早瀬日如管長への諫訴3

「早瀬日如管長への諫訴」特集号3が出来しました

 冨士大石寺顕正会の3月度総幹部会を特集した顕正新聞4月5日号が出来しました。その名も「早瀬日如管長への諫訴」特集号3

 浅井会長の宗門諫暁も、いよいよ3回目となりました。これに一切反論できない宗門関係者は、「部外者の顕正会に言われる筋合いはない」と言って逃げ回っているようです。

 この逃げ口上について会長は、「戒壇の大御本尊の御安危を憂えるのに部外者も何もない。なぜなら、戒壇の大御本尊様は、大聖人様が全人類に総じて授与あそばされた御本尊だからである。関係のない者はこの世の中に一人としていない」と喝破されました。宗門は逃げ回ることなく、顕正会の声を真摯に受け止めなければなりません。

 それでは、さっそく内容を見ていきましょう。

「3・11」以降「大地動乱」の時代に

 浅井会長は、「広布前夜の大罰の号鐘」たる「3・11東日本大震災」以降、日本は「大地動乱の時代」に突入し、南海トラフ等の巨大地震は「日本中の『どこでいつ起きてもおかしくない』状態」にあること。

 その中、政府の「地震調査研究推進本部」が公表する「主要活断層帯」のうち、二番目に地震の発生確率が高いのが、大石寺至近を走る「富士川河口断層帯」であり、その地震規模は、同本部の予測で「マグニチュード8・0±0.5」、石橋克彦・神戸大学名誉教授の予測では「マグニチュード9台」であること。

 ゆえに設計者が「マグニチュード7級」(マグニチュード9の約1000分の1のエネルギー)しか念頭に置いていない奉安堂の耐震想定はあまりに甘く、戒壇の大御本尊をとうていお守りできないことを鋭く指摘されました。

 素直に拝し、一分の信心があれば、巨大地震の切迫と耐震想定の甘さに驚愕し、急ぎ大御本尊をお守りする対策を講じなければと誰しも思うはずです。

奉安堂では大御本尊をお守りできない

 ところが無道心の宗門は、会長の諫訴を無視し続けています。なぜでしょうか。それは、そもそも奉安堂の「設計思想」が間違っているからです。

 彼らは、「戒壇の大御本尊の絶対的な安全性を最優先に設計しているのではなく、あくまで一般的な建築設計の枠組みで、五千名収容の日本で最大級の寺院を建造すること」に主眼を置いているのです。つまり、大御本尊の御安危は二の次、三の次なのです。

 それを端的に示すのが、平成15年の浅井先生の書簡に対する宗門の回答です。

 このたび会長は、奉安堂の耐震性に懸念を懐かれた浅井先生が、平成15年6月、阿部日顕に宛てて書簡を送付されていたことを初めて明かして下さいました。

 その趣旨は、切迫する巨大地震から戒壇の大御本尊をお守りするため、急ぎ免震装置を設置するよう要請するもので、次のように記されていました。

もし免震でなければ、たとえ建築物は倒壊せずとも、須弥壇に安置し奉る大御本尊は、地震の激烈なる衝撃をそのまま受けることになります。・・・もしこのような激烈の上下動がそのまま大御本尊を襲い奉ったら、まことに恐れ多い極みであります

事は御戒壇様の安危に関わることであれば一閻浮提第一の大事。されば顕正会の浅井の言として卑しみ給うことなく、ただ信心に住して速やかに対処なされんこと、満身の毛孔より血を出だすの思いを以て、祈り待つものであります」と。

 会長は、「私はこの書簡を送付されたときの先生のお姿を、今でも忘れるものではない。先生は『たとえ恥になっても構わない』と、ただ大御本尊の御安危を憂えられ、居ても立ってもいられぬ思いで、これを送付されたのである。その大聖人様に対し奉る先生の大忠誠心には熱涙が滴るばかりである」と仰せです。

 いま戒壇の大御本尊の御安危を眼中に置かない禿人たちの無道心をみるほどに、大御本尊の御安危を心から憂えておられた先生の大忠誠に熱涙がこみ上げます。

 それから約2週間後、「大石寺内事部」名義で返事が届きました。そこには奉安堂の建設工事を請け負ったゼネコン設計部が作成した「奉安堂須弥壇の構造安全性について」と題するレポートが添付されていました。しかしその内容は、会長が強い衝撃を覚えるほど楽観的なものだったのです。

 レポートでは、奉安堂自体の「壊れにくさ」等を強調し、須弥壇の構造壁について「耐力・耐火力共に最高グレード」と誇っているそうです。

 しかし、たとえ建物が堅固であっても、免震構造でない限り、大御本尊に激烈な地震動が直接伝わってしまいます。会長は「それこそが最大の問題なのである」と、その欺瞞を鋭く喝破されました。

 では、どうして宗門は「免震構造」を採用しなかったのでしょうか。レポートは大きく2つの理由を挙げています。

 一つは、〝免震構造はメンテナンスの手間がかかる〟ということ。つまり〝免震構造の方が安全だろうけど、メンテナンスが面倒だから採用しなかった〟と言っているのです。会長は「あまりに無智にして不見識、何より信心がない証拠である」と叱責されています。

 もう一つは、会長が「最も驚き、憤りを覚えた」という、次の理由でした。

地震の際、エネルギーが大御本尊に加わりますが、入力する地震エネルギーは物体の質量に比例するものであり、木製と聞き及んでおります大御本尊に加わる外力は、本来、大きなものではありません」と。

