どうして国立戒壇が必要なのか

「民衆立でいいじゃない」と言う法華講員

 このまえ広告文を配布していたら、法華講員の婦人に出会いました。

 さっそく折伏して、「日蓮正宗は御遺命の国立戒壇を捨ててしまったんですよ」と話すと、婦人は「今は主権在民だから『国主』は民衆!だから国立戒壇なんてナンセンスよ!」と言ってきました。

 でも、このたばかりって、じつは浅井先生が「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」で次のように破折されているんです。

 報恩抄には

 「国主は但一人なり、二人となれば国土おだやかならず、家に二の主あれば其の家必ずやぶる

 とある。民衆が国主たり得る道理がないではないか。日本国には憲法上からも国家を代表する一人の君主すなわち天皇が存在し、また中央政府もある。この存在を無視して、漠然たる〝民衆〟を国主というのは、為にする詭弁といわねばならぬ。主権在民すなわち国民主権主義とは、国家意志を構成する最高の源泉が国民に発することをいうのであるが、国家・国民を代表して国家意志を表明するのは、天皇および国家機関であることは論を俟たない。

「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」第3章

 いやはや、なんとも明快な破折ですね!もし今度、日蓮正宗の僧侶に騙されているかわいそうな法華講員に出会ったら、ぜひ教えてあげたいと思います。

 それにしても、日蓮正宗の人って、未だに「主権在民だから『国主』は民衆」なんて言ってるんだ・・・と、驚いてしまいました。だって、このたばかりって、もとは創価学会の池田大作が正本堂を御遺命の戒壇に仕立て上げようとして言い出したタバカリじゃないですか。それを、正本堂が壊れた後も、未だに言っているのですから呆れてしまいます。

 そして思ったのは、「こんな調子だと、きっと、どうして国立戒壇が必要なのかもわからないんだろうな・・・」ということでした。

 そこで今回の記事では、「どうして国立戒壇が必要なのか」という基本的なトピックについて書いてみたいと思います。

「国立戒壇」ってなんですか?

 「ちょっと待って!そもそも国立戒壇って何かわからないんだけど・・・」と思われた、そこのあなた!

 ご安心ください。国立戒壇がどのようなものかについては、こちらの記事で詳しく書いてありますので、ぜひご覧ください。

 ここでは結論だけ書いておきます。

 国立戒壇とは、日蓮大聖人が門下に御遺命された本門寺の戒壇、すなわち広宣流布の暁に、国家意志の表明を以て、富士山天生原に建立される本門戒壇の呼称です。

 ちなみに、どうして「国家意志の表明」が戒壇建立の必要手続なのかといえば、日蓮大聖人が三大秘法抄に「勅宣並びに御教書を申し下して」戒壇を建立しなさいと厳重にお定めになっているからです。

国立戒壇が必要なわけ

 では、どうして日蓮大聖人は、御遺命の本門戒壇を建立するための必要手続として、「国家意志の表明」をお定めになっているのでしょうか。

 じつは「基礎教学書・日蓮大聖人の仏法」に、この大事がとてもわかりやすく書かれているのです。

 浅井先生のご指導を拝してみましょう。

 なぜ大聖人は「国家意志の公式表明」を戒壇建立の必要手続と定められたのであろうか。

 謹んで聖意を案ずるに、戒壇建立の目的は偏えに仏国の実現にある。仏国の実現は、一個人・一団体・一宗門だけの建立ではとうてい叶わない。国家次元の三大秘法受持があって始めて実現する。その国家受持の具体的姿相こそ「王仏冥合」「王臣受持」のうえになされる「勅宣・御教書」の発布なのである。

 もし国家意志の表明により建立された本門戒壇に、御本仏日蓮大聖人の法魂たる「本門戒壇の大御本尊」が奉安されれば、日本国の魂は日蓮大聖人となる。御本仏を魂とする国はまさしく仏国ではないか。「日蓮は日本の人の魂なり」「日蓮は日本国の柱なり」の御金言は、このとき始めて事相となるのである。

「基礎教学書・日蓮大聖人の仏法」第9章

 いかがでしょうか。御遺命の戒壇を建立する目的は、ひとえに仏国を実現し、民衆を安穏ならしめることにあります。まさに「立正安国」ですよね。そのためには、一個人・一団体・一宗門だけの建立ではなく、日本一同が帰依する広宣流布の暁に、国家意志の公式表明を手続として建立する必要があるのです。そのとき、はじめて日本国が日蓮大聖人を魂とする国となるからです。

 つまり、日本を仏国とするために、国家意志の表明により建立される国立戒壇が必要なのです

国立戒壇の大精神

 国立戒壇の必要性は、次の浅井先生のご指導を拝すれば、より一層明確になります。

 思うに、本門戒壇の大御本尊は、日蓮大聖人が日本および全世界の人々に総じて授与された御本尊である。かかる全人類成仏のための大法を、日本が国家の命運を賭しても守り奉る。これが日本国の使命である。日本は日蓮大聖人の本国であり、三大秘法が世界に広宣流布する根本の妙国なるがゆえに、この義務と大任を世界に対して負うのである。

 かかる崇高な国家目的を持つ国が世界のどこにあろう。人の境界に十界があるごとく、国にも十界がある。戦禍におびえる国は地獄界、飢餓に苦しむ国は餓鬼界、没道義の国は畜生界、飽くなき侵略をする国は修羅界である。その中で、全人類成仏の大法を、全人類のために、国運を賭しても護持する国があれば、それはまさしく仏界の国ではないか。これが国立戒壇の精神なのである。

「基礎教学書・日蓮大聖人の仏法」第9章

 いかがでしょうか。日本国の仏法上の大使命には命が震えます。全人類成仏のための大法を、全人類のために、国家の命運を賭しても守り奉る、これが国立戒壇の大精神なのです。

御遺命の正義を守り奉る仏弟子の集団=顕正会のみ

 こうして見てくると、日蓮大聖人の御遺命の戒壇とは、広宣流布の暁に国家意志の表明をもって建立される国立戒壇であり、これこそが日本を仏国にする唯一の秘術、そして日本国の使命であることがよくわかります。だから国立戒壇が必要なんですね。

 ところが、創価学会と日蓮正宗は、選挙とカネのために、この大事な国立戒壇の御遺命を放棄し、ニセモノの戒壇・正本堂を建てて、これが御遺命の戒壇なんだと偽りました。なんて破廉恥な人たちでしょうか。

 そこに、大聖人の御遺命たる国立戒壇の正義を守り奉り、いま広宣流布・国立戒壇建立を見つめて戦っている仏弟子の集団は、浅井先生率いる顕正会以外にはありません。大聖人の御意に叶えばこそ、顕正会には功徳の体験が満ち、成仏の相が絶えず、月々日々に折伏弘通がしんしんと進んでいるのです。なんと有難いことでしょうか。

 いよいよ大確信に立って、広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!