創価学会・宗門の御遺命違背

「御遺命違背」の大悪起こる!

「日蓮大聖人の御遺命とは」をお読み頂いた方には、大聖人の御遺命が「本門戒壇の建立」であり、本門戒壇とは広宣流布の暁に、国家意志の公式表明を以て、富士山天生原に建立される国立戒壇であること、そして、これこそ日本及び全世界を真に安泰ならしむる秘術であり、富士大石寺が700年来実現を目指してきた唯一の宿願・悲願であったことが、おわかり頂けたものと思います。

ところが、学会・宗門は、あろうことか、この大事な御遺命に背いてしまったのです。

具体的には、本門戒壇の教義を改変して、昭和47年に大石寺境内に建てた「正本堂」なる建物を「御遺命の戒壇」と偽称したのです。

正本堂

「えっ、だって、御遺命の戒壇って、『広宣流布』が達成したときに建てられるんでしょう?昭和47年の頃なんて、まだまだ『広宣流布』してなかったじゃない!」

と疑問に思われたそこのあなた!まさにそのとおりなんです。

「正本堂」なる建物は、未だ広宣流布も達成していない「時」に、国家意志の表明という「手続」も経ることなく、天生原ではない「場所」に建ててしまった、まさに御遺命の本門戒壇の「時」・「手続」・「場所」すべての条件を欠いた建物だったのです。

こんなこと、マトモに日本語が読めるフツウの人なら誰でもわかりますよね。

ところが驚くべきことに、なんと学会・宗門のトップが「正本堂こそ御遺命の戒壇」、「正本堂が完成したときは広宣流布」などと大ウソをつき、宗門の全僧俗を誑かしてしまったのです。まさに「第六天の魔王がその身に入った姿」というほかありません。

創価学会の御遺命違背

まず学会の御遺命違背を見てみましょう。

かつては「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」(大白蓮華五十九号)と述べていた池田大作も、正本堂の誑惑を始めるや、手のひらを返したように「国立戒壇」を否定し、「正本堂」を御遺命の戒壇と大宣伝しました。

一例を挙げます。

「いまの評論家どもは『創価学会は国立戒壇を目標にしているからけしからん』といいますが、私はなにをいうかといいたいそんなことは御書にはありません。彼らはなにもその本義を知らないのです。猊下(法主)が、正本堂が本門戒壇の戒壇堂であると断定されたのであります。ですから、皆さん方は『創価学会は国立戒壇建立が目標である』といわれたら、いいきっていきなさい。とんでもない、こんどの私どもの真心で御供養した浄財によって、正本堂が建立する。それが本門の戒壇堂である。これでもう決定されているのですと」(聖教新聞昭和40年9月22日号)

創価学会の唯一の大目的」だったはずの「国立戒壇」建立を、あろうことか、「私はなにをいうかといいたい」「そんなことは御書にはありません」「とんでもない」などと批判しているのです。

その上で、偽戒壇・正本堂を指して、「本門戒壇の戒壇堂」、「これでもう決定されている」などと放言したのです。とても同一人物のコトバとは思えませんね。

また、昭和42年の正本堂発願式では、「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千余年、史上空前の偉業なり」(発誓願文)と誇らしげに宣言しました。

正本堂発願式

悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願」だったはずの「国立戒壇」が、みごとに「正本堂」にスリ替えられています。ここまで大胆なペテンは、そうそうお目にかかれるものではありません。

さらに、池田大作は、昭和47年の正本堂落成式において、参詣した全学会員に対し、腹心の幹部を通じて、「本日、七百年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました。ありがとう」などというデタラメ極まるメッセージを伝えました。

かくて学会は、700年来の大聖人の御遺命に完全に背いてしまったのです

宗門(日蓮正宗)の御遺命違背

次に宗門の御遺命違背について見てみましょう。

細井日達も、かつては正論を述べていました。

富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」(大白蓮華35年1月号)

事の戒壇とは、富士山に、戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は、広宣流布の時の国立の戒壇であります」(大日蓮36年5月号)等がそれです。

ところが、正本堂の誑惑に加担し、池田大作に魂を売り渡すとこうなります。

此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」(大白蓮華昭和43年1月号)

一体なにを口走っているのか・・・。もはや正気の沙汰とは思えません。

そもそも「広宣流布」とは、日本一同が日蓮大聖人を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る時をいいます。

このことは、大聖人が「剰え広宣流布の時日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(諸法実相抄)と仰せられているとおりです。

ですから、昭和47年に「正本堂」なる奇怪な建物が完成したからといって、「広宣流布」であるはずがありません。当然、「大聖人の御本意」が実現されることも、「王仏冥合」が事相となることもありません。つまり、全くのデタラメということです。

また、細井日達は、昭和45年3月に浅井先生の諫暁が開始されるや、さすがに正本堂完成時を指して「広宣流布達成」とは言えなくなったものの、なお学会にへつらい、昭和47年4月28日、「正本堂は御遺命の戒壇となるべき建物を前以て建てたものであり、広宣流布の暁にはそのまま『本門寺の戒壇』となる」旨の訓諭を出しました。

