竜の口法難御報恩勤行会が奉修されました

竜の口法難御報恩勤行会とは

 9月12日、浅井先生のもと、竜の口法難御報恩勤行会が奉修されました。

 この日は、日蓮大聖人が御歳50歳の文永8年9月12日、国家権力による死罪として、恐れ多くも頸の座にお座りになり、「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ」(開目抄)との仰せのごとく、御頸刎ねられ奉った―という重大な日です。

 しかし、御頸まさに刎ねられんとしたとき、巨大な「月のごとく光たる物」が突如出現し、その強烈な光により、太刀取りは眼くらんでその場に倒れ伏し、警護の兵士たちもことごとく逃げ出してしまいました。その中に大聖人は、宇宙法界を我が身と開く久遠元初の自受用身と成り給うて成道をお遂げになり、末法下種の本仏と顕われ給うたのです。

 浅井先生は、「この尊いお姿を偲び奉れば、我ら末弟、ただひれ伏して合掌し奉るのほかはありません」と仰せられています。

久遠元初の自受用身とは

 では、久遠元初の自受用身とは、いかなる仏様なのでしょうか。

 浅井先生は一言で、「三世十方の諸仏を生ぜしめた根源の本仏、最初・大本の仏様」と仰せ下されています。この久遠元初の自受用身こそ、実に日蓮大聖人であられるのです。

 大聖人がひとり成仏の大境界に立たれたことが、どれほど有難いことか。浅井先生は、次のように指導下されています。

 いいですか。一切衆生は誰ひとり仏に成る道を知らないのです。

 その中において、日蓮大聖人ただ御一人が「自受用身即一念三千」という全宇宙を包含する生命の極理を証得されて本仏に成り給うたということは、やがて全人類が仏に成らせて頂けるということなのです。

 まことに、身命にも及ぶ流罪・死罪の大難を耐え忍ばれ、全人類成仏の道を踏みあけて下さったその大慈大悲・大恩徳を拝し奉れば、ただ有難さが胸に込み上げてまいります。

 よって御報恩のため、本日、謹んで勤行会を奉修させて頂いた次第であります。

顕正新聞令和3年9月25日号

竜の口法難に至る経緯

 それでは、さっそく竜の口法難に至るまでの経緯を拝していきましょう。

 日蓮大聖人は、「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等」(開目抄)の大誓願をもって立宗された後、日本国の一切衆生を現当二世に救わんと、時の国主に対し、立正安国論をもって諫暁あそばされました。

 すると、邪宗の坊主たちが大怨嫉を起こし、松葉ヶ谷の法難、伊豆御流罪、小松原の剣難と、わずか4年の間に3たびも身命に及ぶ大難が相次ぎました。その後、安国論の御予言は寸分も違わず、大蒙古から日本を侵略する旨の国書が到来し、日本国中が恐れ慄く中、大聖人は「公場対決」により一挙に仏法の邪正を決して国を救わんと、為政者と諸宗の代表の計11か所に書状(十一通申状)を送られました。しかし、邪宗の坊主たちに大聖人との法論対決など、できるわけがありません。

 そこで良観をはじめとする邪宗の坊主たちは、なんと大聖人のことを、「日本が亡びるように呪い祈っている悪僧である。だから取り調べるまでもない。直ちにその頸を切ってほしい」とウソをつき、権力者を唆しました。ここについに国家権力による死罪が行われたのです。

竜の口の大現証、国家権力がひれ伏す

 文永8年9月12日の夕刻、幕府の最高実力者・平左衛門は、数百人の武装兵士を引き連れて大聖人の庵室を襲いました。そしてその日の深夜、大聖人を竜の口の刑場(江の島の近くにありました)に連行したのです。

 ついに御一行が竜の口に到着したとき、御供申し上げた弟子の四条金吾殿は「只今なり」と言って泣き伏しました。これをごらんになった大聖人は、「不覚のとのばらかな、これほどの悦びをば笑へかし」と仰せられました。

 やがて大聖人は、泰然として頸の座にお座りあそばされました。その傍らに太刀取りの越智三郎が立ち、大刀まさに振り下ろされんとしたその刹那、思議を絶することが起きたのです。

 このときの情景について、浅井先生は次のように指導下さいました。

 この情景は、大聖人御自身が後世のために聖筆を以て記し留め置き下されている。末法万年のために、なんと重大な御文か。伝聞ではない、大聖人様の御筆でそのときの情景が、記し留められているのです。何とも有難い。

顕正新聞令和3年9月25日号

 大聖人が後世のため、末法万年のために、この大現証を御自ら記し留め置き下されたこと、なんと有難いことでしょうか。だから末代の私たちも、御本仏成道の大現証を如実に拝し、命の底から信じ奉ることができるのです。

 それでは御文を拝します。

江の島のかたより、月のごとく光たる物 鞠(まり)のやうにて、辰巳のかたより戌亥のかたへ光りわたる。

 十二日の夜のあけぐれ、人の面(おもて)もみへざりしが、物のひかり月夜のやうにて人々の面もみな見ゆ。

 太刀取り目くらみ倒れ臥し、兵共(つわものども)おぢ怖れ興さめて一町計りはせのき、或いは馬よりをりてかしこまり、或いは馬の上にてうずくまれるもあり」(下種本仏成道御書)

 突如として暗闇の中から、巨大な「月のごとく光たる物」が出現したのです。その光がいかに強烈であったか。練達強剛の太刀取り・越智三郎も眼くらんでその場に倒れ伏し、警護の兵士たちも恐怖のあまり「一町計り」約100メートルも逃げ出し、砂浜にひれ伏してしまいました。馬上の武士たちも、あるいは馬から降りて畏まり、あるいは馬の上でそのままうずくまってしまいました。もう頸を切るどころではありません。

