恩のために勤行会を奉修しています。

 いま私たちがこうしてお題目を唱え、幸せになり、一生成仏を遂げさせて頂けるのも、すべては大聖人が建長5年4月28日に「立宗」して下さったからこそと思うと、有難い思いでいっぱいです。

立宗の時の御決意にすべてが含まれている

 「ふーん、そうなんだ。でも、立宗って、一番最初のことでしょう?それって、そんなに大事なことなの?」と思われた、そこのあなた!

 ・・・はい、とっても大事なことなんです!

 なぜかというと、実はこの立宗の時の御決意に、日蓮大聖人のその後の一代30年の御化導も、それから日本に仏法が広まって広宣流布することも、世界に広宣流布することも、さらにはそれが未来永遠にわたって流布していくことも、すべてが含まれていたからなんです。いやはや、なんとも凄いことですね!

 つまり、「立宗」というのは、御本仏・日蓮大聖人の「最初」の御化導であると同時に、その後のすべてを「決定」づけた、とても大事な瞬間だったのです。

 浅井先生の御指導を拝してみましょう。

 建長五年四月二十八日の夜明け、大聖人様はただ御一人、太平洋を一望する房総半島南端の清澄山の頂にお立ちになられた。

 折から、太平洋上からゆらゆらと旭日が昇る。その旭日に向かい、始めて『南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経』と唱え出し給うたのであります。

 その力づよく、荘重にして朗々たる御声は、宇宙法界に響き渡ったのであります。

 まさに三世十方の諸仏の根源たる久遠元初の自受用身末法に出現し、文底深秘の三大秘法を以て全人類をお救い下さる、その御化導の最初が、この立宗であられたのです。

 まことに、日本および全世界の一切衆生を仏に成さんと、不退の大誓願を胸に懐かれ、旭日に照らされて金色に輝く大聖人様の御尊容を偲び奉れば、ただひれ伏して合掌するのみであります。(中略)

 そして、立宗の時の御決意の中に、その後の一代三十年の御化導も、日本の広宣流布も、全世界の広宣流布も、さらには万年の外尽未来際までの流布も、すべてが含まれているのです。

顕正新聞令和2年4月25日号より

 いかがでしょうか。大聖人の立宗における荘厳な御尊容、そして、その崇高な御決意。有難さと御報恩の思いが胸の奥から込み上げます。

立宗の御決意がいかに堅固であられたか

 では、どうして「立宗」の時の御決意に、その後のすべてが含まれているといえるのでしょうか。

 それは、誰人も背けぬ絶大威徳まします御本仏・日蓮大聖人が、立宗のときに、何があっても崩れない、金剛のごとき不退の大誓願をお立てになられたからです。御本仏が一たびこの大誓願をお立てになった以上、いかなる大難も、迫害も、御本仏の御化導を妨げることはできません。春の後に夏が来るように、必ず事実となるのです。

 まず立宗の時の大誓願を拝してみましょう。

 大聖人は、この大誓願について、「日本国に此れを知れる者、但日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠・国主の王難必ず来たるべし、いわずば慈悲なきににたり・・・今度、強盛の菩提心ををこして退転せじと願じぬ」と仰せられています。

 浅井先生は、「これが、大聖人様の立宗における御決意であられた。まさに、身命に及ぶ大難ありとも退転せじとの、金剛のごとき大誓願をここに拝する」と指導くださいました。

 その後、大聖人の御身には、命に及ぶ大難が波のように襲ってきます。数千人の暴徒に夜討ちされたり、理不尽な流罪を受けたり、数百人の軍勢に襲撃され、刀で切られ、左手を打ち折られたり・・・。もちろん、国中からの憎悪と悪口、石や瓦を投げつけられる等の難は数え切れません。想像するだけで、何と恐れ多いことをしたのかと身震いします。

 さらに、ついには竜の口の刑場で死罪が行われ、引き続き、佐渡へ流罪となりました。当時の佐渡は寒冷期で、極寒でした。住まいは、すき間だらけのあばら屋。床には雪が降り積もり、寒を防ぐは蓑(みの)一枚。食糧も乏しい。その上、「今日切る、明日切る」といわれるように、いつ殺されるかもわからない状況でした。鎌倉に帰ることも絶望的です。ふつうに考えたら、もはや一巻の終わり、ただ絶望しかありません。

 しかし、大聖人は、そのような佐渡の雪中において、何と仰せられたでしょうか。開目抄には、「詮ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん。乃至、本、願を立つ。乃至、父母の頸を刎ねん念仏申さずば、なんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用いじとなり。其の外の大難風の前の塵なるべし。我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等と誓いし願、やぶるべからず」と。

