遥拝勤行こそ忠誠の証

「遥拝勤行こそ忠誠の証」特集号が出来しました

 顕正新聞令和2年12月5日号を繰り返し拝読していますが、拝読するたびに新しい感激がこみ上げます。その名も「遥拝勤行こそ忠誠の証」特集号

 第1面には、先般御入仏式が行われた「第三青年会館」と新しい正門の写真が掲載されています。道路に面する正門には「冨士大石寺顕正会本部」と記された大標識がそびえ立ち、大勢の人たちの目を引きます。

 まさに「御本仏日蓮大聖人の御遺命を奉ずる唯一の仏弟子の大集団・顕正会、ここにあり!」という感じです。いやはや、素晴らしいですね!

 そして、浅井先生のご講演は、いま私たち顕正会員が実践している「遥拝勤行」こそ、日蓮大聖人に対し奉る「忠誠の証」なのだということを、わかりやすく教えて下さるもので、拝読を重ねるほどに勤行の有難さが増してきます。最近は、もう勤行が有難くて楽しくて仕方ありません(笑)

 そこで、今回の記事では、遥拝勤行についての浅井先生のご指導を拝していきたいと思います。

 ちなみに、「えーっと・・・、遥拝勤行って何ですか?」という方は、まずこちらの記事をご覧ください。

御遺命破壊の大悪起こる

 「遥拝勤行こそ忠誠の証」ということを理解するためには、まず昭和40年代に起きた学会・宗門(日蓮正宗)による御遺命破壊の大悪と、浅井先生率いる顕正会の御遺命守護の戦いを知る必要があります。

 浅井先生のご指導を拝してみましょう。

 日蓮大聖人の唯一の御遺命は、広宣流布の暁の国立戒壇建立である。このことは三大秘法抄・一期弘法抄に太陽のごとく明らかですね。ゆえに富士大石寺においては、日興上人・日目上人以来七百年、この国立戒壇建立を唯一の使命・宿願として来たのであります。

 創価学会の池田大作すら、曽ては次のごとく国立戒壇を主張していた。

 「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華59号)と。どうです、立派なものでしょう。

 ところが池田はやがて政治野心を懐いて、公明党の衆議院進出を決めた。これに伴い、世間からは「国立戒壇」に対する批判が巻き起こって来た。それは「国立戒壇は政教分離を定めた憲法に違反する」などという不当な批判です。

 だが池田はこの批判を恐れたのです。

 そして「国立戒壇は選挙に不利をもたらす」として国立戒壇を捨て、俄かに建てた正本堂を「御遺命の戒壇」と偽り、このたばかりを宗門にも強要した。

 時の貫首・細井日達と次の貫首・阿部日顕は、池田にへつらってこれに協力した。

 かくて正系門家から国立戒壇建立の御遺命は消滅してしまったのであります。

顕正新聞「遥拝勤行こそ忠誠の証」特集号

 いかがでしょうか。学会は政治野心のため、宗門は学会にへつらうために、このように大聖人の御遺命に背き奉ったのです。なんともハレンチな連中ですね。

御遺命の戒壇の意義・内容を改変した学会・宗門

 ちなみに、ネット戦士を気取る法華講のオジサンたちが、「宗門は、『国立戒壇』という名称を使わなくなっただけ!御遺命の本門戒壇の意義・内容はぜんぜん変えてない!」などと言っているのを見かけることがありますが、これは「ウソつき」か「無智」のどちらかです。

 学会・宗門は、偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇(になる建物)」と断定・讃嘆して、御遺命の戒壇の意義・内容を改変してしまったのです

 一例を挙げます。

 第66世・細井日達は、登座直後には次のように正論を述べていました。

 「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」(「大白蓮華」昭和35年1月号)

 「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」(「大日蓮」昭和36年5月号)

 ところが、学会にへつらって誑惑に加担すると、次のように変節しました。

 「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」(「大白蓮華」201号)

 このように、「国立戒壇」(「広宣流布の暁の国立の戒壇」)の建設こそ「日蓮正宗の使命」と言っていた人物が、いつの間にか、「正本堂」が完成したら「広宣流布」などと言い出したのです。御遺命の意義・内容を改変したことは、誰が見ても明らかでしょう。

 また、次の貫首になった阿部日顕(当時「阿部信雄」)も、「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、始めてその実現の大光明を顕わさんとしている」などと述べ、「池田先生」にへつらっていました。

