道念も節操もなかった2人の貫首

あっちについたりこっちについたり・・・

 「猊下様絶対☆ロボット」こと法華講員たちと話をすると、感じることがあります。それは、彼らは「時の法主」の言うことは絶対と「洗脳」されているということです。時の貫首がシロといえばシロ、クロといえばクロになります。いやはや、これだけ科学が発達した現代の日本において、これほど「洗脳」された人々が未だにいるとはオドロキです。

 そして、彼らには、「大聖人の御眼を恐れる」という信心は微塵もありません。ですから、「時の貫首」が大聖人の御遺命に背いてしまったにもかかわらず、これを何とも思わず、ともに無間地獄へ堕ちていくのです。なんとも不憫ですね。

 そこで、今回は、「猊下様絶対☆ロボット」の目を覚まさせるために、大聖人の御遺命に背いた2人の貫首が、あっちについたりこっちについたりしてきた軌跡を見てみたいと思います。

細井日達の無節操

 まず第66世・細井日達について見てみましょう。

 細井日達は、始めは池田大作のたばかりに同意したのです。「正本堂を御遺命の戒壇とする」という謀りを了承したのです。だからこそ池田は、昭和四十二年の正本堂建立発願式において、導師席の細井の面前で堂々と

 「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千余年、史上空前の偉業なり

 等と、まことに大それた「発誓願文」を読み上げたのです。この時、すでに細井は大事の御遺命を池田大作に売り渡していたのであります。

 ところが、第一回諫暁書直後の昭和四十五年四月三日、私を本山に招いた。そして対論した折には、問い詰められてついに「正本堂は御遺命の戒壇ではない」「御遺命の戒壇は国立戒壇である」と本心を吐露したのです。

 その後、細井日達は池田大作に二つの箍を嵌められたが、池田が経済封鎖するに及んではこれに反発し

 「もし学会が来なくて、こっちの生活が立たないというのなら…

 などとみっともない言葉を全僧侶に伝え、それより学会と宗門が大抗争に陥った。そして、その大抗争の最中に、細井日達は急死を遂げたのであります。

「御遺命守護」特集号7

 いやはや、会社帰りのほろ酔いサラリーマンも顔負けの千鳥足ぶりですね(笑)

阿部日顕の無節操

 次に、第67世・阿部日顕について見てみましょう。

 また阿部日顕は、池田にへつらって二冊の悪書を著わした。

 その諂いぶりは、学会本部総会において「池田先生こそ、三大秘法抄に説かれている『有徳王』そのものの御方であります」などと、聞くも恥ずかしい祝辞を述べるほどであった。

 ところが「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」と題する平成二年の諫暁書で、己の身が保たぬことを知って池田を裏切ってからは、「修羅と悪竜の合戦」を演じ、その後の「反学会闘争」では、何としても学会を潰そうとして、ついには、身延派に戒壇の大御本尊を攻撃することを嗾けた大謗法の山崎正友とも、結託するに至ったのであります。

「御遺命守護」特集号7

 これはもう、ほろ酔いサラリーマンというよりも、名利を求める確信犯という感じです。何とも醜い限りですね。

二人は共に大聖人を忘れていた

 いかがでしょうか。これが法華講員の人たちが「猊下様絶対!」と仰ぐ2人の貫首のウソ偽りのない姿です。このように時の情勢におもねてフラフラした人たちの言うことを「絶対」と盲信し、大聖人の御遺命に背いていては、入阿鼻獄は避けられません。

 では、なぜこの2人は、これほどまでにフラフラしたのでしょうか。浅井先生のご指導を拝してみましょう。

 どうです。この二人の、ある時は池田にへつらい、ある時は裏切るという無節操ぶり。彼らは己の名利と利害しか眼中になかったのです。彼らは大聖人様を忘れていた。大聖人の御眼を恐れる道念がなかったのです。

 だからこのように、あっちに付いたり、こっちに付いたりとフラフラしたのです。

 顕正会は一貫不変であります。ブレたことは一度もない。それは、常に大聖人様を見つめ奉り、その御命令を信心の耳で聞き奉っているゆえであります。

 そして今、昭和四十五年の最初の諫暁以来長きにわたった御遺命守護の戦いも、大聖人様のお力により、ようやく最終段階を迎えんとしているのです。

 見てごらんなさい。

 国立戒壇を否定するために建てた偽戒壇・正本堂は、すでに消滅してしまったではないか。また御遺命破壊の悪事に加わった五人も、ことごとく亡び、あるいは亡びんとしている。

「御遺命守護」特集号7

 

(右から)池田大作、細井日達、阿部日顕

 いかがでしょうか。まさに細井日達、阿部日顕の2人は、大聖人の御眼を恐る道念がなかったために、池田大作にへつらい、御遺命に背いてしまったのです。その結果、ついに入阿鼻獄となってしまいました。

 「常に大聖人様を見つめ奉り、その御命令を信心の耳で聞き奉っている」のは、浅井先生率いる顕正会以外にはありません。だからこそ、大聖人の御守護を賜り、顕正会には功徳の歓喜が満ち、学会・宗門を遥かに凌ぐ熱烈な弘通がなされているのです。

 法華講員たちは、そろそろ法主絶対論という「洗脳」から目覚め、「猊下様絶対☆ロボット」を卒業しなければなりません。