 つまり、最初から大御本尊に地震のエネルギーが加わることを前提に考えられていたのです。なんと恐れ多いことでしょうか。

 会長は、「質量が小さいから外力も小さい」と力学の原理で問題を単純化したレポートの誤りを一刀両断されましたが、宗門の無道心ぶりには開いた口が塞がりません。

天魔入る日顕が造った奉安堂の本質

 思うに、信心の欠片もない宗門僧俗は、戒壇の大御本尊を「生きてまします日蓮大聖人」と拝し奉ることができず、恐れ多くも「木製」の「物体」としか見ていないのでしょう。だからこそ、大聖人の御当体たる大御本尊に激烈な地震動が加わってしまうことに何の痛痒も感じず、その御安危を憂えるという「感覚」が理解できないのです。まさに「雖近而不見」(近しと雖も而も見えざらしむ)の輩と断じざるを得ません。

 それもそのはず、奉安堂を造った当の阿部日顕こそ、「天魔その身に入る」の大悪人だったのですから。

 このたび会長は、奉安堂の本質を鋭く喝破されました。

 そもそも阿部日顕は、昭和53年2月7日、腹心の河辺慈篤に対し、あろうことか戒壇の大御本尊を「偽物」呼ばわりする大悪言を吐いていた男です。つまり、大御本尊への信が全くないのです。

 会長は、「そんな天魔その身に入る阿部日顕が、戒壇の大御本尊の御安危を蔑ろにして造った偽戒壇・正本堂に代わる御開扉施設が、奉安堂なのである」と仰せられましたが、まさに正本堂と形は違えど大御本尊を危険に晒し奉る魔の殿堂ではないかと思わざるを得ません。

 浅井会長は、「かけがえのない最極無上・尊無過上の法体たる戒壇の大御本尊をお守りする堂宇においては、日本の科学技術の粋を集め、耐震工学をはじめとする関連分野の専門家の意見を取り入れて、いかなる国宝を扱うよりも慎重に検討を重ね、大御本尊の御安泰を何よりも最優先しなければいけない」と叫ばれましたが、大御本尊に対し奉る姿勢ひとつを見ても、顕正会と宗門のどちらが真の仏弟子であるかは一目瞭然です。

早瀬管長に強く問う

 会長は、宗門が〝戒壇の大御本尊の御威徳により必ず守られる〟などと強弁し、大御本尊の御安危よりも利益第一主義に走り、巨大地震が切迫しても守護の対策を講じようとしない無道心、危機意識の欠如を指摘され、「私は早瀬日如管長に強く問いたい」として、次のように指弾されました。

 「広布前夜の大罰の時代に突入した今、耐震想定が極めて甘く、免震構造ではない奉安堂で、果して戒壇の大御本尊をお守りできるのか。

 富士川河口断層帯巨大地震が発生し、万々一の事態が惹起したら、早瀬管長はエセ学者らと同じく『想定外でした』とでも言いわけをするのか。

 世間のことならいざ知らず、ことは戒壇の大御本尊の御安危にかかわること。

 戒壇の大御本尊にもしものことあれば、まさに仏法の破滅、全人類の破滅、とうてい取り返しのつくことではない。

 そのときいかに後悔しても、いかに懺悔しても、時すでに遅し。早瀬管長の万死を以てしても償えるものではない。

 このこと一閻浮提第一の大事であれば、敢えて強言を構えて重ねて直諫する」と。

 会長の裂帛の諫訴に、魂が打ち震えました。

「秘蔵厳護」こそ富士大石寺の相伝

 もとより戒壇の大御本尊を「秘蔵厳護」し奉ることは、顕正会の我見ではありません。七百年来、歴代先師上人が身をもって実践してこられた富士大石寺の伝統、掟、相伝なのです。

 浅井会長は、この厳然たる事実を示された後、ひるがえって現在の宗門が強行している濫りの御開扉がいかに「罰当たりの所行」であるかを詳らかにされましたが、その本質こそ「戒壇の大御本尊を利用し奉ってのカネ儲け」であり、「御遺命に背いて些かの改悔なき宗門僧侶の生活を養うために、御心に適わぬお目通りを大聖人様に強要する不敬、これに勝るはない」と伺っては、強い憤激がこみ上げました。

早瀬管長は即時に決断すべし!

 最後に会長は、早瀬管長に対し、「不敬の御開扉」即時中止と、3次元免震システムの堅固なる新御宝蔵を建設して大御本尊を秘蔵厳護し奉ることを重ねて要請され、「もし、その建設費用がないというのなら、顕正会ですべて御供養申し上げたいと思っている。早瀬日如管長は速やかに決断すべきである」と仰せられました。

もしできることなら、完璧なる免震構造の新御宝蔵建設の費用をすべて顕正会で負担しても構わない」との浅井先生のお心のままの仰せに胸が詰まり、「早瀬管長、もし情理を尽くしたこの諫めを無視するなら、もはや入阿鼻獄は必定」と思わざるを得ません。

 同時に、先生の諫暁により誰もが不可能と思った正本堂の崩壊が事実となった大現証と、「これを以て思うに、全顕正会の赤誠、大聖人様に通ずるの時、二つの大事は必ず叶うものと大確信する」との会長の仰せを伺っては、たとえ早瀬管長がどうであろうとも、すべては大聖人様の御裁断によって必ず成ることを大確信するものです。

 私も広告文と特集号を手に、諸天を動かす大折伏のお手伝いに励んでいきたいと思います!