池田大作のゴルフ事情

池田大作のキャディ現わる

 顕正新聞2月15日号を読んでいたら、おもしろい登壇が載っていました。なんとあの創価学会・池田大作のゴルフキャディをしたことがある方の話が出ていたのです(笑)

 池田大作といえば、日蓮大聖人一期の御遺命たる国立戒壇を否定し、偽戒壇・正本堂の誑惑を企てた主犯です。この仏法上の大悪人・池田大作が、ゴルフ場で見せた〝素顔〟とは・・・?

 婦人部高崎支区部長の登壇を見てみましょう。

「あら池田さん、懐かしいわねぇ」

 先日、同志とともに(基礎教学書)第九章を拝読していると、昨年十一月に入信した人が、昭和四十二年の正本堂発願式で「発誓願文」を読み上げる池田大作の写真を見て、「あら池田さん、懐かしいわねぇ」と言い出したのです。

 この人は元学会員ではありませんが、聞けば、かつて名門といわれている小金井カントリー倶楽部にキャディとして勤めており、そこにたびたびゴルフをしに来ていた池田大作のキャディに付いたことがあった、と言うのです。

 池田大作はいつも、明け方のまだ暗いうちからやって来て、厳(いか)ついSPが遠巻きに見守るなか一人でプレーし、キャディの間では「池田さんまた来たよ、誰が付く?」と煙たがられていたそうです。また、時々くれるチップは二千円で、誰よりも少なかったと言っていました(笑)。

 池田大作は、ステイタスとされる名門ゴルフクラブの会員になりたかったようですが、いつも威張っていてボールを二個も三個も持って打ち直し、マナーやルールを守らない品性の無さから、会員になることは許されなかったようでした。

 田中角栄でさえ、総理大臣になる前は審査で落とされていたと聞いては、国内随一の名門クラブが求めるものは、金力でも権力でもなく品性・品格なのだと、思わず笑ってしまいました。正本堂を「御遺命の戒壇」と信じた学会員の血のにじむ痛ましき供養・三百数十億円を手にしても、品性ばかりはおカネで買うことはできなかったのです

 また池田大作のキャディに付いた時、その日は歩き方がとてもおかしかったので、体を心配して「池田さん、きょうはこれで終わりにしましょう」と声をかけてフロントに連絡し、常駐する看護師を呼ぶと、池田大作は驚くほど血圧が高く、他にも異状が見られ、すぐに救急搬送されたことがあったそうです。

 このとき上司から「あの人はもうゴルフはできないだろう。このことは誰にも言うなよ」と言われ、退職後にかつての同僚からも「あれ以来、来てないよ」と聞かされていたので、「亡くなったんだと思っていたわ」と言い、第九章・第十章を学んでは「へー、池田さんは裏ではこんなことをやっていたんだ」と驚いておりました。

 この話を聞いては、広宣流布など微塵も思っていなかった御遺命破壊の元凶・池田大作の、身勝手な日常を垣間見た思いになり、呆れるばかりでした。

 池田大作が金力で貫首を籠絡することはできても、金剛不壊の広宣流布・国立戒壇の御遺命を破壊できるわけもなく、お命かけて御遺命を守り抜かれた先生の「御遺命成就の戦い」に、闘志がみなぎります。

顕正新聞令和2年2月15日号

 いかがでしょうか。まるでそのときの光景が目に浮かぶようで、思わず笑ってしまいました。それにしても、「正本堂を『御遺命の戒壇』と信じた学会員の血のにじむ痛ましき供養・三百数十億円を手にしても、品性ばかりはおカネで買うことはできなかったのです」との支区部長の一言は、なんとも痛烈ですね(笑)

 この池田大作もすでに「生ける屍」となり、もう長いこと公の席に姿を見せていません。

 また、池田大作にへつらって国立戒壇の御遺命を売り渡した細井日達は、大事の御相承もなしえず急死して堕獄の相を現じ、次の阿部日顕も40年以上にわたって「詐称法主」との嘲りを受け続け、長き病苦の末、昨年9月20日、浅井先生の直諫からわずか58日目にして命終、宗門から消滅しました。

 何より、学会・宗門が一体になって「御遺命の戒壇(となる建物)」と讃嘆した偽戒壇・正本堂は、わずか26年で崩壊してしまいました。まさに「大陣すでに破れぬ」ですね。

 ここに浅井先生は、「かくて第六天の魔王が企んだ五十有余年にわたる御遺命破壊の謀りも、ようやく最終章を迎えた」と仰せられています。

 いよいよ大確信に立って、広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!