本年の2つの意義(1)

 もうすぐ今年も終わりですね。

 先日、12月度総幹部会のビデオ放映に参加させて頂き、大感激でした。そして、気がついたらもう12月も終わり!1年が経つのは本当に早いなぁと驚くばかりです。

本年の意義

 総幹部会において浅井先生は、本年(令和元年)の2つの意義について指導くださいました。

 1つは、御遺命守護の戦いがようやく最終章に至ったということ。

 もう1つは、「広告文と遥拝勤行で広宣流布は成る」の確信がいよいよ全顕正会にみなぎって来た、ということです。

 先生が前々から見つめてこられた20年代を眼前にして、この2つの大事が成し遂げられたことには、大聖人のお力により時代が大きく動いていることを感じ、感激でいっぱいです。

 今回の記事では、1つめの「御遺命守護の戦いがようやく最終章に至ったこと」について書いてみたいと思います。

御遺命守護の戦いがいよいよ最終章に至ったこと

 それにしても、本年の戦いは凄まじかったですね!

 御遺命破壊に加担した阿部日顕は、平成17年に浅井先生との公開対決から逃げ、猊座を退いた後も、早瀬管長のうしろで院政を布いていました。そして本年2月、なんと15年も前に先生から破折し尽くされた講義録を改めて発刊したのです。この「近現代における戒壇問題の経緯と真義」という本では、都合の悪い部分はズタズタに削除したものの、あの大謗法の悪言だけはそのまま掲載しました。

 その悪言とは、「道理から言っても『国立戒壇』は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて『国立戒壇が間違いだ』と言ったことは正しかった」というものです。

 すでに正本堂が崩壊したにもかかわらず、国立戒壇の否定だけは譲れない―。まるで聞き分けのない駄々っ子のような見苦しさですが、これこそ阿部日顕の執念だったのです。

 そこに、浅井先生は、本年3月の総幹部会から連々として御遺命破壊のたばかりを責め続けられ、7月には早瀬管長に対し、阿部日顕の宗門追放と国立戒壇の正義宣揚を直諫されました。

 すると、なんということでしょう!それからわずか58日後に阿部日顕が命終し、正系門家から消えてしまったのです。浅井先生は、「大聖人様が宗門追放して下さったのであると、私はひれ伏して拝している」と仰せられました。

 ここに、宗門(日蓮正宗)は大きな転換期を迎えたのです。

 700年来、国立戒壇建立を唯一の宿願・悲願としてきた宗門は、第六天の魔王が身に入った池田大作と、これにへつらう細井日達・阿部日顕という2人の貫首によって、偽戒壇・正本堂を御遺命の戒壇といつわり、長年にわたって全宗門僧俗を誑かしてきました。

 しかし、その偽戒壇・正本堂は平成10年に崩壊し、御遺命破壊を推し進めた池田、細井、阿部の3人もことごとく亡び、宗門から消えてしまったのです。まさに「大陣すでに破れぬ」(四条抄)との大聖人の仰せを実感とするばかりです。

 あとは「余党は物のかずならず」ですから、御遺命破壊の「残党」たちもまもなく消滅していくことでしょう。

 ここに浅井先生の過去六十数年にわたる激闘がついに最終章を迎えたのだと思うと、顕正会員として、感無量です。

 浅井先生は、総幹部会の席上、かく叫ばれました。

 いいですか。第六天の魔王は日蓮大聖人の御遺命を破壊せんとして、まず最高権力者・池田大作の身に入り、次いで絶対権威の2人の貫首をも誑かした。

 だが、誰人が御本仏の御遺命を破壊することができようか。広宣流布・国立戒壇建立の仏勅は、金剛不壊であります。

顕正新聞令和2年1月5日号

 いま偽戒壇・正本堂が崩壊し、この大悪に加担した者たちがことごとく亡ぶ姿を見れば、浅井先生が貫かれた一筋の御遺命守護の戦いこそ、大聖人の御心に叶い奉るものであったことは誰の目にも明らかです。

 功徳なき学会・宗門の折伏が進まないのも、御遺命に背いたゆえに、広宣流布を進める資格も力も失った姿と思わずにはいられません。

 そこに、大聖人に一筋の忠誠を貫かれ、御心のままの御奉公を貫かれる浅井先生のもと、遥拝勤行で大功徳を頂きながら、御遺命成就の戦いのお手伝いが叶うことは、なんと有難いことでしょうか。

 「舞をも舞う」大歓喜で、明年の決戦場に御供させて頂きたいと思います!