「御遺命守護」特集号6が出来しました!

大聖人の御裁断下る

 冨士大石寺顕正会の令和元年9月度総幹部会を特集した顕正新聞10月5日号が、「御遺命守護」特集号6として出来しました!

 御遺命破壊の大悪に加担した5悪人の1人、阿部日顕が死亡した直後の総幹部会でもあれば、浅井先生からどのようなご指導が頂けるのだろうと、ワクワクする思いでビデオ放映に参加しました。

 席上、浅井先生より、「私は、大聖人様が宗門追放して下さったのだと、深く拝しております」と伺っては、先生の早瀬管長に対する直言からわずか2ヶ月にして、ついに阿部日顕に大聖人の御裁断が下ったのだと、深い感慨がこみ上げました。

 今回の特集号6も大変有難い内容でしたので、その感激を書いてみたいと思います!

「誑惑久しからず」

 まず浅井先生は、「報恩抄」の一節を引かれ、「いかに巧みな誑惑も、責める者があれば必ず崩れるのです。いま広布前夜に起きた、御本仏の御遺命破壊という大それた重大なたばかりも、責める者があれば必ず崩壊するのであります」と指導くださいました。

 歴史を見ると、比叡山の第3・第4の座主 慈覚・智証や、真言宗の弘法など、仏法上のたばかりをしてきた者はたくさんいました。しかし、どんなに巧みなたばかりも、責める者がいれば必ず崩れてしまうんですね。

 このご指導は、浅井先生の御遺命守護の戦いを大観するとき、本当に実感として胸に迫ってきます。

 よくよく考えてみれば、当時、宗門における最高権力者の池田大作と、誰も背けない絶対権威の「時の貫首」・細井日達が、口をそろえて国立戒壇を否定し、正本堂を「御遺命の戒壇」とたばかったのですから、宗門のすべての僧侶や信徒がこれに従ってしまったのも当然です。

 こうして、「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)と叫び続けてきた正系門家から「国立戒壇建立」の御遺命は消滅し、偽戒壇「正本堂」を讃嘆する悪声だけがこだましたのです。仏法の眼でみれば、これこそ第六天の魔王が正系門家をたぶらかした姿にほかなりません。

 ふつうに考えたら、もう絶望的ですよね。誰がどうやっても、この正本堂の誑惑をひっくり返すことなんて不可能に思えてしまいます。

 しかし、この絶望的な状況の中で、浅井先生はただ御一人、昭和45年3月に諫暁に立ち上がられたのです。その御心は、「もしこのまま黙視すれば、大聖人様に対し奉る不忠これに過ぎたるはない」との思いだけでした。そして、この先生の諫暁により、ついに偽戒壇・正本堂は崩壊し、御遺命破壊のたばかりは「最終章」に至ったのです。いやはや、本当に凄いですよね。まさに「誑惑久しからず」の御金言を実感とするばかりです。

御遺命破壊のたばかりが「最終章」に至るまで

 今回、浅井先生は、池田大作の「国立戒壇否定」に始まった御遺命破壊のたばかりが「最終章」に至るまでの大きな流れを大観して指導くださいました。

 そこで、この記事では、その大きな流れをさらに要約して、ダイジェスト版にして書いてみたいと思います。

 昭和39年5月、池田大作は公明党の結党と衆議院進出を宣言し、政権獲得の野心を露わにしました。すると共産党やマスコミ等が一斉に「国立戒壇は政教分離を定めた憲法に違反する」との批判を開始しました。

 この批判を恐れた池田大作は、国立戒壇を否定し放棄するとともに、正本堂を「御遺命の戒壇」と偽り、それを「時の貫首」細井日達に承認させたのです。かくて宗門全宗俗が正本堂を「御遺命の戒壇」と讃嘆したのです。

 その中、浅井先生は昭和45年3月に諫暁を開始。細井管長は同年4月3日に本山で先生と対面したとき、「実は正本堂は御遺命の戒壇ではない」「御遺命の戒壇は国立戒壇で、天生原に建てられる」との本心を吐露し、3日後の御虫払会で正義を述べました。

 その後、池田大作の巻き返しもありましたが、先生の諫暁により、ついに昭和47年10月の正本堂完成時を以て「御遺命達成」とは言えなくなりました。ここに御遺命「破壊」の大悪はギリギリのところで阻止されたのです。

 しかし、池田大作は細井日達に圧力を加え、昭和47年4月28日、「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂」とする、御遺命「違背」の訓諭を出させていました。そして、平成2年に偽りの「広宣流布達成」を宣言し、大石寺を「本門寺」と改称することで、正本堂を「広宣流布の暁」の「本門寺の戒壇」として完結させようと目論んだのです。もしこの陰謀が実現すれば、大聖人の御遺命は完全に「破壊」されてしまいます。

 そこに浅井先生は、平成2年、「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」の一書で阿部と池田を直諫し、さらに横浜アリーナで2万人の大会を開き、「本門寺改称の陰謀粉砕」を宣言されました。

 すると、身の破滅を恐れた阿部日顕は、池田を裏切り、「大本門寺の寺号公称は広宣流布の未来にある」と述べたのです。ここに本門寺改称の陰謀は潰え、御遺命「破壊」のたばかりは辛うじて阻止されたのです。