 なんと大聖人は、このような絶体絶命の状況の中で、「立宗のときに誓った全人類救済の大願は断じて破らず」と師子吼あそばされたのです。なんと凄い仏様でしょうか。

 浅井先生は、次のように指導くだされています。

 まさに圧倒的なこの御気魄、金剛のごとき御決意。この御文を拝したとき、我ら凡夫は、ただ五体が大地にめり込むをおぼえるのみであります。

 日寛上人はこの御文について

 「一たび此の文を拝せば・・・涙数々(しばしば)降る。後代の弟子等、当に心腑に染むべし」・・・と仰せであります。

 この御聖文における

 「本、願を立つ」とは、立宗の時の大誓願です。

 また

 「誓いし願、やぶるべからず」とは、立宗の時に誓った願は断じてやぶらず―との御決意であられる。

 このように、立宗における大誓願の中に、その後の一代三十年の御化導が含まれている。いかに立宗における大誓願が重大であられるか、深く拝すべきです。

顕正新聞令和2年4月25日号より

 これが末法の全人類をお救い下さる御本仏の崇高な御心地です。なんと有難いことでしょうか。

日本と世界の広宣流布も立宗の大誓願の中に

 さらに、立宗の大誓願は、一代三十年の御化導にとどまりません。未来日本国の広宣流布も、世界の広宣流布も、末法万年尽未来際までの流布も、すべては立宗の大誓願の中に含まれているのです。

 このことは、報恩抄の仰せに明らかです。浅井先生の御指導を拝してみましょう。

 いいですか。「日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」と仰せの中の「漢土」とは中国、「月氏」とはインド、「一閻浮提」とは全世界のことです。

 ゆえに御文の意は                                                                  

 日本、さらに中国・インド・全世界に「人ごとに有智・無智をきらはず」わかろうとわかるまいと、すべての人々が一切の邪法を捨てて南無妙法蓮華経と唱えるようになる―。

 すなわち地球上の全人類が一同に「本門戒壇の大御本尊」を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉るようになる。これが大聖人様の御予言・御断言であります。

 さらに

 「日蓮が慈悲昿大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」とは、時間に約して、南無妙法蓮華経の唱えは末法万年の外尽未来際まで流れる―との御予言です。

 まさに空間に約しては全世界、時間に約しては未来永遠、これが久遠元初の自受用身・日蓮大聖人の広大なる御化導なのです。そしてこの大利益は、ただ日蓮大聖人の昿大なる慈悲のお力によるのであります。

顕正新聞令和2年4月25日号より

 いかがでしょうか。なんとも広大なスケールの御化導ですね。御本仏・日蓮大聖人の広大なる慈悲のお力によって、日本の広宣流布も、世界の広宣流布も、未来永遠の流布も、すべてが事実となるのです。

広宣流布はいよいよ近い

 このように必ず事実となる広宣流布。それは「いつ」かについて、浅井先生は、大悪大善御書を引いて、「その大事な日本の広宣流布は、いよいよ近きにありと、私は確信しております」と指導くださいました。

 大聖人が「大事には小瑞なし、大悪起これば大善来る」と仰せられているように、御本仏の御遺命が成就するほどの大事には、小さな瑞相などではなく、大悪こそがその前相となります。大悪が起これば大善が来ると仰せです。その大悪が、ついにいま起きたのです。

 浅井先生は、次のように指導くだされています。

 いいですか。日興上人・日目上人以来七百年、正系門家・富士大石寺はただ大聖人様の御遺命のままに、広宣流布・国立戒壇建立だけを唯一の宿願として来た。

 しかるに今、第六天の魔王にたぶらかされて、学会・宗門は共に国立戒壇を否定してしまった。そのうえ学会は「戒壇の大御本尊は受持の対象にはしない」などと嘯き、宗門は大御本尊を営利の具として、法華講員にノルマを課して登山を強要し、御開扉料稼ぎに狂奔している。大聖人様の御意に背くことこの上ない。

 まさに七百年来かつてない大悪がいま起きたのです。どうして広宣流布の大善が到来しないわけがありましょうか

この大事な時に御奉公できるとは、顕正会は何たる宿縁か

顕正新聞令和2年4月25日号より

 私もこの大事な時に御奉公できる有難さを噛みしめ、戒壇の大御本尊様が国立戒壇に御出ましあそばすその日まで、御奉公を貫いていきたいと思います!