この訓諭も、「勅宣並びに御教書を申し下して」の手続を無視し、「時を待つべきのみ」の御制戒に背くものであり、まさに御遺命違背と断じざるを得ません。

さらに、細井日達は、御遺命を守らんとする顕正会を解散処分にした後の昭和50年7月7日、法華講連合会の幹部に対し、次のように激を飛ばしました。

訓諭及び説法以外に私の真意はない。(中略)戒壇についての私ならびに本宗の見解は、訓諭をはじめとして既に何回も公にしたとおりであります。(中略)浅井らは何ら教義上の反ばくもなく、ただ先師がどうの、私が昔云ったのと云うだけであります。私は、昔云ったことはあるが、今は云わないと云っておるのであります。私の信念は不動であります。未来永遠にわたり、国立ということはなかろうと確信しておるからであります。浅井らは、人のやることに干渉せず、自分達の力で、やれるものならやってみればよいと思うのであります。但し、国立というのは本宗の教義ではないので、元妙信講が日蓮正宗と名乗ることだけは、今日限りやめてもらいたい」(大日蓮昭和50年9月号)

まさに「毒を食らわば皿まで」のハレンチ極まる言動ですね。

ここで日達は、「未来永遠にわたり、国立ということはなかろうと確信しておる」、「国立というのは本宗の教義ではない」と明言しています。

つまり、単に「国立戒壇」という名称を使用しなくなっただけではなく、その内容である国家的建立そのものを「未来永遠にわたり」否定したということです。

ゆえに昭和47年4月28日の訓諭(「正本堂は御遺命の戒壇となるべき建物を前以て建てたものであり、広宣流布の暁にはそのまま『本門寺の戒壇』となる」)を指して、「私の真意」、「戒壇についての私ならびに本宗の見解」と断言しているのです。正本堂が将来そのまま「御遺命の戒壇」になる以上、もはや国家的建立ということは「未来永遠にわたり」ないからです

かくて宗門(日蓮正宗)もまた、学会の誑惑に加担して、本来であれば命を賭しても守るべき大事な御遺命を平然となげうってしまったのです

国立戒壇を捨てた理由は「センキョ」と「カネ」だった!

ここまでお読み頂いた方の中には、

「なるほど、確かに学会と宗門が、以前は『国立戒壇』を叫んでいたのに、『正本堂』というニセモノの建物を建てて『御遺命は達成だ!!』と大宣伝していたことは事実みたいね。でも、なんでわざわざニセモノをつくる必要があったの?『御遺命』って、大聖人様が遺されたいちばん大切なものなんだから、勝手に変えちゃダメでしょう?」

と不思議に思われた方もいるかもしれません。

そこには何か深い理由があったのでしょうか・・・?

答えは「否」です。

学会は「選挙」のため、宗門は「金」のために、大事な御遺命をなげうってしまったのです

具体的に見ていきましょう。

池田大作は、学会員を選挙に駆り立てる口実に、前々からしきりと「国立戒壇」を利用していました。「大聖人様の至上命令である国立戒壇建立のためには、関所ともいうべき、どうしても通らなければならないのが、創価学会の選挙なのでございます」(大白蓮華昭和34年6月号)などと言っていたのです。

ところが、昭和39年、池田が公明党を結成して衆院進出を宣言すると、共産党をはじめマスコミ・評論家等は、それまで池田が政界進出の口実としてきた「国立戒壇」を取り上げ、「国立戒壇は政教分離を定めた憲法に違反する」と一斉に批判を始めました。この当たらざる批判を、池田は強く恐れたのです。

そこに、国立戒壇への批判が選挙に不利をもたらすと見た池田は、あろうことか、国立戒壇を放棄・否定することを思い付いたのです。そこで池田は、大石寺の境内にニセモノの戒壇を建て、「これが御遺命の戒壇だ」と偽ることにしました。これが偽戒壇・正本堂の誑惑だったのです。

要するに、大聖人の御遺命よりも「センキョ」が大事だったのです。

一方、宗門(日蓮正宗)はどうでしょうか。

「御遺命の戒壇」の教義を改変する―。そんな大それた誑惑が、池田大作ひとりでできるはずがありません。そこで彼は、時の法主(貫首)を抱き込みました。

当時、宗門は学会の莫大な供養金で潤い、坊主は贅沢三昧の暮らしをしていました。宗門にとって、学会は最大の「スポンサー」だったのです。

そこに時の貫首・細井日達は、「池田の“威圧”に屈し、莫大の“供養金”に心を蕩かされ」(基礎教学書・第9章)、大事な御遺命を池田大作に売り渡してしまったのです。

要するに、大聖人の御眼よりも池田大作を恐れ、また、700年来の御遺命よりも「カネ」を選んだのです

この間の事情は、学会と宗門が後に抗争に陥り、学会が「月例登山」を中止した際の細井日達の言動によくあらわれています。

「これはもう、このままじゃ話にもならない。もしどこまでも学会が来なければ、それは正本堂を造ってもらって有難いけれども、(中略)もし学会が来なくて、こっちの生活が立たないと云うならば、御本尊は御宝蔵へおしまいして、特別な人が来たらば、御開扉願う人があったら、御開帳してよいと云う覚悟を、私は決めた」(昭和49年7月27日・宗門の現況と指導会)

