「国立戒壇」の四文字に込められた意味

未だに「国立戒壇」を否定する宗門

 法華講の人と御遺命の戒壇について話をすると、よく「『国立戒壇』は田中智学が言い出したんだ!」とか、「『国立』っていうのは、国が設立し管理すること!そんなことしたら、イザというとき戒壇の大御本尊をお護りできない!」という意見を耳にします。

 「でも、歴代上人も『国立戒壇』って堂々と仰ってましたよね?」と聞き返すと、「いや、それは・・・」と言葉を詰まらせる方が多いのですが(笑)

 おさらいですが、第65世・日淳上人の頃までは、宗門ではみな御遺命の戒壇を「国立戒壇」と呼んでいました。学会も宗門も顕正会も、みな「国立戒壇」の実現を目指していたのです。

 ところが、学会が選挙のために「国立戒壇」を否定し、宗門がこれにへつらい同調した結果、無残にも「国立戒壇」の名称も意義も否定され、偽戒壇・正本堂を御遺命の戒壇と偽る大誑惑がまかり通ってしまったのです。まさに第六天の魔王の働きですね。

 このとき、「正本堂は御遺命の戒壇ではない」「大聖人一期の御遺命は、広宣流布の暁に、『勅宣並びに御教書』すなわち国家意志の表明を以て、富士山天生原に建立される国立戒壇である」として諫暁に立ち上がられたのは、浅井先生ただお一人でした。

 そして、平成10年、ついに偽戒壇・正本堂は崩壊し、平成16年、阿部日顕は全国教師講習会において、正本堂を「御遺命の戒壇になる建物」と偽った2冊の悪書について、「言い過ぎやはみ出しがあった」と告白、自らの誤りを認めました。つまり、宗門が間違っていて、浅井先生が正しかったことを認めたのです。

 そうすると、フツウに考えたら、「御遺命の戒壇は『国立戒壇』でした」となりますよね?だって、「国立戒壇」の名称と意義を否定した理由は、偽戒壇・正本堂を御遺命の戒壇と偽るためだったのですから。

 ところが、阿部日顕はこの講習会において、驚くべき大謗法の悪言を吐いたのです。

結局、道理から言っても国立戒壇は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて、『国立戒壇が間違いだ』と言ったことは正しかった」と。

 なんという無慙無愧でしょうか。もはや聞き分けのないダダっ子のようなハレンチぶりですね。

 こうして宗門は、未だに御遺命の「国立戒壇」を否定したままでいるのです。だから御遺命違背というのです。

 ここまで書いても、「法主絶対論」で洗脳された法華講員たちは、きっと「でも、顕正会がいう国立戒壇は間違いだ!」と反抗することでしょう。そして、宗門に吹き込まれた邪義を鵜呑みにし、顕正会を誹謗するのです。

 では、顕正会がいう「国立戒壇」とは、一体どのような意味なのでしょうか。はたして宗門がいうように「国が設立し、管理すること」という意味なのでしょうか。

 浅井先生のご指導を拝してみましょう。

御遺命の戒壇とは

 いいですか。御遺命の戒壇とはどういうものかといえば―

 三大秘法抄には次のごとく仰せ下されている。

 「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して・・・」と。

 この御意は

 広宣流布の暁に、天皇・大臣も一同に三大秘法を持ち、身命も惜しまぬという信心に立った時、「勅宣・御教書」すなわち仏法を守護し奉るとの国家意志の表明を手続として、富士山天生原に建てられる戒壇であります。

 そしてこの三大秘法抄の御文を要言すなわち肝要部分を要約すれば、一期弘法付嘱書の

 「国主此の法を立てらるれば

 との御文になり、さらにこの御文を約言、つづめて言えば、「国立戒壇」になるのです。

 もう一度言います。三大秘法抄の御文を要言すれば御付嘱状の御文になり、さらにそれを約言すれば「国立戒壇」になるということです。

顕正新聞「御遺命守護」特集号7
一期弘法付嘱書

 いかがでしょうか。まさに「国立戒壇」とは、三大秘法抄・一期弘法付嘱書に御遺命された戒壇を、要言し、約言したものなのです。

 「国立戒壇」の四文字に、なんと甚深の意味が含まれていることか―。感激でいっぱいです!

 こうしてみると、歴代上人が「国立戒壇」という名称をお使いになった理由がよくわかりますね。歴代上人は、田中智学の口真似をしたわけでも、「国が設立し、管理する戒壇」を目指していたわけでもありません。

 まさしく三大秘法抄・一期弘法付嘱書に御遺命された戒壇の義を端的にあらわす言葉として、御自らのご判断で「国立戒壇」と仰せられたのです。

 そこに、偽戒壇・正本堂の誑惑をいささかも懺悔せず、未だに「道理から言っても国立戒壇は間違い」などとうそぶく宗門の罪の深さはいかばかりか。「常住此説法」の御本仏・日蓮大聖人の御目をこそ恐れなくてはなりません。

歴代上人のご指南

 最後に、「国立戒壇」を叫ばれた歴代上人の凛たるご指南を拝し、筆を擱きたいと思います。功徳を失い入阿鼻獄となる宗門僧俗、そして日本の安泰のために、宗門が一日も早く御遺命違背の大罪を改悔し、国立戒壇の正義を宣揚することを願って。

〇第59世・日亨上人

宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華11号)

〇第64世・日昇上人

国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)

〇第65世・日淳上人

蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(日淳上人全集)

大聖人は、広く此の妙法が受持されまして国家的に戒壇が建立せられる。その戒壇を本門戒壇と仰せられましたことは、三大秘法抄によって明白であります」(日蓮大聖人の教義)

 ちなみに、「国立戒壇」についてもう少し詳しく知りたい方は、こちらの記事(「国立戒壇」とは)をご覧ください。