 その直後、学会・宗門は自界叛逆の罰で大抗争に陥り、ついに阿部日顕は池田憎しの思いから、平成10年、正本堂を打ち砕いてしまいました。先生は、「これまさに、諸天が阿部日顕をして憤怒せしめ、その瞋恚の力でこれをなさしめたもの。すべては大聖人様の御心である」と仰せられています。ここに御遺命破壊のたばかりの「大陣」は破れたのです。

 しかし、改悔なき阿部日顕は、平成16年8月の全国教師講習会で、2冊の悪書の罪を池田に擦り付け幕引きを図りつつ、「結局、道理から言っても国立戒壇は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて、『国立戒壇が間違いだ』と言ったことだけは正しかった」などと大謗法の悪言を吐いたのです。

 そこに浅井先生は、「このように、なおも御遺命たる国立戒壇に敵対する者を見て、もし捨て置いたら、大聖人様に申し訳ない」と、平成17年、阿部日顕に対して公開法論を申し入れました。しかし、阿部日顕は完全に逃げてしまったのです。そこで先生は、「最後に申すべき事」の一書で阿部日顕に止めを刺しました。

 すると、その70日後、阿部日顕が御開扉の導師を務めんとしたとき、不思議にも須弥壇の大扉がどうしても開かなかったのです。この大現証を眼前にした阿部は、その翌月に猊座を退きました。

 しかし、阿部日顕はその後も隠然たる力を保って院政を企て、早瀬日如管長を監視するごとくでした。そして、本年2月には、平成16年8月の講義録を1冊にまとめ、「近現代における戒壇問題の経緯と真義」と題して発刊したのです。そこには、やはり「『国立戒壇が間違いだ』と言ったことは正しかった」との大謗法の悪言がありました。何という無慚でしょうか。

 そこに浅井先生は、本年3月の総幹部会から御遺命について連々と述べ、これを「御遺命守護・特集号」として発刊してこられたのです。その思いはただ1つ、「正系門家が、いつまでもいつまでも御遺命に背いていること、何とも大聖人様に申し訳ない」との思いだけでした。そして、7月の総幹部会において、早瀬日如管長に対し、「戒壇の大御本尊の敵たる山崎正友と結託した阿部日顕・大草一男を早く追放し、速やかに国立戒壇の正義を宣示し給え」と直言されました。

 その2ヶ月後の本年9月20日早朝、阿部日顕が命終したのです。

「御遺命守護の戦い」を貫くもの

 いかがでしょうか。このように大観してみると、浅井先生の御遺命守護の戦いは一切の私心なく、ただ「大聖人ここにましませば何を命じ給うか」との大忠誠だけで貫かれてきたことがよくわかります。そして、その激闘に数々の不思議が伴い、ついに御遺命破壊のたばかりが「最終章」に至ったのです。

このことを心沈めて拝するとき、もし正系門家に浅井先生がいらっしゃらなかったら大聖人の御遺命はどうなっていのかと身震いするとともに、この大魔障の中に、ただ御一人、御遺命の正義を堅持され、その実現に身を捨てて立たれる浅井先生の仏法上のお立場はいかばかりかとひれ伏す思いとなります。

「大聖人 許し給わず」

 最後に、御遺命守護の戦いを総括された浅井先生のご指導を拝してみましょう。

 見てごらんなさい。

 何よりの現証は、国立戒壇を否定するために建てた偽戒壇・正本堂が打ち砕かれてしまったことです。これこそ「大聖人様は許し給わず」の最大の現証。大陣はすでに破れたのです。

 また五人を見れば悉く、すでに亡び、あるいは亡びつつある。

 池田大作は平成二十二年五月以来、九年余にわたって「生ける屍」になったままである。

 細井日達は、大事の「御相承」もなし得ずに悪臨終を遂げた。

 山崎正友は、平成二十年十二月に命終して「入阿鼻獄」となっている。

 残る二人は阿部日顕と大草一男でありますが――

 その阿部日顕は、五日前の九月二十日早朝、死亡した。長きにわたって国立戒壇の御遺命に敵対し、猊座を退いたのちも院政を布いていたこの悪人が、いま命終したのです。

 私は、大聖人様が宗門追放して下さったのだと、深く拝しております。

 また「寄生虫」たる大草などは、宿主を失えば自然消滅するだけです。

 ここに宗門はいま、新しい段階に入らんとしております。

 いつまでも正系門家が御遺命に背いたままでは、「仏法は体、世間は影」であるから、日本が亡んでしまうのです。

御遺命守護」特集号6

 浅井先生が前々から見つめてこられた20年代の決戦場を前にして、御遺命破壊に加担した5悪人が次々と亡び、宗門が「新しい段階」に入らんとしていること、本当に不思議に思います。「いよいよ広宣流布は眼前!」と、ワクワクする歓喜がこみ上げます。

 私も広告文を片手に、「日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬えば家に柱なければたもたず」との大聖人の師子吼を全日本人に知らせ、教えるお手伝いをしていきたいと思います!