「こっちの生活が立たないと云うならば」とは、なんと卑しい言い草でしょうか。正本堂の誑惑が学会の「カネ」に心蕩かされたゆえであったことがよくわかります。

顕正会の諌暁-ついに偽戒壇・正本堂が崩壊!

この学会・宗門の御遺命違背をご覧になった浅井先生は、昭和45年3月、御遺命守護のご奉公に立ち上がられました。

正本堂は御遺命の戒壇ではない」、「大聖人の御遺命は、広宣流布の暁に国家意志の表明を以て富士山天生原に建てられる国立戒壇である」、この正義を叫ばれたのは浅井先生ただ御一人でした。

必死の諫暁は28年に及びました。激しい論判が幾度も繰り返されました。

その間、浅井先生は、「この重大なる不敬を謝し、御遺命違背の大罪を償う道はただ一つ。速やかに戒壇の大御本尊を清浄の御宝蔵に遷座し奉り、誑惑の正本堂を撤去すること。これ以外には断じてなし」(正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む)と宗門に訴えました。

しかし、学会・宗門の全僧俗は、「末法事の戒壇である正本堂を撤去することなどあり得ない」と口を揃えて嘲笑していました。

ところが、その「あり得ない」ことが起きたのです。

平成10年、凡慮を絶する不思議により、偽戒壇・正本堂は轟音とともに打ち砕かれ、地上から完全に姿を消しました。

正本堂崩壊

学会・宗門の誰もが「不可能」と嘲笑った浅井先生の諫暁が、ついに事実となったのです

浅井先生は、「凡慮を絶することの大現証こそ、まさしく大聖人様の御仏意であった」、「大聖人様はこの大悪を断じて許し給わず、ゆえに顕正会をして立たしめ諫暁せしめ、諸天をして学会・宗門を自界叛逆せしめ、ついに正本堂を打ち砕き給うたのである」と仰せられています。

改悔なき輩

さて、正本堂の崩壊により、これが「御遺命の戒壇」ではなかったことが証明されました。末法万年尽未来際まで全人類を利益する三大秘法の「本門の戒壇」が、わずか26年で崩壊するはずがないからです。

そこに、本来であれば、学会・宗門ともに、みずからの教義改変を深く懺悔し、ただちに御遺命の正義に立ち還るべきでした。

しかるに学会・宗門は、偽戒壇・正本堂が崩壊した後も、未だに国立戒壇の正義を否定し続けているのです。これは自らの教義改変、御遺命違背の大罪を改悔せず、誤魔化しているからです。

また、今さら「実は顕正会が正しかった。自分たちは間違っていた」とは、口が裂けても言えないのでしょう。いずれにせよ、彼らには「信心がない」のです。

そのうえ学会は、平成26年11月、あろうことか、大聖人出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」をも捨て奉りました。学会の機関決定として、

大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」(聖教新聞・平成26年11月8日)

と断定したのです。まさに極限の大謗法です。

一方、宗門(日蓮正宗)は、「営利目的」の不敬の御開扉を行い、恐れ多くも戒壇の大御本尊を営利の具としています。

具体的には、本山から各末寺に「ノルマ」を課し、この「ノルマ」達成のため1人に何度も登山させたり、「付け願い」といってカネだけ出せば登山したことにする制度まで作ったりしています(平成30年10月度総幹部会・長野県の「実境寺」に8年間在籍して宗門の実態を目の当たりにした男子部組長の証言)。

つまり、広布の暁まで秘蔵厳護し奉るべき秘仏にてまします戒壇の御本尊を利用して、遮二無二「カネ」を集めているのです。ここに信心の欠片もない職業坊主の本性が浮き彫りとなっています。

まさに「正系門家の濁乱、その極に達した姿」と言わざるを得ません。

浅井先生は、「まことに学会といい、宗門といい、無道心のきわみである。これ以上の師敵対・無道心はない。このような輩に、広宣流布ができるわけがない。大聖人様は正系門家のこの濁乱を、いかがおぼしめされるか。もう大聖人様に応え奉るのは、顕正会以外にはない。ゆえに私は二百万達成こそ大聖人様の厳たる御命令、すなわち御遺命を守り奉った顕正会こそ、御遺命成就に身を捨てよ-との御命令であると、深く拝し奉ったのであります」と仰せですが、いよいよ大確信に立って、近き広宣流布・国立戒壇建立のお手伝いをさせて頂きたいと決意するものです。