顕正会が宗門末寺「本種寺」と「誠諦寺」に全面勝訴‼

大聖人仰せのままの信心、仰せのとおりの功徳

大聖人仰せのままの信心、仰せのとおりの功徳

健気な信心を貫いた同志の良き臨終

 3月度総幹部会で、とても有難い登壇がありました。

 昭和36年に妙信講(顕正会の前身)に入信し、一筋の信心を貫かれた班長が、素晴らしい成仏の相で臨終を遂げた、というものでした。

 その健気な信心には本当に頭の下がる思いとなり、その一言一言が何と重いことかと胸を打たれました。

 浅井先生は、この中村弘一班長のことについて、次のように仰せ下さいました。

中村弘一班長のこと

 きょうの総幹部会は、一人ひとりの熱烈なる信心が迸り、私は涙の出るような思いで聞いておりました。

 その中で中村弘一君の臨終について、男子部の村上豪利支隊長から発表がありました。

 中村君は昭和三十六年の入信だと先ほど聞きました。当時、顕正会は発足からまだ四年後で、会員は三千名にも至らなかったので、私は一人ひとり、よく憶えております。

 中村弘一君は夫婦ともに純信な信心を貫き、当時、男子部の幹部として一筋に戦ってくれました。

 きょう始めて、亡くなったと聞きました。その良き臨終を聞いて、何とも有難く、涙が出てまいりました。

 大聖人様の仰せのままの信心をすれば、必ず仰せのとおりの臨終を遂げることができるのです。

 顕正会はただ大聖人様の仰せのままの信心を貫いて来た。顕正会が恐れるのは、大聖人様の御眼だけだった。

 だから御守護を頂き、みな功徳を頂いているのです。

 いいですか。いま学会も宗門もみな功徳を失っている。なぜか、みな大聖人様を忘れているからです。

 そうでしょ。

 学会は選挙だけが目的。そして宗門は職業僧侶ばかり。だから学会にへつらって御遺命の国立戒壇を捨てた。

 共に大聖人様を全く忘れているのです。

 顕正会は大聖人様の御眼だけを恐れて御奉公を貫いてきた。そして全会員は大聖人様を恋慕渇仰して勤行に励んでいる。だから唱え奉るお題目は大聖人様に通じ、戒壇の大御本尊に通じ、大功徳が頂けるのです。

 その証拠として、中村弘一君が昭和三十六年以来、退転なく信心を貫いて、今、良い臨終を遂げた。このことを聞き、改めて私は有難さを感じた次第であります。

顕正新聞令和2年4月5日号

 いかがでしょうか。大聖人の仰せのままの信心をすれば、必ず仰せのとおりの臨終、成仏を遂げることができるのです。何と有難いことでしょうか。

 また私自身、浅井先生の会員一人ひとりを思われる温かな御心を感じては、思わず涙があふれてきました。

 いま学会・宗門が大聖人の御遺命に背き、ことごとく師敵対に陥る中に、浅井先生のもと、大聖人仰せのままの信心をして、仰せのとおりの功徳を頂き、一生のうちに無上の仏果を得させて頂ける顕正会員の立場は、何と有難いことでしょうか。

 この有難さを胸に、広宣流布の決戦場たる20年代、いよいよ加速度つけた折伏で、広宣流布のお手伝いをしていきたいと思います!

中村班長の健気な信心と良き臨終

 最後に、中村班長の健気な信心と良き臨終を発表した登壇を掲載したいと思います。私も顕正会員として、このような一筋の信心を貫いていきたいと決意をあらたにするものです。

59年間、真心のご奉公貫いた中村班長

証券業界で一人立ち、多くの人を導く

男子部第70隊支隊長(首都圏) 村上豪利

 このたび、支隊で最古参の中村弘一班長が八八歳で臨終を迎え、その素晴らしい臨終の相に、御本尊様絶対の確信を一重深く命に刻ませて頂きました。

昭和36年に入信

 中村班長は昭和三六年に入信し、後日に開催された男子部幹部会に参加した折、幹部会終了後に、当時、青年部長であられた浅井先生から直接励まして頂いたことを機に信心の大事をつかみ、入信してから六〇年近く、倦まず弛まずのけなげな信心を貫いてまいりました。

 入信当初は、文京区音羽の先生のご自宅で集会が開催されており、あるとき中村班長が集会中に目眩で倒れ、気づくと隣の部屋で寝かされていたそうで、その際、浅井先生御自ら看病して下さったことに、たいへん驚いたことを教えてくれました。