 頸の座にましますは大聖人ただ御一人。大聖人は厳然と叫ばれました。

 「いかにとのばら、かかる大禍ある召人には遠のくぞ。近く打ちよれや、近く打ちよれや」と。しかし、一人として近寄る者もありません。

 大聖人は再び大高声で叫ばれました。

 「頸切るべくわ急ぎ切るべし、夜明けなば見苦しかりなん」―頸を切るならば早く切るべし。夜が明けたら見苦しいであろう―と。これは死刑の催促です。しかし返事をする者もいません。

 響くは凛々たる大聖人の御声のみ。目に映るは月の光に照らされて輝く大聖人の御尊容のみ。みなことごとく腰をぬかし、へたり込んでしまいました。

 まさに国家権力が、ただ御一人の大聖人の御頸を切らんとして切れず、その絶大威徳の前にひれ伏してしまったのです。このような思議を絶する荘厳、崇高、威厳に満ちた光景が、この地球上、人類の史上のどこにあったでしょうか。

「久遠元初の自受用身」と成り給う

 この大現証の重大意義について、浅井先生は次のように指導下されています。

 この大現証こそまさしく、日蓮大聖人が立宗以来の不惜身命の御修行ここに成就して、ついに久遠元初の自受用身と成り給い、末法下種の本仏と顕われ給うた御尊容であられる。(中略)なんと尊い成道の御姿であられるか。ただひれ伏して合掌し奉るのみであります。

 ただし我ら凡夫には、大聖人様が竜の口で証得あそばされた生命の極理はとうてい識るべくもない。それでは成仏は叶わない。

 ここに大聖人様は大慈悲を起こされ、「久遠元初の自受用身 即 一念三千」の相貌を御本尊に図顕され、全人類に授与して下さった。その大御本尊こそ、実に弘安二年の「本門戒壇の大御本尊」であられる。(中略)

 いま私たちは難しいことは何もわからなくても、ただ最極無上の尊体、尊無過上の力用ましますこの「戒壇の大御本尊」を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れば、必ず一生のうちに成仏を遂げさせて頂ける。なんと有難いことでありましょうか。

 まさに戒壇の大御本尊こそ、大聖人様の大慈大悲の結晶、出世の本懐であられる。

 この大御本尊を、広宣流布の時、一国の総意すなわち「国家意志の表明」を以て建立される国立戒壇に安置し奉れば、日本は金剛不壊の仏国となる。

 ゆえに国立戒壇の建立こそ、日蓮大聖人の唯一の御遺命なのであります。

顕正新聞令和3年9月25日号

 いかがでしょうか。竜の口の大現証の重大意義、戒壇の大御本尊を全人類に授与して下さった大慈大悲、そして国立戒壇建立こそ唯一の御遺命であることが命に収まり、大感動が込み上げます。

目に灼きつく大現証で広宣流布

 また、この竜の口の御尊容は、難しい理論では理解できない私たち凡夫に対し、「下種本仏とはかくなるものぞ」ということを、目に灼きつく強烈な事実をもって見せて下さった大現証だったのです。

 浅井先生の御指導を拝してみましょう。

 本日拝し奉った竜の口の大現証こそ、日本および全世界をお救い下さる仏様は日蓮大聖人ただ御一人であられることを、理論ではなく、目に灼きつく強烈な事実を以て、全人類に見せしめ給うたものであります。

 法蓮抄には、「現在に眼前の証拠あらんずる人、此の経を説かん時は、信ずる人もありやせん」と。

 凡夫には、大聖人様の甚深の御境界はとうてい想像もつかない。だが眼前の大現証を拝すれば、みな理屈ぬきに、命で仏様を感じ、手を合わせるようになるのです。

 竜の口で警護に当たっていた兵士たちが、一夜明けて帰るとき、みな挙って大聖人の御前に進み出て、頭をうなだれ手を合わせ、こう申し上げているではないか。

 「いったい貴方さまは、いかなる御方でございますか。これまで、我らが信ずる阿弥陀仏を謗っていると聞いていたので、貴方さまを憎んでおりましたが、昨夜来、まのあたりに拝したことを見れば、あまりの尊さに、もう念仏は一切捨てます」と申し上げ、一同して心からの誓いを立てたという。

 彼らはみなゴリゴリの念仏信者ですよ。きのうまで大聖人様に殺意さえ懐いていた。だがその殺意が、一夜にして帰依に変わってしまったのです。これまさに理屈ぬきですね。大現証を拝して、命で仏様を感じたのであります。

 やがて広宣流布の時には、全日本人が必ずそうなる。(中略)

 この眼に灼きつく眼前の大現証により、やがていかなる者も手を合わせ「南無日蓮大聖人」「南無日蓮大聖人」と唱え奉るようになる。

 時いたれば、広宣流布は一時になるのです。

 さあ、本日の竜の口の御法難勤行会を期として、いよいよ顕正会こそ日本において忠誠を貫く唯一の仏弟子の大集団として、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。

顕正新聞令和3年9月25日号

 いかがでしょうか。竜の口の大現証を拝し、仏弟子として、絶対信と広宣流布への燃えるような情熱がわいてきます。

 私も広告文と特集号を手に、一人でも多くの人々に竜の口の大現証を教え、広宣流布のお手伝いに励んでいきたいと思います!