 いいですか。日蓮大聖人が御遺命された本門戒壇とは、「王仏冥合・王臣受持」の時、「勅宣並びに御教書を申し下して」建立される戒壇であることは、三大秘法抄に赫々明々です。

 正本堂が建てられた昭和47年当時、「王仏冥合・王臣受持」の時が来ていなかったことも、「勅宣並びに御教書を申し下して」との手続を経ていなかったことも、一目瞭然です。それなのに、池田大作をはじめ、彼にへつらう細井日達・阿部日顕は、正本堂を「御遺命の戒壇(になる建物)」と断定・讃嘆したのです。だから大聖人の御遺命に背く師敵対の逆徒であり、入阿鼻獄となるのです。

御遺命守護の戦い

 このように、学会・宗門(日蓮正宗)がこぞって御遺命に背き奉る中、ただお一人、御遺命守護の戦いにお立ちになったのが浅井先生でした。

 これを眼前にして私は

 「この御遺命破壊を見ながら知りながら、もうし黙っていたら、大聖人様に対し奉る最大の不忠になる

と思い定めて、学会・宗門を強烈に諫暁した。

 池田大作は己の身を守るために宗門を動かし、顕正会を解散処分に付さしめた。

 もし顕正会が宗務院の命令に従って「国立戒壇を捨てて正本堂を御遺命の戒壇と認めます」と言っていたら、解散処分などはなかった。顕正会は安穏であった。

 だが私は、顕正会の安穏よりも大聖人様への忠誠を選んだそして遥拝勤行による広宣流布の御奉公を決意した

 ゆえに「遥拝勤行こそ忠誠の証である」というのであります。

顕正新聞「遥拝勤行こそ忠誠の証」特集号

 いかがでしょうか。第六天の魔王に誑かされ、池田大作が政治野心に狂い、細井日達・阿部日顕が保身のために池田に媚びへつらう中、ただ大聖人に対し奉る忠誠だけで貫かれた浅井先生の必死護法の戦いには、思わず胸が熱くなります。

 そして、たとえ死罪に等しい解散処分を被るとも、ついに御遺命を守護し奉り、広宣流布の御奉公を決意された浅井先生がたどり着いた信行が、まさに遥拝勤行だったのです。だから「遥拝勤行こそ忠誠の証」というのですね。

信心に距離は関係ない

 「なるほど・・・。たしかに学会と宗門(日蓮正宗)が大聖人の御遺命を曲げて正本堂を『御遺命の戒壇』と讃嘆していたのに対して、顕正会の浅井先生だけが諫暁に立たれたことがよくわかったよ。学会・宗門は、自分の名利のために仏法を曲げちゃうんだから、信心がないね。でも、遥拝勤行って、自宅から遠く離れた戒壇の御本尊を拝むんでしょう?それで功徳があるのかな・・・?」と思われた、そこのあなた!

 はい、実は遥拝勤行には大功徳があるんです!

 浅井先生のご指導を拝してみましょう。

 信心に距離は関係ないのです。たとえ戒壇の大御本尊様からどれほど遠く離れた地に住んでいようとも、大聖人様を恋慕渇仰して、大聖人の御名を南無妙法蓮華経と唱え奉れば、そのお題目は直ちに日蓮大聖人様に通ずる、戒壇の大御本尊様に通ずる。そして大功徳を頂き、臨終には成仏の相を現ずることができるのです。

 ゆえに大聖人様は、身延より千里を隔てた佐渡に住する千日尼に対し

 「譬えば、天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮かび、雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞こゆ。

 御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来たれり。乃至、

 御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ

 と仰せ下されているのであります。

 もし御遺命に背いたまま登山したら、かえって大聖人様のお叱りを受ける。そのことは内房尼御前の故事を見れば明らかですね。

顕正新聞「遥拝勤行こそ忠誠の証」特集号

 いかがでしょうか。信心に「距離」というのは全く関係ないのです。

 だから、たとえ大聖人の御遺命に背く輩が登山しても全く功徳はなく、顕正会員はどれほど離れていても遥拝勤行で大功徳を頂き、一生成仏が叶うのです。

 ・・・書いているうちに、また勤行が待ち遠しくなってきました(笑)

 いま浅井先生のもと、大聖人の御意に適う「忠誠の証」である遥拝勤行に、「有難い」「御慕わしい」との恋慕渇仰の信心で日々励めることは、なんと有難いことでしょうか! この恋慕渇仰の遥拝勤行が、いかなる距離をも乗り越えて、直ちに戒壇の大御本尊・日蓮大聖人に通ずるのです。

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