 このとき、会員一人ひとりを大事に思われる浅井先生のご慈愛を強く感じては、先生に師事させて頂けた有難さを噛みしめたものであります。

証券業界で「一人立つ」の信心

 班長は、若いころは証券会社に勤務し、周わりの同僚が遊び歩く中にも、三毒に流されることなく「一人立つ」の信心で御奉公に励み、「入信した人たちが自ら勤行できるようになるまでは、紹介者の責任」と、いつも後輩の信心を励まし続けてきました

 ことに、何度励ましても全く無反応だった人が、その後、支部長になって御奉公するまでになったことや、当時、証券界で飛ぶ鳥を落とす勢いだった人を折伏し、最初は大反発され塩をまかれたりする中にも、三年半通いつめていくとその人に罰が現れてついに入信し、その後、顕正会の大幹部になったことなどを通し、こちらが諦めさえしなければ、いかなる者も御本尊様の賞罰により必ず立ってくることを、班長はよく語ってくれました。

 また証券業界で倒産・リストラが相次いだ時にも、中村班長自身、御本尊様から格別の御守護を頂いたことを通し、「信心には絶対に無駄や犠牲がない」との大確信をつねに口にしておりました。

退職後もご奉公を貫く

 退職後は、シルバー人材派遣で知り合った人たちを次々と折伏し、同じ高齢者に対して「成仏させて頂かなければ何も意味がない」と、人生の目的と臨終の大事を明るく語っていた姿は、今でも瞼に灼き付いております。

 また「戦いを遅らせたら浅井先生に申しわけない」とつねに口癖のように語っては、毎法戦、二名・三名と折伏の証拠に顕わし、入信者の家を訪ねては勤行の大事を熱く語り、毎回のビデオ放映にも十名前後の結集をなし、支隊の先陣を切る戦いをなしてまいりました。

「肝細胞癌」見つかる

 ところが数年前より、高血圧や前立腺肥大による体調不良で入退院を繰り返すようになり、二年前に精密検査を行ったところ、「肝細胞癌」が見つかったのでした。

 治療のため一時入院いたしましたが、退院後に語り合った際には、癌患者とは思えぬほど声に張りがあり、顔色もよく、痛みも全くないことを聞いては、御本尊様のお力とは何と凄いのかと驚嘆するばかりでありました。

 そして「『折伏』の二文字を忘れたことはない」と、退院後すぐさま、同じマンションの住人を次々と折伏していく班長のけなげな信心には、頭が下がるばかりでありました。

「余命二週間」

 本年二月始めに再入院となり、そのときに医師より「余命二週間」との宣告を受けました。

 しかし班長の生命力は凄まじく、モルヒネ等の痛み止めを全く必要とせず、看護師から「中村さんの病室から毎日、勤行の声が聞こえる」と聞いては、臨終の夕べまで恋慕渇仰の遥拝勤行を実践していた班長の信心に胸が詰まり「たとえ地球が壊われるようなことがあろうとも、大聖人様への信心は微動もしない」「遥拝勤行こそ忠誠の証」との浅井先生の仰せが身に迫りました。

美事な臨終

 班長は臨終を迎えた日も、日中は穏やかに過ごしておりました。

 夜に容体が変わったので娘さんが駆け付けると、癌患者の臨終に見るような苦しみは一切なく、娘さんに看取られつつ、眠るように静かに息を引き取りました。

 葬儀は顕正会儀礼室で行って頂きました。

 私も参列させて頂きましたが、臨終の相は色白く、シミや皺が一切なく、生前よりも精悍で若々しく、まさに御金言どおりの美事な相でありました

大感動の葬儀

 第七〇隊の同志をはじめ、古参の幹部、また若いころに中村班長に世話になった人などが駆けつけました。

 厳かな雰囲気の中に響く力強い同志の真心の勤行・唱題の声には、最後、中村班長の成仏だけを願う一人ひとりの心がヒシヒシと伝わり、顕正会員の麗しい団結に、熱きものが込み上げてまいりました。

 そして浅井先生の「『良き臨終を遂げた』という報告を私はよく聞くが、そのたびにいつも有難さが込み上げてくる。私はその報告を、いい加減な気持ちで聞いたことがない」との仰せが思い起こされ、浅井先生の下、大聖人様の御心のまま正しく仏道修行させて頂ける、我が身の宿縁の有難さを改めて痛感したものであります。

 出棺の折には、遺体はさらに柔らかくなり、頬は赤みを帯びて、微笑んでいるかのような相になり、大聖人様がお迎えに来て下さったことを実感しては、凡夫を仏にして下さる大聖人様の大慈大悲・絶大威徳を命に刻ませて頂きました

 されば、本日頂く浅井先生のご指導を命に刻み、中村班長の分まで御報恩の戦いをなし、断じて浅井先生にお応えしてまいる決意であります。

顕正新聞令和2年4月5日号

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